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同期だからできるぶっちゃけトーク【國學院久我山高校】

Spotlight 第2回対談
−同期だからできるぶっちゃけトーク【國學院久我山高校】−

山本航生 × 加納直樹 × 山本献 × 熊澤維吹

 中央大学学友会サッカー部   慶應義塾体育会ソッカー部


◯お互いの印象について

ー他己紹介をお願いします。


(熊澤維吹について)

加納:(熊澤)維吹は久我山の高校のときは、クラスが違ったけど、何だろうな一言でいうと変人、いや変わったヤツ。(豊田)歩くんと仲が良かった。

熊澤:俺だけクラス違うし、カテゴリーが違ったからあんまり印象なかったでしょ。

航生:そんなじゃつまらないでしょ、ちゃんと喋れよ(笑)

加納:じゃいいよ、航生しゃべれよ。

航生:維吹でしょ?そもそも中学校のときに久我山のキャプテンだったじゃん。久我中のサッカー部のキャプテンだったから、すごい人数をまとめて、どんなちゃんとしたやつだろうと思ったらすごい変人でした。だから最初のギャップはすごかった。自分を持ってるしすごい変な印象はあったけど、サッカーのときはフィジカルゲーで久我山ぽくなかった、一人だけちょっと。カテゴリー違ったけど、何回か一緒にやったことある気がする。T1出たことない?

熊澤:T1出たことない。

航生:トーナメントは?

熊澤:トーナメントもない。

航生:出てないか、維吹は久我山のサッカー部の中では、みんな結構うまいやつ多いけど一人だけ体ごっついイメージ。危ないイメージがあった。俺、球際とかケガしそうだったもん怖かった。人間的には、クラスも違ったし関わりは少なかったけど普段はほんわかしてふわふわしてた印象がある。


(山本献について)

航生:献の紹介くらい直樹やれよ。

加納:献の紹介ほど言葉詰まることない(笑)維吹よりも無理だわ。

航生:どっちかがちゃんとして、どっちかふざけたのやろう。俺ちゃんとしたのやるわ。

航生:正直、慶應のキャプテンやってるのは俺らかしたら慶應いつ潰れちゃうんだろうという印象、今年1年間。まじでいうと、こう見えて慶應にいるから何も言えないけど、頭の中バグってるし超頭いい、レベルが違った。久我山の入試って難しいというか、俺らスポ選で入った人たちは全然点数取れなかったりするんだけど、献は普通の人たちが入るような点数を取ってた。高校の成績オール5だし(笑)
いいところでいえば、そんなもん。他言い出したら献ってキリないよね。

加納:付け足すと底知れないやばいやつ。
天才と変人って本当に紙一重だなってコイツ見たら思う。

航生:お!まとまった!

(加納直樹について)

熊澤:直樹は高1で初めて会ったときに応援練習みたいなのがあって、どんどん一発芸してて、面白いやつ来たなっていう初見のイメージ。選手権でも退場したのにホイホイ踊ってたからすごい面白いやつだなって感じ。

献:直樹はやっぱ真面目だよね。あと、やっぱり顔でかいよね。顔でかい真面目。真面目だし、人の気持ちわかんないし、ふざけちゃいけないところでふざけちゃう。

加納:同じこと言えるけどな。お前が一番だけどな


ー直樹の人の気持ちわからないエピソードがあれば。

加納;そこ広げんな(笑)

献:久我山の仲良い人たちの中で大変な状況の人がいても、ふざけちゃうし。久我山の柔道の時間で、絶対にふざけちゃいけない笑っちゃいけない時間があって、先生が神棚のほうを向いているときに立ち上がって、変なポーズしたり屁こいたりするからTPOを考える力が著しく劣ってる人。それを逆手にとってウケを取る技術も持ってる。      


(山本航生について)

熊澤:俺がヤマコウのことで一番覚えてるのは俺がラージトップみたいな感じで混ざった時にヤマコウと対面パスの練習をするんだけど、すごいパス早くて一緒にパスするのが怖かった。リーグ戦でも何試合か連続で点を取ってて尊敬の眼差しを抱いてました。

献:主人公みたいな感じでいつもはしゃいでる感じで、俺はいつも幸せそうだなって見てたんだけど。

加納:お前そんな感情で見てた?(笑)

航生:お前嘘つくなよ(笑)

ー久我山はカテゴリーがいくつあって各学年どれくらい選手がいるの?

