罪人達の船 第四章
罪人達の船 第一章
罪人達の船 第三章
世の中には善人とか悪人とかがあるわけではない。
ただ、場合によって善人になったり悪人になったりするだけである。
アンリ・ド・レニエ
「……ジムゾン?」
その夜、ディーターは教会の中でジムゾンを探していた。
礼拝堂にも台所にも、自室にもジムゾンの姿はない。囁きで問いかけようかとも思ったが、リーザにそれを聞かれる事をディーターは躊躇った。大人には大人だけにしか通じない話もある。面倒な作戦や難しいことは、自分達の間で何とかすればいい。
「仕方ねぇな、書き置きでもしておくか」
そう呟きながら、ディーターはパンの袋の端に伝言を書くことにした。
『ヤコブの所に行ってくる』
別に襲撃しに行くつもりはなかった。ただヤコブのあの様子では今日の出来事はかなり神経をすり減らしたことだろう。それに関して酒でも飲みながら話し、優しい言葉の一つもかけてやるつもりだった。
人は、心が弱っているときに優しくしてくれる者には容易く折れる。ディーターはそうやって人の心を利用することに良心を痛めるつもりは全くない。それにあの力……誰が人狼かを見分けることの出来る真実の眼は厄介だ。そのうち殺すことに変わりはないが、それまでせいぜい自分を信用してくれればいい。
それでも何故か胸騒ぎがした。
うなじの毛が逆立つような嫌な感覚。あの教会から来た、異端審問の文書を読んだときのような緊張感。
ディーターは煙草を吸おうとして止め、無言で教会を後にした。
「…………」
ジムゾンは無言でヤコブを喰らっていた。自分の姿が血に染まっていることにも気づかずに、黙々と咀嚼と嚥下を繰り返す。
次は何処を喰ってやろう。あの時ディーターに押さえつけられた両手、ディーターを見ようと一生懸命動かしていた目。ヤコブだったともう分からないような肉塊が自分の周りに転がっていた。普段どちらかというと小食な方なのに、いくら食べても満たされない。強い飢餓感が自分の体を苛む。このままヤコブを残らず喰ってしまうかも知れない。そんな気さえしてくる。
その時だった。
音もなく扉が開き、冷たい風が部屋に入ってきた。
見られた! そう思って、ジムゾンは爪を構え相手を見る。
「ディーター!」
そこに立っていたのはディーターだった。ディーターは部屋の惨状や、床に転がっているヤコブにも構わず、ジムゾンの方に真っ直ぐ近づいてくる。そして、その手がスッと上がった。
殴られる! 思わずジムゾンは目を瞑り小さくなる。
まだ襲撃はしない予定だったのに、それを自分は勝手に破ってしまった。ディーターの指示に従わなかった。だがその手はジムゾンの頭にそっと乗せられた。
「よくやったな。ちゃんと、一人で立派に狩り出来たじゃねぇか」
「怒らないんですか?」
「どうして? どっちにしろ、いつかヤコブは殺さなきゃならなかったんだ。それが早くなったか遅くなったかの違いだ。だけど次からは一人でやるな、俺に言え。後からのごまかしがきかなくなるからな」
ジムゾンは涙を堪えるように、ぐすんと鼻をすすった。ディーターは、その辺にかけてあったヤコブのタオルを手渡す。
「馬鹿、泣くなよ」
「だって、貴方がヤコブを仲間にすると思ったんです。だから、貴方にだけはヤコブを食べさせたくなくて……」
まるで子供のようだと思いつつも、ジムゾンは言葉が止まらない。ディーターはそれに苦笑する。
「馬鹿だな。俺がヤコブと仲良くしてたのは、一人でも自分を信頼してくれる奴が欲しかったからだ。これ以上仲間増やす気はねぇよ」
「でも、今日シスターフリーデルに」
「ああ、アレか。アレは俺があの女の言い方が気に入らなかったってのもあるが、ああいう反応をしておけば疑いは逸れやすい、ある意味計算ずくだ」
そう言いながらもディーターは、ヤコブの家の惨状を眺めながら次の行動を考えていた。このままここにいるのはまずい。本当はもう少し自分達の存在を隠しておきたかったのだが、そういう訳にもいかない。ジムゾンが一人で狩りが出来るようになったことの方が自分達にとっては大事だし、そのことでジムゾンを責める気もない。
「ジムゾン、ヤコブから何か聞いてたか?」
「えっ? ええ、今日貴方を占って人狼と出たと。でもそれは、誰にも知らせないって」
考えろ。この状況を何とかする方法を。
