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罪人達の船 第三章

罪人達の船 第一章
罪人達の船 第二章
 
 悪とは何か? 弱さから生ずるいっさいのもの。
 ニーチェ

 恐怖の一夜が明けた。
 昨日言った通り朝になったら村人全員が宿に集まるということで、フロアの暖炉にはいつもより早く火が入れられていた。
「泊まってる皆は無事だったようだね」
 レジーナが溜息をつきながら朝食の準備をする。幸いと言うべきか、この宿にいる者達は不安な表情を浮かべながらも全員がフロアに集っている。ただアルビンは、昨日ゲルトを発見した後からずっと無言だった。無理もない。聞いただけでも酷い惨状だったという。それを何の前触れもなく見てしまったのだ。
「大丈夫かい、アルビン」
 レジーナが手渡したコーヒーの入ったカップを、アルビンは両手でしっかりと受け取った。それでもまだ手先が震えている。
「え、ええ、大丈夫です、私は大丈夫です」
 フリーデルは、カウンター席で宿の入り口をじっと睨み付けている。ニコラスはリーザに本を読んでやっている。後は全員が無事に来てくれれば。
「お願いだから、皆無事でいておくれよ」
 レジーナは祈るような気持ちで、スープを作り始めた。

 宿に最初に入って来たのは、オットーとカタリナだった。
「おはよう。焼きたてのパンとカタリナが作ったチーズを持ってきたから、朝食に使ってくれ」
 オットーはそう言って持っていたバスケットをカウンターに置くと、フリーデルの方を一瞥してから離れた場所に座った。カタリナもオットーの隣にちょこんと座る。
「ありがとう、二人とも。何か飲むかい?」
「……暖めたミルクをもらえるかしら。ちょっと胃の具合が悪くて」
 カタリナはそう言いながら無理に笑おうとした。昨日からカタリナは何だか酷く怯えているようだ。それをオットーが優しくなだめている。
 その次に来たのはジムゾンとディーターだった。二人とも皆に挨拶をしただけで、無言で空いてる席に座る。そしてヴァルターにパメラ、トーマスにヤコブ。皆一様に神妙な顔をしながら、お互いの表情を読みとろうとしている。
「ヤコブは昨日星読みをしたのか?」
 パイプに火を付けながら聞くヴァルターに、ヤコブは自信なさげに頷く。
「ああ。オラの星読みでは、モーリッツさんは人間って出ただよ。後は、無事に来てくれればいいだけだ」
「まあ当然の結果だろうな」
 トーマスがそう言ってコーヒーを一口すすった。皆、モーリッツが人狼であるはずがないと思ってはいるのだ。だがもしかしたら……という気持ちも心の何処かにある。
 卵料理やスープがテーブルに並び始め、レジーナはそわそわとドアの方を見た。
「ヨアヒム達はどうしたのかねぇ。こんな時まで寝坊とか言わないでおくれよ」
「見に行ってくるか?」
 ディーターがそう言ったときだった。宿のドアが勢いよく開き、そこには肩で息をするヨアヒムが立っていた。
「ご、ごめん。こんな時になんだけど、寝てた。急いで来たんだけど、僕が最後だよね?」
 ヨアヒムはよろよろと、倒れ込むように椅子に座る。相当急いで来たのだろう。着ている上着の前は開いているし、靴の踵も踏んだままだ。パメラが水を持ってきて、ヨアヒムの乱れている服を直そうとする。
「いや、まだペーターとモーリッツが来てねぇな」
「おかしいですね。モーリッツさんはいつも早起きですから、とっくに来てそうなものですけど」
 ディーターとジムゾンは顔を見合わせた。
 襲撃はしていない。だから今日ここには全員来るはずだ。なのに、どうしてモーリッツが来ていないのだろう。
『誰か、俺に黙って襲撃とかしてねぇだろうな』
『私は貴方と一緒に教会にいましたから、それは無理です』
『リーザも昨日はちゃんと寝たの』
 不安そうに皆がざわざわし始める中、ディーターは囁きを送った。どうやら抜け駆けをした者はいないようだ。リーザが一人でモーリッツを襲撃に行くとは思えない。それにモーリッツの家にはペーターがいる。
 まだジムゾン達には言ってはいないが、おそらくペーターは自分達に協力してくれる。いや、正確に言うとリーザのためなら何だってするだろう。そのペーターを襲う必要は、今のところ全くない。
「誰か、様子を見に行ったほうがいいかも知れませんわね」
 そうフリーデルが言ったときだった。
 宿屋のドアが開き、目を真っ赤にしたペーターが立っていた。ペーターは、すん、と鼻をすすりながら、消え入るような声で一言だけこう言った。
「どうしよう。爺ちゃんが起きない……」