航生:何個あったか正確には俺もよくわかんない

献:各学年6じゃない?

山本:俺らの時はT1、T2、T4、+1、2、3年で6個のカテゴリーで、ひと学年60人くらい。全部で200人くらい。


◯なぜ久我山を選んだのか


航生:サッカー部の試合を小学5年生くらいのときに親父に連れていかれて観に行ったんだよ。その時のサッカー部の試合に一目惚れして、もうこの高校に入ってサッカー部で試合に出て活躍したいと思ったのがキッカケです。

加納:久我山の監督のジュニアユースだったから、小さいころから久我山の試合は観てた。選手権は中学生のころから観に行ってたしずっと憧れのチームだというのはあって、青森山田とかジェフとか行きたいなって思ったこともあったけど、清水さんと話したりして久我山だなって思って早々に選んだっていう感じ。憧れのチームという感じ。

献:俺は頭が良かったから文武両道というのと、兄貴が行ってて全国準優勝してたから「じゃ俺らも優勝するか」と思っていきました。

熊澤:選手権は憧れの舞台だったから、強いチームで選手権に出たいと思って久我山に。高校でもサッカーしたくて繋がっているので中学受験しました。

◯なぜ大学でサッカーを続けているのか(大学を選んだ理由も含めて)

航生:大学に入るときにプロになりたいという気持ちを持って大学でもサッカーしようと思った。というのも高卒で声が掛からなくて大学で4年間チャレンジして、プロになろうという気持ちだけをもって来ました。そのときに中大に憧れがあったとかは全くなくて…。
高校の時は選手権出たいなとかはあったけど、大学ではインカレに出て日本一になりたいとかいう思いはなくてプロになれれば、それでいいやと大学に入った。中大だったのは、久我山の指定校の制度で、頭がいい献とかが慶應、早稲田とか上の学校を取っていく中で俺の成績的には中大とか立教がギリのラインで、それなら関東一部でやってるレベルの高い中大に行ってチャレンジしたいなという思いで中大を選んだ感じです。

加納:俺もプロになるっていう第一の目標があって、中大に来たんだけど俺は、この3人に比べて勉強はできないほうで。高1のときの成績4.0とかで、久我山で4.0だと指定校は微妙なラインの感じなんだよね。高2くらいのときに中大の試合をYoutubeで観て、そのとき渡辺剛くんとか上島(拓巳)くんとかが出てたんだけど、その試合を観てすげぇなって思って、それがキッカケで中大いいなって思い始めた。そのとき久我山からスポ選は国士館とかしか無かったから(大窟)陽平が中大にスポセン(スポーツ推薦)で来たけど、それって本当にめずらしいことだよね。そのときは指定校でいい大学に行ってサッカーをやるっていうのが久我山だった。
中大サッカー部でプロ目指したいなって思ったのが高2で、そこからガチで勉強して…みんなにも「テスト勉強してるだろう」って言われたけど、「いや、してないしてない」って言って(笑)高2のとき(評定)4.9くらいで総合的に4.6とか取れて中大に行けると思ったけど、成績が上の人たち次第で、俺らの行けるところが決まる。献とかカズが早稲田、慶應に行って、でその下の人たちが血迷いまくっててオガタっていうんだけど(笑)。青学のオガタっていう久我山のキャプテンがその時、どこにするか迷いまくってて前日に青学に行くって言いだして。俺、そいつのせいでそれまで同志社で、成績的にも中大に行けなくて。だから同志社に行くって覚悟決めてて、でも前日に(アゲトが)青学に行くってなって中大の枠が一つ空いた。でも、俺は同志社に行くって決めてたから中大が空いたとしても覚悟決めたしな…って思ってたら航生から夜中くらいに電話きて。

航生:必死だったよねあのとき。

加納:あのときは必死だった。俺も結構(意思が)固かったから。

航生:次の日の朝に指定校をどこの大学に出すかを提出して、それで終わりなの。正直、他の指定校被ってる人がいて、もれちゃったら一般受験しかなくて、勉強できない俺らからしたらそれは致命的でなんとかして指定校で取りたいから、みんな牽制し合ってみんなの成績が分からなくなってた。結構その時ってピリつくんだけど。それで上がズレて、直樹は中央に行きたかったけど行けないってなって同志社に。で、中央は次の日の朝提出しなきゃでその前の日の12時くらいに「ごめんやっぱ」って中大がポンと空いたの。そしたらそりゃ直樹に電話するよね。「お前、中大来い」って。俺は中大を先に取ってて