今、ここで見つかるわけにはいかない。真実の眼を持つ者を上手く排除出来たのだ、この状況は自分達に有利だ。後はここを何とかするだけで……。
「ジムゾン、お前はとにかく教会に戻れ。後は俺が何とかする」
「で、でも」
「そんな血塗れの姿で何言ってるんだ」
ジムゾンはディーターにそう言われ、やっと自分の姿を見る余裕が出来た。確かに手にも顔にも血がこびりついている。このまま人前に出たら、自分が人狼だと宣言しているようなものだ。ジムゾンは渡されていたタオルで手と顔を拭いた。
「いいか、靴の裏を拭いてから急いで教会に帰って、とにかく血の匂いを落とせ。手は特に用心しろ、爪の所に血の痕が残る可能性がある」
その言葉にジムゾンは黙って頷く。
「服は替えがあるはずだ、今着ているのは床下にでも隠せ。あと、俺が出てくるときにパンの袋にここに来ることをメモしちまったから、それも破って処分しろ。分かったな?」
「はい。……体に付いた血を落として匂いを隠す、手は念入りに洗う。服は床下に隠す、貴方が書いたメモを処分する」
ディーターはそれに満足げに頷いた。
「じゃあ行け! 振り返るな!」
「ちょっと待ってください」
ジムゾンが、自分についている血が付かないぐらいの距離までディーターに近づいた。そしてディーターの目を、まだ涙が乾いていない瞳でじっと見つめる。
「ヤコブを、絶対に食べないでください、貴方にヤコブを食べさせたくなかったんです。本当は、全部私が食べるつもりだった。骨も残らないほど」
一筋の涙がジムゾンの頬に流れた。ディーターはその涙を手で拭う。
「神に誓って」
ジムゾンの背中が小さくなったことを確認した後、ディーターはヤコブの家をとにかく荒らした。星読みに使ったであろう紙なども全部暖炉にくべる。これは何かの折に見つかったら厄介だ。自分には星図が何を表しているのかは全く分からないが、村の誰かがその見方を知らないとも限らない。
そして納屋などにあった藁などの燃えやすそうな物を、ヤコブだった物の上に置く。その生々しくも鮮やかな赤に一瞬喉が鳴ったが、ジムゾンのあの表情を思い出すと、とてもじゃないが食べる気にはならなかった。
「喰う所もあんまり残ってなさそうだがな」
ディーターは誰ともなく呟き、藁の上に油を撒いて暖炉の火をそっと移した。
冬で乾燥していたせいもあり、火は少しずつヤコブの家の物を燃やしていく。ランプ用の油にも火が回り、肉の焼けるような匂いが辺りに漂う。
ディーターはヤコブの家をそっと出た。
「すまないな、ヤコブ。お前はいい友人だったけど、仲間の方が大事なんだよ」
このまま行けば、家全体に火が回るのも時間の問題だろう。教会からここまでは多少距離がある。おそらくヤコブの家に一番近いオットーがこの火に気づくだろう。後は誰かが呼びに来るまで教会で待っていればいいだけのことだ。
ディーターは一度だけ空を見上げた。
ヤコブと一緒に見たのと全く変わらない星空が目に飛び込む。そして目を瞑って、首を横に振った。
「これで村人同士の争いを見ずにすむ。良かったな、ヤコブ」
そう呟くと、ディーターは教会に向かって走っていった。
翌日の宿屋は沈黙に包まれていた。
昨日の夜から強くなった風が、カタカタと窓を鳴らす。レジーナが入れたお茶にも、皆ほとんど口を付けていない。
「俺が火に気づいたときはもう遅かった。家全体に火が回って、とてもじゃないが手が付けられなかった」
オットーがそう言って頭を抱えながら俯いた。オットーがヤコブの家の火事に気づいたのは真夜中のことで、それを皆に知らせる頃にはヤコブの家のほとんどが、炎に焼き尽くされていた。
「昨日僕があんな事言ったからかな。僕、ヤコブ兄ちゃんに謝れなかった」
ペーターが一生懸命涙を堪えながら呟いた。ペーターの隣ではリーザが心配そうに顔を覗き込んでいる。
「ヤコブさんの遺体は見つかりましたの?」
そう切り出したのはフリーデルだ。村人が沈黙に包まれているというのに、フリーデルだけはそんな事には興味がないように淡々と質問をする。その言葉にオットーがあからさまに嫌な顔をした。
「不幸があったってのに、何だかシスターは嬉しそうだな」
「別に。私はこの火事がヤコブさんの過失なのか、それとも他に原因があるのか気になっているだけですわ」
昨日の出来事から、オットーとフリーデルの対立は更に深いものとなっていた。その間に割って入るようにトーマスが口を出す。