 宿の中は、重苦しい沈黙に包まれていた。
 ペーターの言葉に皆がモーリッツの所に行くと、モーリッツは穏やかな表情をしたままベッドの中で息を引き取っていた。外傷はなく、人狼に襲われた訳ではないらしい。病死かと思われたが枕元に置いてあった日記を見てその死の真相が分かった。
 モーリッツは……悪魔に魂を売っていた。
 だがその後悔と、ペーターを思いやる気持ちが日記には綴られている。そして、日記の最後にはこう書かれていた。
「ワシの死をもって、ヤコブが『真実の眼』を持つことの証明とす。ワシの死を無駄にせず、村人達で協力して人狼を退治しておくれ」
 その行をヴァルターが読み上げると、パメラやカタリナのすすり泣く声が聞こえた。確かにモーリッツのやった事は神に背く行為だ。しかし、そこまで思い詰めていたモーリッツの気持ちは皆にも伝わっていた。ディーターやトーマスも、沈痛な面持ちでテーブルを見つめている。
 だが、その雰囲気を破ったのはフリーデルだった。
「これで、ヤコブさんが『真実の眼』を持つ者だということが分かりましたわね。まあ、モーリッツさんも最期にお役に立てて本望でしょう」
「バカ!」
 ペーターが叫んだ。涙を堪え、必死にヤコブの方を真っ直ぐ見ながら、ペーターは叫び続ける。
「ヤコブ兄ちゃんのバカ! 爺ちゃん何も悪い事してないのに、ヤコブ兄ちゃんが爺ちゃんを殺したんだ! なんで、なんで爺ちゃんが死ななきゃならないんだよ!」
 ヤコブは青い顔でそれを聞いていた。手が震え、鼓動が耳に痛いほど響いている。まさか自分のしたことが、こんな結果を引き起こすとは思っていなかったのだ。
「悪い事は充分してますわ。悪魔に魂を売るなどという、愚かな行為を」
 フリーデルが冷ややかにそう言うと、ペーターは一瞬何か言おうとした後、泣き叫びながら宿の玄関から出て行った。それを慌ててヨアヒムが追いかける。
「いい加減にしやがれ!」
 ディーターがテーブルを叩いて立ち上がった。その勢いでテーブルの上にあったカップや皿がカタカタと揺れ、皆の間に緊張感が走る。
「お前……シスター様だか何だか知らねぇが、その言いぐさはねぇだろ!」
「私は真実を言ったまでですわ」
 薄く微笑みさえ浮かべているフリーデルに、ディーターは思わず殴りかかろうとした。だが、それをジムゾンやオットーが力ずくで止める。
「やめるんだ、ディーター!」
「ディーター、落ち着いてください!」
 ジムゾンは、ディーターがこのままフリーデルを襲撃するのではないかと本気で思った。激情に任せて、全員を食い殺しそうな勢いだった。それを何とか必死で押さえる。
「てめぇの言うことは正論かも知れねぇ! だが正しいだけが全てじゃねぇんだ!」
 そう言うとディーターは力を抜き一つ大きく息を吐いた後、煙草をくわえながら宿を出ようとした。緊張したままのフリーデルが、震える声で言葉を吐く。
「……どこに行く気ですの?」
「爺さんの墓を作りにだ。誰かが弔ってやらねぇとこれじゃあんまりだろ」
 その背中にジムゾンは声をかけた。
「私もお手伝いさせてください。終油の秘跡もないまま送るのは、寂しすぎます」
 オットーも立ち上がり、フリーデルの方を一瞥する。
「俺も行く。モーリッツは俺達の良い隣人だった。シスターには分からないかも知れないけど、悪魔に魂を売ろうが俺達にとってそれは変わりない。一度解散しないか? モーリッツを送るのにペーターがいないままじゃ、モーリッツが悲しむ」