加納:航生は一個(成績が)上で。

航生:ギリの誤差で俺のほうがちょっと上で。コイツまじで1時間半くらい電話して。最初「いや俺、同志社行ってあっちで一人暮らしして、もう決めてるから」って。「お前絶対、関西なんか行くな。絶対、中大のほうが勉強的にもサッカー的にもいいよ」ってなんとか説得して。

加納:最終的に「俺中大行くわ」って。そしたら航生、大喜び(笑)
もう階段、ガッガッって上ったらしくて、それで航生のお母さんサエリンは中大に行くんだなって分かったらしい(笑)っていうエピソードがあるね。中大に来るにもいろいろあったんだけど、中大に来て良かったって思う。

ー慶應のお二人はどうですか?

献:俺は早稲田か慶應に行こうかなって思ってたんだけど、慶應はスポセンがないから自分が活躍できそうだなって思ったというのが一番大きくて。もう一つは早慶戦に出たかったなって思ってた。兄は慶應に入ったけど、早慶戦にも出れずに辞めちゃったからそこを自分は目標にしようかなって思ってたので慶應を選びました。

熊澤:僕は高校の時に選手権出れなかったから大学ではサッカー部に入らないかなって思ってたけど、早慶入りたくて受験しました。で、慶應受かった。高校の時は選手権出ようと思ってサッカー部に入ってたけどそれができなかった後悔、心残りがあったし、選手権出ることで今までお世話になった人、小学校時代の監督とかに恩返ししたいなと思ってたけどそれもできなくて…早稲田はスポ選とかセレクションがあって入れなかったと思うけど慶應はそういうのなくて、走るしかなくて入りやすかったのでチャレンジした。献も連絡くれて、宮本くん一個上の先輩とかも連絡くれて入りたいなって。

ー実際に早慶戦とか、慶應にいたらビッグイベントだと思いますが経験してみてどうでしたか。

熊澤:やっぱすごい盛り上がって観客も多いし…なんていうんだろ(笑)

献:結局は冷たい言い方すると早慶の中で盛り上がってるっていう感じにはなっちゃうんだけど、それでも大学生が学生主体であれだけ大きい舞台を作るのはすごいなって思う。裏方の人とかは何ヶ月も前からグラウンド押さえたり色々やってて本当に素晴らしい舞台だなって思うしそこでプレーできたことは誇りに思う。とはいえやっぱり上級生になるにつれてリーグ戦とかの方が昇降格とかかかってくるとそっちの方が重い試合、重い試合というか同じように大事な試合だなって。早慶戦に何か特別な意味を入学当時ほどは思ってないなって思うけど、とはいえプライドみたいなところもあるし、そこはしっかり今は実際に経験してみてこれからも大事にしていかなきゃ行けないなって思います。


◯高校と大学のギャップや違い、変化(戦術やプレースタイル含め)について


航生:サッカー面でいくと、久我山のパスサッカー主体で繋いで魅せるサッカーと中大は結構似てて、中大も大学サッカー内ではボールを大事にして前へ運んでいく効率的なサッカーなので、プレースタイルは本当に細かく言えば違うこともあったけどイメージ的には一緒だった。まあ、もちろん高校3年間一緒にやってきた人達のプレーと比べて、大学入ってすぐの人と合わないとかはあったけど、そこら辺のイメージ的なところではギャップが少なかった印象です。だけどやっぱり立場的にはだいぶ違って、久我山の時は正直人数は多かったけどレベルの差も結構あって、特にその中でも各学年10人しかいないスポ選だったからAチームにいるのが結構当たり前みたいになってて最後の年なんかは自分が調子がよくない試合が数試合続いてもスタメンじゃなくなることはなかったみたいな状況だった。そこから大学に行って、自分は指定校として入ってスポ選の人たちがいる中で競争のレベルが上がった環境っていうのがだいぶギャップだったのかなっていう印象です。