「俺や村長が見ただけだが、ヤコブの遺体らしき物はあった。だが、あれはまるで何者かに引き裂かれたようになっていた……それこそシスターのいう人狼にでもな」
その言葉に皆が息を飲む。
今まで信じていなかった『人狼』という存在が、背中の近くまでひたひたと近づいているような気がしていた。
この中に、この村人の中に人狼がいるかも知れない。皆がお互いの顔を見る。
『ヤコブさん襲っちゃったの?』
その中で、リーザの囁きだけがディーターとジムゾンの耳に入った。ディーターは沈黙を取り繕うように煙草に火を付ける。
『ごめんなさいリーザ、私が先走ってしまったんです』
ジムゾンは冷めたティーカップに手を伸ばした。
『まあ、ジムゾンが一人で狩りが出来たって事でチャラにしてくれ。俺だって、ひとかけらも喰ってないんだ』
『うん。別にいいけど、リーザもちょっと食べたかったなって。今度はリーザのぶんも残しておいてね』
リーザはそう囁くとテーブルに乗せられていた菓子を手に取り、その一つを隣にいるペーターに渡した。ペーターが小さな声で「ありがとう」と言う。
「これで人狼がこの村の中にいることが確実になりましたわね。獣は家に火を付けませんもの」
沈黙の中にフリーデルの声だけが響いた。そして菓子を食べているペーターの方をチラリと見る。
「そう言えば、昨日ヤコブさんにペーターは色々言ってましたわ。子供だから人狼ではない。ということはないですわね」
自分のことを言われている。ペーターはフリーデルの顔を怯えるように見た。だがそれをヨアヒムが制止する。
「ペーターは昨日ずっと僕と一緒だった。寝るときも一緒のベッドで寝てた。もしペーターが人狼だとしたら、外に出て行った時点ですぐ気づくはずだ」
そう言いながらも、ヨアヒムの心は後悔で一杯だった。
真実の眼を持つ者が人狼に襲われやすい事は明らかだったのに、ヤコブを守れなかった。
正直、誰を守ったらいいのかがヨアヒムには分からない。ヤコブを守りに行けば、ひとりぼっちになったペーターを置いて行くことになる。昨日はペーターの側にずっといてやりたかった。家族がいなくなってしまったペーターを一人きりには出来ない。
「とにかく、ペーターと僕は昨日一緒にいた。それだけだよ」
ヨアヒムが大きな溜息をつくと、それにパメラが続いた。
「私も昨日はお父さんと一緒だったわ。流石に同じ部屋にはいなかったけど、出て行けば分かるはずよ」
「そうだな、私とパメラは同じ家にいた。シスターはそれをどう考える? 口裏を合わせて、お互いをかばっていると見るか?」
パイプをくわえながら、ヴァルターはフリーデルをじっと見た。全てを疑うと言うのであれば、フリーデルには考え方を改めてもらわねばならない。
「私も昨日は教会にいました。それはディーターも同じです。シスターフリーデル、それを疑うというのであれば、貴女は昨日どこにいて何をしていましたか?」
ジムゾンはずいぶん落ち着いていた。自分でも恐ろしいと思うほど、心は水のように澄んでいる。
今までの自分なら、今日も狼狽えているだけだっただろう。下手をするとその仕草で人狼だということがばれていたかも知れない。だが昨日ヤコブを襲ったときから、自分の中で何かが明らかに変わっていた。
自分は人狼だ。
生き延びるため、仲間を疑わせないためならどんな嘘でも吐ける。
「昨日は自分の部屋にずっといましたわ。それが何か?」
「それを証明する者は?」
「…………」
フリーデルは無言だった。ジムゾンは自分が異端審問官であることを知っているはずなのに、何故そんな事を自分に聞くのか。喉が渇く。背中に冷や汗が流れる。それを見てジムゾンがふっと溜息をつく。
「同じですよ、シスターフリーデル。同じ場所に住んでいる者を、お互いが口裏を合わせていると疑うのであれば、一人でいた者は、その時間何をしていたかを証明出来ません。そうやって疑う方法は不毛です」
ジムゾンはそう言って、宿にずっといたであろうニコラスやアルビンの顔を見た。ニコラスはその言葉にふっと笑い、アルビンは目をそらす。
「真実の眼を持つ者がいなくなり、人狼がこの村にいると判明したからには私達はもっと慎重になるべきです。安易に人を疑ったり、処刑をちらつかせて脅すのではなくもっと冷静に事を進めましょう」