 ペーターは村の広場でヨアヒムに抱きついて泣いていた。
「爺ちゃん、僕のために悪魔と契約しちゃったのかな。僕、病気治らない方が、良かったのかな」
 しゃくり上げながら、言葉が止まらないというようにペーターは泣きながら喋り続け、ヨアヒムはそれを優しく抱きしめる。
「僕、あの時死んじゃえば……」
「ペーター、そんな事言っちゃダメだ。モーリッツはペーターの事を、とても大事に思って愛してたんだ。それだけを覚えておけばいいんだよ」
「でも、でも……っ!」
 いつも元気で、時々頑張って大人っぽく振る舞おうとするペーターがこんなに感情をあらわにするのは珍しい。モーリッツを心配し、出かけるときにも必ず声をかけたりしていたペーターだ。突然のモーリッツの死が受け入れられないのだろう。
 それはヨアヒムも同じだった。ゲルトの死とは違う、やりきれない思いが胸に込みあげる。村の守護者なんてこんな時何の役にも立たない。結局自分は、ゲルトもモーリッツも守れなかった。もっと早くモーリッツの不安を知っていれば、こんな事にはならなかったのかも知れない。
「ヨアヒム兄ちゃん、僕一人になっちゃった。お母さんもお父さんも、爺ちゃんもいなくなっちゃった……」
 そうだ。ペーターは一人になってしまった。
 誰を守ればいいのか、今はまだ分からないが、ペーターをこのまま一人には出来ない。ヨアヒムはペーターの目線に屈んで、ペーターを抱きしめた。
「ペーター、ペーターは一人じゃないよ。村の皆もいるし、僕だっている……良かったら僕の家においで。ほら、皆が迎えに来たよ」
 オットーとカタリナが小走りに二人の元にやってくる。カタリナは自分が被っていたフードをペーターにそっと被せ、オットーは、ヨアヒムに持ってきた上着を渡した。上着を着ずに出て来たペーターの頬は、寒さで赤くなっている。
「ペーター、モーリッツに最期のお別れをしてあげましょう。神父様がミサをしてくれるって……ペーターがいないと、モーリッツが寂しがるわ」
「カタリナ姉ちゃん、僕ここにいていいの? 皆、僕のこと怖くないの?」
 ペーターが一生懸命手の甲で涙を拭く。それを見てオットーは自分がしていた白いエプロンを外し、ペーターに差し出した。
「何処に行く必要があるんだ? ペーターのいる所はこの村だ。誰にも何も言わせやしない」
 オットーの言葉に、ペーターは少し安心した表情を見せた後、エプロンに顔を埋め声を殺して泣き始めた。