直樹:サッカー的な面で言うと航生がいってくれたから、大体ほんとその通りって感じで。ギャップがあるとしたら慶應の方かなって思うから話を楽しみにしてるんだけど(笑)
練習環境とかだと久我山は一面のグランウドがない。半分が野球、野球のスタンドとかがあって、毎回半分にしてそこにフェンス立てて、練習中野球ボール飛んでくるとか。今のグラウンドの半分をまたカテゴリー4つで4分割して、4分の1でほんとに狭い環境でやってたからロングボールの練習とかも中々できないし、まずゲームも中々できない。ミニゲームが1番大きなゲームみたいなことが平日はよくあること。それに比べて大学に来て練習環境は恵まれてるし、この差はやっぱりあって、大学の方が充実してるなって言うのは感じる。
あとは航生も言った大学になるとレベルも上がってって言うのは、確かに今まで中学高校とかで試合に出れないことがなかったっていう選手が集まってそこで競い合ってできる環境は自分的には楽しい環境だったかなとは思う。今まで何も考えずに幸いにも試合出れた環境だったからポジション争いとかできるのはすごく良い環境だなって思います。

献:プレーのところのギャップっていうと久我山とあんまり大差なくて…

航生:んなわけないやろ(笑)

直樹:嘘つけー!嘘つけ!も失礼だけどな(笑)

献:パスサッカーもしないし、自分が1、2年生の時は1部で戦ってたんだけど、やっぱりスポーツ推薦とかで人を取れない分、足元の技術に固執しちゃうとそこで失って取られて失点してしまう。それよりは、まずしっかりと背後に落とすサッカーだった。しっかり守備をすることに重きを置いてたチームだったので、それが慶應の伝統でもあり、大事だった。高校までの間、自分は守備とか全くしたことがなかったけど(慶應で)守備の練習をして本当に新しい環境だったと今は思ってます。新しいことだらけだったというか、ロングボールで前進するとか久我山では頭にもなかったんだけど、そういうプレーもサッカーだったんだなと。そういう意味では視野が広がったし、そこがいちばんのギャップだな。あとはベースのところで、走れないと話にならないっていうのが慶応ではある。そこを追求する先輩達の姿は刺激的だったし、必死に食らいついていこうっていう気持ちを持ってやれたので、自分としてはギャップではあったけど成長できた点ではあるかなと思います。

熊澤:僕も久我山ではボールを失わないで前進することが大事だったのですごいビクビクしながらプレーしてたんですけど、そう言った意味で慶應はまたちょっと違うサッカースタイルで自分にとっては合ってたかなっていう風に。チームが違えば高校では出れなかったけどチャンスもらえるんだなっていう風に感じました。あとは学生主体。慶應は結構自分たちで練習考えて取り組むっていうこともやってるからそこは違うかなっていう風に思います。

ーそのギャップに苦しむというよりもポジティブに捉えて頑張ろうって思えたのですか?

献:苦しいことはめちゃめちゃあったし、シンプルに高校サッカーと大学サッカーのスピード感も違う。特に慶應は、1年生の時は身体能力高い選手が多く起用されていたんだけど自分は全然身体能力がないのでその中で何を強みにして生き残っていくかっていうのを考えながらやってくというのは難しいところでもあり、苦しい思いもしたけどそれを乗り越えられたから今があるのかなっていう風に思います。
あとシンプルにランがキツすぎてそれまで砂浜で800メートルダッシュしたことなかったので、砂浜でそんなに走るんだっていうのと…あとはクロスカントリーにいって走ることがあるんですけど、そう言ったところはメンタル的なところも鍛えられるんで、是非中央大学も取り入れてみるべきかなっていう風に思います(笑)

ーぜひ中大も取り入れて欲しいね

航生:絶対にやりません(笑)


