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福島祥之「挫折から改めて見出したやりたいこと」 クラウドファンディングインタビューリターン

「大学生活をもっと充実させたい!」「やりたいことを見つけたい!」という想いを持ちながらも、なかなか行動に移せない北海道内の大学生に向けた連載企画「Knows」。

今回は先日終了したクラウドファンディングのリターンとして行ったインタビュー記事をお送りします。

支援してくださったのは室蘭工業大学理工学部3年の福島祥之さんです。
↓が福島さんのInstagramです。

医学部を目指していたものの現実と理想の差に打ちひしがれ、うつ状態になってしまった福島さん。結局、当初志望していた学校とは異なる室蘭工業大学理工学部に入学します。そんな辛い状態の福島さんを救ってくれたものとは?また、現在の福島さんが全力で取り組んでいる活動とその想いとは?


プロフィール

福島さんプロフ2

福島祥之
伊達市出身。室蘭工業大学理工学部3年。
趣味は登山。
伊達紋別岳の登山道整備活動がきっかけで地域に関わり始める。

地域医療への想いと山岳部

福島さんバド

ー小学生の時はどんな子どもでしたか?
「小学校1年生の頃からバドミントンをやっていました。小学校に上がるまで毎年入院するくらい身体が弱かったんです。、地元に少年団があったバドミントンをやることになりました。

あと、子どものころから自分の好きなものを追求する性格でしたね。」

ー何が好きだったんですか?
「動物とか恐竜とか昆虫です。小3くらいまで図鑑が友達みたいなところはありました(笑)。」

ーなんで図鑑が好きだったんですか?
「身体が弱くて外に出てワーワーできなかったので自然と本が近くにありました。それでだんだん好きになっていったんだと思います。」

ー中学生の時は何をしていましたか?
「中学校にバドミントン部が無かったので科学部に入りました。中学校の頃は課外活動よりも医学部を考え出したことが記憶に残っています。元々身体が弱かったので比較的身近で医療現場を見ていたし、地方出身ということもあって地域医療に貢献したいという想いがありました。あと、『医龍』『コトー』みたいなドラマにも憧れがあったことが理由です。」

―自分の身体が弱かった分、自分と同じように苦しむ人を減らしたいという想いだったんですか?
「医師不足を肌感覚で感じていたので自分が医師になって地域医療をやりたいなと思い始めました。」

ーでは高校は進学校に進まれたんですね。
「はい。胆振管内では一番レベルの高い高校に進学しました。医学部を念頭に置いていたので頑張って勉強していました。

また、高校の時に山岳部に入って登山と出会いました。」

―何で山岳部に入ろうと思ったんですか?
「小学校はバドミントン部で中学校は科学部だったので、『なんか新しいことをやりたいな』と思ったんですよね。この頃は自分の身体も強くなっていて、身体を動かしたいなと思ったので『これだ!』と思って登山を選びました。当時、部員も多くなくて、新しく組織を作っていけることにも魅力を感じました。」

―入部して登山にのめり込んでいったんですか?
「1発目の登山でどっぷりハマりました。その時は土砂降りで霧がすごかったんですけどね(笑)。

山岳部には色んな思い出があります。高体連で自分がリーダーを務めて羊蹄山を登り始めたのに、自分だけリタイヤしてしまったことがありました。この時にリタイヤしたおかげで登山の奥深さを知り、今でも登山を続けているのかもしれませんね。」


浪人とうつ状態

福島さん受験

ー受験勉強はどうだったんですか?
「高2の途中までは順調だったんです。でもちょっとずつ理想と現実のギャップが生まれ始めました。そして高3の春くらいにそのギャップが爆発してしまって不登校になってしまいました。

当時は認めたくなかったんですけど、『医学部に行きたい』という理想と現実のギャップで精神を病んでしまったんです。2か月くらい不登校の期間が続いて何も手につかなかったんですけど、卒業はしなければいけないと思って身体も精神もボロボロの状態で何とか学校には行って卒業しました。

でも諦めきれなかったので、浪人して札幌に出ることになります。それでもまた再発してしまって。だから1年目の浪人期間は浪人しながら闘病する日々でした。

そして浪人も2年目を迎えて地元の胆振地方に帰ってきました。ここで医学部を諦めるという決断をしました。医学部を諦めること自体が僕のうつ状態を治す治療だったのかもしれません。」

ーそれで結局地元の大学の室蘭工業大学に進まれたんですね。


地域に飛び出す

福島さん大学

ー大学に入ってからは何をしましたか?
「すぐにワンダーフォーゲル部(山岳部と活動内容は近い。以下、ワンゲル部)に入りました。平日は勉強して土日は山へ行くということを繰り返していた1年間を送りました。もう一度登山に夢中になれたことが精神的に良かったんだと思います。」

―大学2年生になってから変化はありましたか?
「コロナですね。大学1年生の1月くらいにコロナが流行り始めました。実はその時、大学の授業で中国の武漢の協定校に行こうとしていたんです。そのせいもあって日本人の中でもだいぶ最初の方にコロナに気付いたんじゃないかと思います(笑)。

それから北海道にもコロナがやってきました。ワンゲル部の活動もすごくやりづらくなってしまいました。でも僕は趣味が登山だったので、好きな時に自由に登山がしたいと思ってワンゲル部を辞め、個人で登山することにしました。

しばらく、部活を辞めて余った時間をどう使おうかと考えていたんですが、たまたまバイトを通して地域の中のハブ(中心)のような方と繋がることができました。その方の紹介で登山道整備の活動に参加したことがきっかけで地域活動に時間を使うことが増えていきました。

