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親の家を片づけながら

親の家を片づけながら
リディア・フレム(著)、友重山桃(訳)
ヴィレッジブックス
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ひとつ前に松本明子さんの実家じまいについての本の感想文を書いたんですが

こちらは「当初思っていた」通りのエッセイとか日記的な方の実家じまいの記録本ですね。しかも内容がまあまあ重ためだったので、気落ちしているとき向けじゃないかもしれません。そこは読むタイミング注意な本です。

親御さんを亡くすのはもちろんショックなことではあるのでしょうけれど、なんといいますか…片付けに対してすごいヘヴィーな考え方をするなあ、て思っていたら、作者さん精神分析の学者さんだそうで、ああ、なんというか、道理で…と思ってしまったというか。ご自身の気持ちや考えをものすごく深く掘り、言語化することに長けていらっしゃるんでしょうね。
いえ、感傷的になるのは当然だと思うんですけれど、
「ただ「相続者」になったというだけで自分が父や母の持ち物をどうにかしていい権利があるのか」
というところでものすごく葛藤されるんですね。
ただそれが悲しみにのみ基づく話かというとどうやらそういうわけでもないようで、いや、これも作者さんの筆力だとは思うんですけれど、ものすごくむき出しの感情を、言葉を尽くして丁寧に丁寧に綴ってありまして…
つまり、こう、いささかアテられるみたいなところがありますね。
読み終わったあとに冒頭を読むと、この描写も作者さんが悲しみに向き合うのに必要だったのかなと思うのですが、最初の記述の印象は少し不思議さを感じるところから始まります。

ただこれ、作者さんが外国の方なんですけれど、ご家族の歴史があまりにも重すぎるところもあって「遺品」への考えが家族の思い出や歴史と連動してしまって余計にヘヴィーな記録になってしまっているのですよね。
作者さんの実のお祖母様がアウシュヴィッツのガス室で亡くなられているくだりがあって、これはご遺族の心情を描写した大変貴重な記録と思うものの、優れた本というのはその描写で読み手が「疑似体験」してしまうこともあるので…
残された物を見てそれらの処分を考えるごとに、作者さんは歴史の苦い所業で亡くされたお祖母様や、母親をそんな形で亡くされたお父様、そのお父様を配偶者としたお母様もまた収容所の経験があり…
国の歴史とはいえ、ある程度の年齢の方の抱える歴史が、遠い教科書の中の世界のようでいて決して全く異世界なほどの他人事ではない、こうして擬似的にでも触れることが出来てしまうぐらいの距離なのだと真正面から突きつけられた感じがして、あの、知らなかったとはいえこの本を手に取る覚悟が無いまま真正面からくらってしまった、と思いつつ読み進めました。
全然前情報無しで「へー。片付けジャンル?」て手に取ったらこれですよ。読書にあんまり多すぎる前情報いらないかと思ってたんですけれど、たまにこういう不意打ちがあるからなあ…
でもこういう不意打ちを食らうのも読書の醍醐味かな。

で、読み進めていくうちに、冒頭の
「そこまで片付けを重たくとらえなくても…」
て思っていた部分が、
「いや…この家と歴史の片付けはたしかに人ひとりには重たすぎるわ…」
に変わっていくんですね。これは片付けの本ではなく、ひとつのおうちの歴史の記録ですね。

途中から片付けの手にスイッチが入り、具体的にものの処分が進む描写があるのですが、著者さんにとってこの片付けはもちろん、この本を書き起こすことが喪失の気持ちの整理にもおおいに役立ったのかなと思います。
わかるうー。記録だったり日記だったり、書いて表に出すことで気持ちや考えが整理されるものね。タイトル通り、親の家を片づけ「ながら」、著者さんはいろんな決着をつけたのかと思います。

上記の通り、この本を読むことで疑似体験する出来事がいささか重たいため全力で「いいよ!おすすめ!」と言いづらいのですが、もし思い出系のことで何か心に抱えるものがあって、それをうまく消化出来ないでいる人がいるのならば、この本のように問題のルーツに向き合う時間を取るのも良いのかもと思います。
で、その向き合い方や始末の付け方などの、考えるきっかけ…お手本になるのがこの本の内容かもしれません。
きっかけや見え方は「亡くなった親の家の後片付け」ですが、思い出や喪失感との向き合い方を知りたい人はぜひ。

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