◯ここまでの大学4年間を振り返って

航生:自分は高校の時は自分で言うのもアレだけど正直結構目立ってたというか…ポジションもそうだし周りにも恵まれて、3年の時はインターハイ・選手権も出て、18試合公式戦連続ゴールとかとって正直結構チヤホヤされたというか大きくドーンって出てたし、周りからもすごいねって言われることが多かった。そこから大学に入って、最初のスタートダッシュは少し切れて、関東リーグ入れたりとかはしたけどそのあとはAチームに絡むこともできず1.2.3年と過ごしてしまって、今年やっと試合に出たり出れなかったりするけどやっぱりスタメンとか主力じゃなくて…んーまあ苦しい4年間だったっていうのは一番最初に出てきちゃう。後悔ではないんだけど苦しかった4年間でした。
こればっかしは正直大学サッカーってやっぱり体格とかも関わってくるし難しかったなっていうところもあるんだけどけど、自分はそうやって高校までは出れてた環境の中から出れなくなるっていうのは、自信を持って大学に入ってきたからこそ辛かった。
あとは同期とかそれこそ維吹とか久我山の時は試合に出てなかったメンバーが試合に出てる姿見たりするとやっぱり悔しかったし、なんで自分はできないんだろう、なんで自分は出れないんだろうっていう気持ちが大きくなって今振り返るとだいぶ葛藤した4年間だったのかなって思います。
4年間振り返って1番大きく成長できたなって思うのは、最初は大学サッカーなんてプロになるための手段としてしか思ってなかったし、中大愛なんてものは微塵もなかったけど、4年間過ごしていく中で寮生活とかをしながら色んな仲間と過ごしていく中でこのチームで勝ちたいなって思ったり、試合に出れない中でも応援であったり普段の練習の雰囲気をよくしてチームの勝利に自分がどうやって貢献できるんだろう、どうやったらこのチームの役に立てるんだろうって考えられるようになったのはすごい大きかったのかなって思います。ラスト何試合があるのでそこで試合に出て活躍することで少しは総決済みたいにできるかなって思ってます。

直樹:大学1年の時、俺は下のカテゴリーで、周りの同期それこそ献とかは試合に出てたし、航生も関東リーグとか天皇杯に出たりもしてて自分は下のカテゴリーで結構悔しい思いをした。多分周りのみんなもそうだと思うけど、中学高校の時は下のカテゴリーから始まるってことはなくて大学に入ってそうゆう状況になって、そこから何をすれば上に上がれるかとか試合に出れるかっていうのを初めて考えるようになって…そこから4年間で成長できたポイントとしてはその時に考えたこととか取り組んだことに対して結果がついてきたことに対しては4年間で大きなものだったなと感じています。
あと入学した時はプロ目指してやってきて、でも入った時は周りのレベルが高すぎて、試合に出れる未来が見えなかった。周りにこいつらいて「これ試合でれるのか?」って思っていたけど、諦めずにそうゆう奴らとやり合って今試合に出さしてもらってる結果は、諦めないでやり続けて良かったなって思う。そこから学んだのは苦しい状況でも考えることをやめないで取り組めば結果もついてくるからやり続けること。これはプロ志望って言ってるけど、この先のサッカー人生も絶対にこうゆう状況はあるから。
あと、今のリーグ戦も苦しいけど、残りのリーグ戦何としても残留に向けてやっていきたいなって思います。

献:4年間振り返るとメンタル的なところは高校の時に航生とかと一緒に怒られる時代があってそこでだいぶ鍛えられてたので怒られても何も思わなくなったんだけど、それをいかに次のプレーだったり次の日の練習だったりに繋げていくかっていうPDCAを回す力だったりはすごく成長したのかなって思ってます。1年生の時から自分がウィングバックだったり、慶應に入るとフォーメーションも変わってたので新しいフォーメーションだったりでプレーすることにも対応することができたのもその力だったと思うし、切り替えの速さというか失敗しても同じ失敗しなければ良いかなって思えるようになったのは高校からの積み重ねであるのかなって思ってます。
その中でいろんなポジションに順応できてるっていうのは自分の強みでもあるし、今もそれを強みにできてるのかなとも思ってます。ただ、4年間振り返ってっていう視点で見ると自分の中で1番変わったのは自分自分っていう風にならずにチーム全体を勝たせるために、さっき航生も言ってたけど、チームを勝たせるために何ができるかっていうのを考えられるようになったかなって思ってます。自分は高校から久我山から入って、ほんとに新しい環境に飛び込んで色んなことを吸収するって言うのを最初は目標にやってて、なんとか先輩とかにくらいつくっていうそうゆう視点でしかやってなかったんだけど、自分が上級生になるにつれて特に今はキャプテンもやってるしその中で1番大事なのって先輩だったり上の人たちが姿で見せて、しっかり下を巻き込んでついて来させるって言うところだと思うから、航生とかもそう思ってると思うけど全然キャラじゃないんだけどだけど、それをあえてやらなきゃいけない立場に自分が身を置くことでそれを意識的に例え別に全然キャラじゃなくてもそれをやってることでついてくる後輩だったりいると思う。チームとして引っ張っていかなきゃいけない立場っていうのは良い経験になってると思うしそこは1番自分が成長できたポイントかなって思うんで、残り6試合しかないけどそこも全部勝っていけるように1試合1試合に力込めていく、自分が背中で魅せていくっていうところはほんとに4年間通して得られたところかなっていう風に思います。