 モーリッツの葬儀と埋葬が終わり、再び皆が宿に集っていた。ペーターはヤコブと顔を合わせるのがまだ辛いだろうということで、ヨアヒムが自分の家に連れ帰った。
「何か決まったら、後で知らせてよ。今はペーターを一人にしたくないんだ」
「分かったわ。後で何か食べる物も持って行くわね」
 ヨアヒムがペーターを抱き上げて行く姿が窓から見えた。確かにこれからの話し合いに、ペーターを参加させるのは無理だろう。ペーターも本当はヤコブが悪い訳じゃないとは分かっているのだ。ただ、感情がついていかないのだろう。八歳の子供にそれを理解させるには、あまりにも辛すぎる。
「さて、今日はどなたを視て頂きましょうか?」
 話し合いの口火を切ったのは、やはりフリーデルだった。彼女はモーリッツの葬儀にも出ず、ずっと自分の部屋に籠もっていた。その言葉にディーターが、チッと聞こえるように舌打ちをする。その時だった。
「オラ、もう星読みはしたくないだ」
 ヤコブが泣きそうな顔をしながら、消え入るような声でこう言った。
 予言などするべきではなかった。自分に何か力があるかもと思い少しいい気になっていたのかも知れない。人を扇動してはいけないと言われていたのに、その場の雰囲気に流されてしまった。
「オラ、みんなのこと大好きなのにそれを裏切っただ。『真実の眼』なんて持ってねぇ、オラはただの人殺しだ」
 どうして星読みなんかしてしまったのだろう。それによって自分は、モーリッツを殺した。これからのことなど何も考えていなかった。もし自分が読んだ相手が人狼だとしたら、自分はその相手を殺す手伝いをすることになると何故もっと早く気づかなかったのだろう。
 自分の望みは村の皆に仲良くして欲しい、ただそれだけだったのに。
 ヤコブはディーターの方をチラリと見たが、隣に座っているジムゾンと目が合い思わず目を伏せた。誰かの声が聞きたい。ディーターにいつもの調子で「俺で良ければ話聞くぜ」と言って欲しい。でも飛んできたのは全然別の声だった。
「何を言っているのですか? 人狼を滅ぼすために貴方の力が必要なのです。その『真実の眼』が!」
「それはあんたの都合だ! オラ、こんな事のために星読みを勉強してたわけじゃねぇだ。こんな、こんな眼!」
「ヤコブ! やめろ!」
 ディーターが咄嗟に飛び出し、ヤコブの両手を掴む。
 ヤコブは指で自分の目を突こうとしていた。その目から大粒の涙があふれ出る。
「…………!」
 あまりの事に皆が呆然としていた。ヤコブは事あるごとに「みんなに仲良くして欲しい」と言っていた。それをまさか、自分で壊すことになるとは思ってもみなかったのだろう。ヤコブも思い詰めていたのだ。モーリッツが自分のやったことをずっと思い詰めていたように。
「ヤコブ、私から提案がある。聞いてくれるか?」
 沈黙にヤコブの慟哭が響く中、そう言ったのはヴァルターだった。ヤコブはディーターに両手を掴まれたまま、無言で頷く。
「ここで誰を視るか言わずに、ヤコブが視たい者を視てはくれないだろうか。人狼がこの村にいるかどうかは正直まだ分からない。だから、その力を村のために使って欲しい。これならどうだろう?」
「そうだわ。他に悪魔に魂を売った人はもういないだろうし、村の中に人狼がいるなんてきっとないわ。フリーデルさんも、それならいいでしょう?」
 パメラがフリーデルに向かってにっこりと微笑む。その笑顔は春の日差しのように明るく、とても裏があるようには見えない。フリーデルは溜息をついた。
「仕方がありません、譲歩しますわ」
 その言葉にやっと宿の緊張が解けた。ディーターも掴んでいた手をほどき、ヤコブの肩をポンポンと叩く。
「誰かが悪い訳じゃねぇ、そんなに自分を責めるな」
 その様子を見てレジーナはホッとした。この様子ならまだ大丈夫だ。村人はあの病の時から仲良くやっている。フリーデルも根は悪くないのだろうが、やはり余所から来ているせいか言葉がきつい。何故人狼にそんなにこだわるのかは分からないが、おそらく何か理由があるのだろう。
「じゃ、夕飯の支度でもするかね。皆お腹空いてるだろ? パメラとカタリナも手伝っておくれ」
「リーザも手伝うの」
 やっと、いつもの村の雰囲気が戻ってきた。レジーナはヴァルターと目を合わせて少し肩をすくめてから、テーブルにあるカップを片づけ始めた。

 アルビンはずっと考えていた。
「モーリッツさんが悪魔に魂を売ったのは、私のせいだ……」
 自分は病が流行るであろうということを知っていた。もっと早くこの村に来ることも出来たのにそれをしなかった。恩など売るべきではなかった。
 これはきっと、自分への罰だ。
 ここは、自分がやった罪への箱船だ。
 だからゲルトが何者かに襲われたときも自分が発見者になったのだ。あの日からずっと考えていた。もしかしたら、村の皆は自分が恩を売ったということを知っているのかも知れないと。そういえば何も考えずにニコラスにそのことを話してしまったではないか。ニコラスが、もしかしたらここの村人の誰かと知り合いなのかも知れないのに。
「ここにいたら、殺される」
 人狼か村人にかは分からない。だがここにいたらきっと自分は殺される。品物は売り買いできるかもしれないが、命はそう行かないのだ。
「…………」
 アルビンは決意した。夜のうちにそっと荷物をまとめて、村人が寝ている間にこの村を出ようと。半日歩けば街道に出られる。そうすれば、自分は助かるはずだ……。