元々地域課題解決をやりたいと思っていたこともあって、登山道整備の活動が僕に火をつけてくれたような感じでしたね。僕の趣味である登山を通じて地域活動に関われたので、僕にとってはすごくハードルの低い第一歩でした。

僕は、登山道整備は新しい時代の新しい登山の在り方だなって思っています。」

ーどういうことですか?
「今までの特に近代以降の登山は地理的な空白部を制するものでした。でも今って地球上で人の痕跡が無い場所って山を含めてほとんど無いですよね。じゃあ登山をどう捉え直すのか。

登山道整備は今ある人の手が入った自然環境資源をどう持続可能にしていくのかを考えることだと思っているので、僕はすごく魅力を感じています。

また、市役所が主催する『みらい塾』という地域活動に参加したことで地元の面白い方々と出会うことができました。この活動を通して自分が地域で動かなければいけないんだなと気付くことができました。

みらい塾

ー『みらい塾』ではどんな経験をしたんですか?
「『みらい塾』は北大の公共政策大学院の先生を講師にして、伊達市役所の人たちや参加者の方々と一緒に地域について考えることのできる場所でした。僕は参加者の中で最年少だったんですが、地域の面白い方々と一緒にデータをもとにしてディスカッションするという経験ができました。

地域の人口動態など結構生々しくショッキングなデータに対して危機感を感じたのと同時に自分たちが主体的になって動かないといけないんだなと感じました。

この『みらい塾』で出会った方のイベントをお手伝いさせていただいたこともありましたね。」

ー2年生になってからすごく活発に活動されて、色んな方と出会ってこられたと思うんですが、発見や気付きはありましたか?
「人と会うことによっていろんな人生を知ることができました。人の数だけ正解があるんだなって改めて知ることができたと思います。ちょうど自分のキャリアについて悩む大学生という時間で色んな方と話す経験は大きいですね。」


座右の銘

ー福島さんには座右の銘があると伺いました。
「はい。1つ目は『病を癒すは小医、人を癒すは中医、国を癒すは大医』という言葉です。僕が医学部を諦めることができたのはこの言葉のおかげでした。

天野篤さんという天皇陛下の心臓バイパス手術をしたことのある方の本を読んでいた時にこの言葉が出てきたんです。『良い医者は病気じゃなくて人を見ている。さらに良い医者は世の中全体を良くすることを見ている。』という意味です。

僕はもともと地域課題解決がしたくてその手段として地域医療を志しました。でも地域医療以外にも取り組み方ってたくさんあるんですよね。自分が方向転換しようか迷っているときに僕を肯定し、背中を押してくれたのがこの言葉です。自分のやりたいことを実現するためには医者になる以外の選択肢もあると気付くことができました。

2つ目は『一芸一事に達する者はたとえ山中に隠るるとも大いにその国の福分を益す』です。浪人時代に自分がたまたま見ていた歴史番組に出てきた南方熊楠の言葉で、僕が地方にいるからこそすごく響いた言葉でした。この言葉をものすごく要約すると、『どこにいるかじゃなく、何をするか』という意味です。」

ー先ほど、『自分のやりたいこと』と言ってくださいましたが、地域に関して、理想の地域の形はありますか?
「あえてそれは作らないようにしているんです。僕も昔は確固とした理想があって、それに向かっていくのがすべてだって思っていました。でも、コロナを経て不確実なことが当たり前だと気付いたんです。だから、あえて理想を作らずにその場その場で最適な決断をしていくことの連続がすべてなんじゃないかと思うようになりました。

もちろん、どっちが正解かは分からないですけどね。

今後の展望とメッセージ

福島さん最近

ー福島さんの今後の展望を教えてください。
「引き続き地域課題解決を軸に置きつつ、研究室が始まったので学問の方で結果を出したいと思っています。あとは地域の中で同世代の仲間を増やしたいです。今のままだったら若者が地域に関わる流れが数人の単発の動きで終わりかねないので仲間を増やすことが課題です。

あとはあちこちでかけて色んな山にも登りたいですね。」

ーでは最後に、想いはあるけど動きだせない大学生に対してのメッセージをください。
「僕自身、精神を病んだことがあるから言えることかもしれないんですけど努力しよう努力しようと思わない方がいいと思うんです。努力じゃなくて熱中とか没頭することが大事だと思います。熱中・没頭の力って努力を上回るからです。」

ーそもそも熱中できるものが見つからない人はどうすればいいと思いますか?
「まずは動くことじゃないですかね。無計画でもいいので行動すること。色んな動き方をしてみるといいと思います。何が、いつ、実を結ぶのかは分からないので。自分はどうなりたいのか・自分は何を大切にしたいのかという価値観を持ち続けながら動き続けることが大切なんじゃないかなと思います。」





以上でインタビューは終了です。精神的に病んでしまった経験のある福島さんだからこそ、伝えることのできるメッセージがたくさん詰まったインタビューでした。特に福島さんの座右の銘や最後のメッセージは僕自身、これから大切にしなければならないなと感じました。

世の中にはたくさんの選択肢があるのにもかかわらず、一つのものに固執してしまったり、とにかく努力することに取り憑かれてしまったりすることが多々あります。でも大切なのはそんなことじゃなくて「自分がどうなりたいのか」「何を大切にしたいのか」。毎日熱中して生きていけるような人生を歩みたいと思います。

福島さんの人生を書いたこの文章から何かのきっかけを得てもらえたら嬉しいです。最後まで読んでいただきありがとうございました!

取材・文:金子

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