本質的な色

僕は博多の街を歩いている。特に理由はない。

この町には色があるような気がする。故郷の名古屋、家のある東京、そしてここ、博多。それぞれ色が違う。

名古屋は黄色、東京は白、博多は赤。ただの妄想だ。

日差しを高いビルが遮る、その下を歩く人間はみな同じ顔をしているようで、実際のところは同じ顔の人間などいない。人間において顔はさして重要ではないのだ。もっと内側に蠢く虫のようなものが人間の本質なのだ。

それを分かっていながら人間は顔を重要視する。そして性格も。しかしそんなものは表層でしかない。食品サンプルを見て食いついてうまいといっているようなものだ。

博多の街を歩いていると、一人の絵かきと出会った。そいつの名前は優というらしい。

優はいろんな絵を書いていた。油絵も水彩画も水墨画でさえも、そしてそれらの道具的差異ー実際のところ道具的差異と言っても根本的差異ではあるもののーだけではなく、抽象画も書けば、風景も人物でさえ書いた。

それらの絵は素人の僕の眼からすれば良く描けており、それなりに必要とされる絵だった。少なくとも消費される絵ではなかった。

「今は何を描いているの?」僕が彼にそう尋ねると、

「僕は今、本質を探してるんだ」といった。

それから少し彼のことを待つと絵は完成した。そこには赤い川と白い太陽と黒い虹が描かれていた。これが彼の言う本質らしい。僕にはよくわからなかった。

「僕のことも描いてくれない?」

「良いよ、どんな風に描いてほしい?」

「どんな風に?それってどうゆうこと?」

「簡単だよ、時間がある限り、空間がある限り人間の姿も形も少しずつでも変わっていくもんだよ。それはミクロに見ると変化はない。でもマクロに見ると大きな変化だ。塵も積もれば山になるというけどあながち間違っていない。つまりね、僕が君を描いてる途中にも君は変化してしまうんだよ。

つまり、見たままを写すことは不可能なんだ。それこそ時間を止めない限りね。

だから僕は本質を探してるんだ。でも君の本質を描くにはまだ時間が少なく過ぎる。

時間というのは重要ではないけど必要だ。お金みたいなもんさ。

だから君に君自身の本質を教えてほしい。今すぐ描くにはそれが重要なんだ。それがどんな風に描けば表現されるのか、君に聞いているんだよ」

「なるほど、じゃあ僕は鉛筆で描いてほしい。それにとても薄く、そして抽象的に」

「良いよ」

それから二時間して彼は絵を描き終わった。その絵はとても儚く、そして僕の周りを人が囲んでいた。中心に僕がいて、ただ目を閉じていた。

僕は彼にお礼と一万円を彼に渡しー彼はこんなにもらえないといっていたが、僕の気が済まないといってて握らせたーホテルに戻った。

ホテルに戻って僕はビートルズのノーウェアマンを聴いた。僕の所在は今どこにあるのだろう。博多か、名古屋か、東京か。

絵の中の僕は煤けたようにただ眠っていた。




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