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それぞれの死生観

今日は、飲み会だった。

前回発作を発症しかけたので、おくすりでたたかってるあいだはおさけは飲まない。そう決めてた。

でも、今日は気持ちが爽やかだった。

いけるきがした。

いつもどおりにおさけをのんでしまった。

でも、調子は落ちてない。

飲み会の場では、ひとまわり上の先輩たちと飲んでた。

ふと、健康の話になった。

わたしは去年の健康診断で、心臓がB(といっても、よくあることらしい)だったくらいで、他は健康だった。

ひとまわり上の先輩たちは、健康診断でEだったり、そんな話をしていた。

でも、「もう十分楽しんだからいつ死んでもいい」と言った。

え、もう?

でも、おさけであたまがにぶっていたわたしは、「まあ、そんなもんなのか」となんとなく腑に落ちてしまった。

わたしの死への恐怖、生への執着はなんなのだろうか。

先輩は、やりたいことをやって、休む暇もなくアクティブに活動し、充実しているが故に、そんなことを考えもしないのだろうか。

わたしは、現状に満足できていないのだろうか。

それは、わたしの力不足であることを自覚しているが故に、まだやりたいという思いからくる“終わり”への恐怖なのだろうか。

若くして健康診断でEがつく、脂質異常症だ、ということは、不安にはならないのだろうか。

なんだか、人の数だけ死生観も違うことを思い知らされ、おさけをのんでいても不思議とパニックはやってこなかった。

なんだ、不思議だ。

わたしも、やり切ったと思えればこのパニックの恐怖から逃れられるのだろうか。

そんな一縷の望みに希望をかけ、今日もちいさなおくすりをのんだ。

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