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できること、できないこと

すこしげんきがなかったのと、書くネタがマンネリ化してたのと、普通に忙しかったのもあって、停滞気味。

特に今日はひさびさのタナタナ襲来により、ずっと臨戦体制だった。
死にたいと死ぬのが怖いが、太鼓の達人みたいに次々やってきた。

ただしどんちゃん優勢。
 
だんだん疲れておくすり恋しすぎた。

元々1錠とはんぶんだったおくすりが、2錠とはんぶんになった。

調べてみたら、別々で飲んだ方がいい?らしい。

夜にふたつぶのめってかいてあるけど、勝手に変えちゃダメだよね。はうう。

からだとこころの限界を迎え、発作が再発して、うつを併発して、治療をはじめて、できることとできなくなったことがある。

まず、できること。
発症前と同じルーティンはこなすことができた。
朝起きて、機械的に準備をして、機械的に家を出て、バスに乗る。

バスでは、なるべくいろんなことを考えないように、ほぼ寝る。

家に帰ったら、コンタクトをとって、風呂に入って、洗濯をして、寝る。

生活に必要なルーティンはできた。

あとは、朝起きて夕方までゆっくりお散歩することも問題なかった。というか出た方がなんとなく調子がよかった。

次に、できなくなったけど、お薬飲むようになってできるようになったこと。

まずはご飯。
食べれなかったのが、割となんでも食べれるようになった。

次に掃除。
体調が良ければ、もともと掃除は好きだったのでできる。細かいところまで割とできた。

あとは音楽を聴くこと。
毎日外に出る時は音楽を聴くのがルーティンだったけど、なぜか全て煩わしくなり、何も音楽が聴けなくなってしまった。

今も調子によって聴ける音楽と聴けない音楽があるけど、割となんでも聴けるようになってきた。

夜のバスも、実は苦手だった。
閉塞感、疲れからなのか酸欠?で、頭痛くてずっと一歩手前、って感じだった。
スマホ見て気を紛らわそうとすると、今度は車酔いで気持ち悪くなるので、じっと目的地に着くまで耐えてた。

今日みたいな日はキツイけど、割りかし乗れるようになった。

最後に、できなくなったこと。

まず、歴史の話題全般。

わたしはタナトフォビア(死恐怖症)とアペイロフォビア(永遠恐怖症)をもっている。

お薬の効果は、たぶん考えないようにするだけであって、考えてしまうと恐怖くんがこんにちはする。

だから、アペイロフォビアのトリガーとなる“歴史”の話題は、何も聞けなくなってしまった。

特に地球の起源とか、果てしない時間を感じる話題はどうしても聞くことができない。

次に、宇宙の話題。

これもおんなじで、“永遠”に続くという概念そのものに恐怖を感じてしまう。

わたしが死んで、いずれは西暦3000年、4000年となっていく。

その永遠の時の流れが怖い。いまも打ちながらぷちぱにっく。

あとは、料理。

そんなに嫌いでもなかったんだけど、キッチンに立てなくなってしまった。

やろうと思えばできるんだろうけど、なぜかできない。

まあ買えばなんとでもなるし、これは大丈夫。

お薬を飲むと、多少持っていかれそうな意識が現実に帰ってくる。

でも恐怖は消えたわけじゃなくて、すぐ後ろに立ってるだけ。

わたしが振り返ってないだけ。

Abemaで同じような症状の方の特集があったけど、やっぱり無理だった。

お薬で治療をはじめて、確実に元の生活に少しずつ戻れてはきている。

寛解はきっと難しいのもわかってる。

今はただ、明日はもっと楽になれることを信じて、耐えるだけだ。



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