 その日も、村人はそれぞれの家に戻ることになった。流石に今日の出来事が大きかったのか、処刑というおぞましい言葉は誰からも出なかった。ペーターもヨアヒムの所でずいぶん落ち着いたらしく、二人に食事を持って行ったパメラから「ペーターが『明日ヤコブ兄ちゃんに謝る』って言ってたわ」という話を聞いた。
「…………」
 ヤコブは星読みの道具を目の前に沈黙していた。
 一人でいたくない。誰かと話をしたい。一人で言葉を発してしまったら、この沈黙に押しつぶされてしまいそうだ。
 コンコンとノックの音がした。ヤコブはその音に弾かれたように立ち上がり、玄関のドアを開ける。
「あ、神父様……」
 そこに立っていたのはジムゾンだった。ジムゾンは微笑みながら言葉を吐く。
「他の誰かでもお待ちでしたか?」
「い、いや、そんな訳じゃねぇだよ。中に入ってけれ、今お茶でも入れるだ」
 ヤコブに招かれるようにジムゾンは家の中に入り、勧められた椅子に座る。
 ヤコブの家にジムゾンが来るのは珍しい。教会にヤコブが行くことはよくあるし、ディーターがヤコブの家に来ることも多いのだが、ジムゾンはあまり教会から離れることがない。ジムゾンはヤコブの家にある物が珍しいのか、辺りをきょろきょろと見回した。ヤコブは星読みの道具などを慌てて片づける。
「何か散らかっててすまねぇだよ。紅茶でいいだか?」
「いえ、お構いなく。それが星読みの道具ですか?」
 ヤコブの手が止まった。
 誰かと話がしたかった。だが、ジムゾンに言っていいものか迷っていた。
 今日ディーターを視て、彼が人狼だと知ってしまったことを。
「ヤコブ? どうかしました?」
 鼓動が耳に響く。知らず知らずのうちに手が震える。
 きっと、ジムゾンはディーターが人狼だとは知らない。でも誰かに言わないと潰れそうだった。この秘密を一人で抱えるにはあまりにも大きすぎる。
「神父様、ここで告解をしてもいいだか?」
「ええ、よろしいですよ。誰にも他言いたしません」
 微笑むジムゾンに、ヤコブは大きく息を吐いた。今なら誰も殺さないことが出来る。ディーターを処刑する手助けはしたくない。病気のジムゾンを看病してくれたり、いつも家に来て笑いながら喋ったり、フリーデルの言葉に激高したり、自分が目を突こうとしたのを止めたディーターが悪人であるはずがない。
「……神父様、ディーターさんは人狼だっただ。でも、これはここでしか言わねぇ。だから、ディーターさんに今すぐ荷物をまとめて村から離れるように言って欲しいだよ。夜のうちに出れば、半日ぐらいで街道に出られる。ディーターさんの足ならもっと早く」
「どうしてそんな事を?」
 長い沈黙。ヤコブは祈るように言葉を吐く。
「オラ、村の誰かが争うのを見るのは嫌だ。皆に仲良くして欲しいんだ。だから……」
 その瞬間だった。ジムゾンが椅子を蹴り倒すように立ち上がり、ヤコブの顔をじっと見た。
「…………!」
 その表情は先ほどの微笑みとは違い怒りさえ浮かんでいる。ヤコブはその迫力に思わず黙り込む。
「ヤコブ。私は、貴方が憎らしい!」
 ジムゾンはヤコブに嫉妬していた。
 健やかな心も、健康な体も、清い信仰心までも全て持っているヤコブが憎らしかった。そしてこの上、ディーターまでも自分から奪おうとするとは。
『嫉妬で目が緑になりそうだ』とは、ハムレットの中の台詞だったか。そういえば、ディーターはヤコブと仲が良かった。今日だってヤコブはディーターに何か目配せをしようとしていた。ディーターにかばわれていた。
 緑の目。ディーターの瞳の色。これ以上、ヤコブとディーターが一緒にいる所など見たくない。そう思った瞬間体が動いた。
「貴方など、死んでしまえばいい。貴方など、ディーターにひとかけらも食べさせてやらない!」
 返り血が飛び散るのも構わなかった。
 ジムゾンは激情に任せ爪をヤコブの体に振り下ろす。ヤコブの健康そうな首元から腹にかけて一気に爪が刺さり、その体を引き裂いた。むせかえるような血の匂いと足下に流れ落ちる内臓に、ヤコブは思わず自分の腹を押さえる。
「神父……さ……ま?」
 膝をついて倒れたヤコブが最期に見たのは、赤い瞳から涙を流し、血に染まった一匹の人狼の姿だった。

罪人達の船 第四章


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