果実は女の膣

日当たりの良い部屋のテーブルに、果実を置いたままにしている。果実というのは水分が多く、常温でも少しひんやりとしているからだ。

人肌に最も近づけるためには、この方法が一番良いのである。 

太陽光にさらしておくと、果実は次第に傷みはじめるだろう。ぱつぱつと張りのあった表面は柔らかくなり、重力に従って爛れていこうとする。締りのなくなった表皮は中の水分を留めきれず、机には果実の汁が染み、周囲にはかなりきつい匂いを撒き散らす。まともに嗅ぐと、鼻の粘膜が突き刺されるほど痛く甘い匂いだ。しかし、そうなった頃が、果実の本当の食べごろである。 

無論、それは食すのには向いていないだろう。
食べることはできなくはないが、不快な匂いと食感を携えたそれが、食べごろであるとはあまり言い難い。では私が何を持ってその腐りかけた果実を食べ頃だなどと言っているのか。 

それは、果実の事を深く深く考えて行けば自ずとわかってくることだ。 

果物というのは親元(茎)から外れ、一人(個体)となった途端急速に熟成を始める。先に書いたように、日にさらすとそれは早まり、冷蔵庫などで冷やせば緩やかな速度で、しかし確実に変化をしていく。
まずは、色や形、それから匂い、食感、味など、様々な変化がその秘められた内部で起こっていく。賞味に適す限られた期間を過ぎ、腐敗するしかなくなってゆくあの姿。食べられることを自らの希望としていたにも関わらず、それがとうとう果たされないまま、戻らぬ若さに追い縋るように最後の力で痛々しくも甘い匂いを振りまくのだ。
最後の瞬間。腐敗する宿命。その時だけは果実自身も、宿命を理解しているように見えてならない。 

果実というのは、なまものである。したがって保存食にはまるで適さない。例えば果実を一度ミイラにしてやればそれを保存食にすることは可能だ。しかし、以前の瑞々しさ、溢れ出る果汁、ぷちぷちとしたハリのある食感を全て失ってしまったそれは、果実と呼ばれるのには全くふさわしくない別のものになる。
新鮮でないと美味しくはないし、さらにその成長過程でも変な虫がつかぬよう気をつけなければならず、本当に手のかかるものなのである。勿論、手をかけるほど美しくなるのではあるが。 

こうして果実の特性を深く考えていけば、見えてくるものがあるだろう。
果実が息をしていること。手をかけねば危うい生き物であること。水分に満ちた表皮の内部がどれだけ繊細で、そしてどれだけ甘いものであるか。そうしてそれらのことは自ずと、私を一つの答えへと導いてゆくのだ。
果実がつまり、女と同じ生き物であるということ。
もっと言えば、あれは女の膣そのものである、という答えに。 

私は熟れていないフルーツが嫌いで、そしてそれは親離れしてない子供を性交の相手にしないのと同じだ。
私はドライフルーツが嫌いで、そしてそれはミイラと性交したくないと言うことと同じだ。
果実は人肌がよく、柔らかくぐじゅぐじゅに熟れた時期がよく、少し傷んでいるくらいの頃が、本当の食べごろなのだ。 

しかし私は、果実を女性に表すことに対し、耽美云々と酔いしれてるわけではない。
私は本当に、実際に、果実を女として使用しているのだから。 

果実は人肌に温めてある。表皮は静かに爆ぜて、割れたり凹んだり爛れたりしたところから、中の蜜が溢れ出してきている。この状態の女が目前にあって、男である私がしなければならないこととは、なんであろうか。 

考えるまでもない。挿入。ただそれだけのことである。 

果実は私を迎え入れる準備を、ひっそりと行っているのだから。あの痛く甘い匂いが漏れ出す時、それは挿入可能であるという果実からの合図であり、それに応えるべきは私の宿命である。 

今日も私の支配下ではいくつもの膣が準備を行っている。
いくつもの膣が並んで私の挿入を待ちわびている。 

果実は女の膣である。 

私も、甘く苦しい蜜を垂れ流す膣をいくつも眺めながら、自らの準備を終える。あまり待たせてはいけない。今朝から入り口を開きっぱなしにしている卑猥な一つを手に取った。
もう十分すぎるほど、今日までじっくりと眺めてきたのだ、お前が成熟する姿を。
私は躊躇なくその爛れた表皮の裂け目に挿入する。
処女である果実はグチャグチャと音を立てながら、その繊維の内部へ私を引き摺り込んでいった。


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