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【6月16日】代償
わたしは、言ってませんでしたが(自己紹介で言ってたけ?)サッカー観戦が好きです。
当然自分では動けないので、見る専です。
私の地元は、なぜかホームタウンの空白地帯で、割と街全体で一つのチームを応援!って雰囲気がない。
なのでわたしもサッカーそのものにこれまで興味がなく、むしろサッカーやってる人はチャラい、怖くてようきゃさんだ、って思ってた。
でも大きくなって、むしろ意外と野球の方がスキャンダラスな話はよく出るし、サッカーの「みんなで闘う」感に感銘を受け、すっかり虜になってしまった。
先述の通り、ホームタウン空白地帯で生まれ育ったので、ぶっちゃけどこでもよく、始めは連れて行ってもらった子が応援してるチームを成り行きで応援した。
いわゆる上位チームではないけど、サポーターさんたちは他のチームほど殺気だったりせず、それでも次に向こうという空気感も、なんとなく好きだった。
本題の話。
調子が悪くなってから、初めての現地観戦だった。
先週、サッカーなんて見れるような体調じゃなかったけど、幸いシーズンマッチがお休みの週だった。
現地の、しかもゴール裏。
声を出して、みんなで応援するのは好きだ。たのしい。
酸欠になるくらいおっきな声で、90分応援した。
これがいけなかったかもしれない。
酸欠になるくらい叫んで、ふと大きなスタジアムを見た時に、これもいつか消える、サッカーというスポーツ自体もいつか消えるかもしれない。
私もいつか応援できなくなる時が来る、
たなたな久々の再来です。
これまでは、「自分が死ぬこと」は割とすんなりで、その後の「永遠に続く時間軸」が恐怖の対象だったのが、今日は「自分が死ぬこと」にベクトルが向いてしまった。
ぐーるぐるしながら、パニックになりそうな体を押さえながら、なんとか家まで帰った。
「全力で」「命を削るほど」がんばると、体はあぶなーいっ!って信号を出す。
きっとこの信号が過剰に反応することが、恐怖のトリガーなんだろうと思う。
命の危険を感じると、咄嗟に、一気に恐怖の波が押し寄せてくる、
自分が好きな、楽しいことに熱中すれば忘れられると簡単に思ってた。
悔しいことに、楽しいことを全力で楽しんだ代償は、自分が思っていた以上にとっても大きかった。
調子は良くなっても、まだまだ治ってはいないんだなって、実感した1日だった。
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