熊澤:僕は大学で環境に恵まれてトップチームに早いうちから関わることができたことはすごい幸せなことだと思ってたんだけど、実際僕が入部した時は関東1部という舞台にいて、そこから2年3年で1個ずつ落ちて今3部にいるっていうことを考えて自分はこれだけチャンスがたくさんあったのにこうゆう風にチームの状況になってしまったことにすごい責任を感じているというか…
残り今年何としても昇格させて後輩に良い舞台を残したいなと思えるようになりました。


◯大学サッカーを志す人とか久我山の今の現役の部員に向けて

航生:やっぱり大学でサッカーをやるってことは高校までと違って、大学ではサークルとかサッカーを続ける手段はあるけど体育会サッカー部を選ぶっていうのはやっぱ意識の高いやつとか技術の高いレベルの高い選手が多いから競争も激しくなる。慶應は走りが多いと思うけど辛いこと苦しいことっていうのはやっぱり多くある中でも、その分人として成長できるというか人として考え方であったり大学サッカーって高校までと違って自分たちで考えて運営とかももちろんそうだけどサッカーも自分たちで考えてやることも大人だし多いけど、人として成長できる舞台だなって思います。プロになりたい人は絶対に迷いなくくると思うけど、どうしよう大学でサッカーしようかなって迷っている人たちはすごくおすすめするし、4年間本気でサッカーできるのは学生が最後だと思うから良いと思います。
あとはその分苦しいこともあるって言ったけどそれを一緒に乗り越えた仲間達との思いや絆っていうのもすごくあるから俺は久我山のメンバーもすごい仲良いけど中大のメンバーとも一生付き合っていきたいなって思えるような仲間です。おすすめっていうか大学サッカーを志す人たちはそういういろんなメリットがあるので飛び込んでみるっていうのはすごい良いと思います。

直樹:大学サッカーを志す人へ?

航生:そう言ってるやん(笑)俺さっき迷ってる人向けに言ったから、大学サッカーに進むことを決まってる人視点で言ってよ。

直樹:スポ選じゃないやつに向けて言うわ。スポ選はもう入ること決まってるけど、指定校でどっちにも選択肢があって体育会を選ぶ人に対しては、その選択絶対間違いじゃないからって感じかな。
もう楽しいっていうか素晴らしいよね、素晴らしい環境です、大学サッカー。
素晴らしい仲間にも出会えて、素晴らしい経験もできて、こんな悔しい気持ちとか嬉しい気持ちっていうのは他では経験できないと思うからキツイけど、そのキツい経験も他では味わえないしその感情の経験がここでしか味わえないからナイスだよ。素晴らしいよ。

航生:なにそれ(笑)

献:語彙力やば(笑)

直樹:ナイスですよって(笑)

献:これは大学サッカーを志す高校生に向けてってこと?

航生:だからそう言ってるやん(笑)

直樹:何回目(笑)

献:別に大学サッカー入らなくてもサッカーってできるし、どこでもできると思うから大学サッカーに入る必要もないと思うんだけど1番本気で何かを掴みたいだったり何かに本気でかけてみたいっていう思いがある人はやっぱりここでしかできないと思うし、それじゃなきゃ苦しいこととか乗り越えられないと思うし、そこのメンタルの強さはどのステージに行ってもこれからの社会で必要だと思う。そうゆう気持ちを育てたい人は入るべき。そうするよりも他のことをやって色んな視点を持って学びたい人はそれは大学サッカー入るべきじゃないと思う。ただまあ大学サッカーに入るんだったら全てをかけてできる人が入れば良いと思うんです。覚悟が必要かなって思います。

熊澤:僕は高校出れなくて大学で環境があったっていう経験から高校時代に出れなくてもチームの戦術だったり、環境次第で立ち位置も変わるなってすごい思ったから、今出れてないから大学では諦めようとかって言う風には思い込む必要はないのかなって思います。

ーありがとうございました。


インタビュアー・編集:鈴木愛理(中央大学学友会サッカー部マネージャー)
編集:奥村杏(中央大学学友会サッカー部事業本部)


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