「そ、そうですわね。幸いここにいる人狼は毎日狩りをするわけではないようですし、私も先走りすぎましたわ」
動揺を悟られないように、フリーデルは何とか言葉を吐いた。田舎神父だと思って侮っていたが、その冷静な視点に賞賛を送りたいぐらいだった。これだけ冷静な視点を持つ者がいれば異端審問も楽に進むだろう。何なら全ての人狼を退治した後、もっと大きな教会に就けるよう打診してもいい。
だがその裏では囁きが交わされていることを、フリーデルは知らなかった。
『もっと冷静に村人を疑えって? ずいぶん大胆になったもんだ』
『そうですか? 私は上手くシスターフリーデルにも疑いが行くようにしただけですよ』
ディーターは皆を見渡す振りをしながらジムゾンの顔を見た。そこにはもう狩りだけでなく、顔色ひとつ変える事なく人を騙すことも出来る人狼が微笑んでいる。
「まずヤコブを弔いませんか? あのままにしておいては可哀想です。シスターフリーデルもよろしいですね?」
その言葉に皆はやっと緊張を解き、立ち上がって伸びをしたり冷め切ったお茶を飲んだりする。
『……自分がやったくせによく言うぜ』
ディーターがそう囁きながら、吸っていた煙草を灰皿に押しつけた。
「前もフリーデルさんが提案してたけど、今日から皆同じ場所にいた方がいいんじゃないかしら」
ヤコブを弔い、夕方皆でレジーナが作ったカブのシチューを食べながら、パメラがそう提案した。パメラは黒パンにレバーペーストを塗りながら皆の顔を見る。
「今日みたいに誰が誰と一緒だからって理由で疑ったりするのって、良くないでしょ? だったらここに皆で泊まっちゃえばいいと思うの。ここなら部屋もたくさんあるし。どうかしら?」
だがパメラの提案にオットーが首を振った
「パンの酵母は生き物なんだ、粗末にすることは出来ない。それに今食べてる黒パンがどれぐらい手間を掛けてるか、パメラは知ってるかい?」
「えーっと、長くて三時間ぐらいかしら?」
パンをかじりながら話すパメラに、オットーは微笑む。
「はずれ。そのプンパニッケルってパンは十六時間以上蒸し焼きにしなきゃならないんだ。それにここのかまどじゃ皆のぶんのパンは焼けない」
オットーがパンを指さすと、パメラだけではなくペーターやレジーナまでがそこに注目する。
「それはあたしの家じゃ無理だね。そんなにかまどを占領されちゃ料理が作れないよ」
「このパンってそんなに手間がかかってるんだね。僕残さないで食べるよ」
そう言ってパンを食べるペーターを見て、カタリナが微笑みながらこう言った。
「ごめんなさい、パメラ。私も羊たちやモーントたちの世話があるから、出来るだけ家に戻りたいの。最近放牧の時間が短くなって、羊たちが心配なの」
この騒ぎが起こってから、カタリナの羊は羊舎にいることが多くなっていた。冬で放牧の時間が短いとは言え、ずっと狭い場所に閉じこめられていると羊もストレスが溜まるらしい。パメラがそれに慌てる。
「いや、いいのよカタリナ。そんな深刻な意味で言ったんじゃなくて、皆で泊まったらちょっといいかなーって思っただけだから。オットーも気にしないで」
「パメラの気持ちも分かるが、一カ所にいて一気に襲われたら恐ろしいな。まあ俺は今日から山には帰らずにしばらくここに泊まっていくつもりだ。何かあったときに、男手が少しでもあったほうがいいだろう」
「トーマスまで。やっぱり安易に考えちゃダメね。反省するわ」
溜息をついたパメラを、皆が笑いながらなぐさめる。
だがその中でアルビンだけが、一人シチューを食べる振りをして俯いていた。
「逃げるなら今日しかない」
人狼がこの村にいると分かってしまった以上、ぐずぐずしているわけにはいかない。アルビンは一人夜中になるのをじっと待った。荷物は昨日のうちに既にまとめている。後は皆が寝静まった頃に、そっとここを出ればいいだけの話だ。
ただ、アルビンには心残りがあった。
ゲルトが描いた赤い絵。最後に会話したときに自分にくれると言ったあの絵のことが気になっている。ここに置いて行けば、他の絵と共にいつか処分されるかも知れない。それはあまりにも切なかった。
ちょっと遠回りになるがあの絵を持って行こう。アルビンは決意した。持ちきれないというほど大きいキャンバスでもないし、何とかして持っていけるはずだ。あの絵だけはどうしても捨てられない。
そしてもう一つ。いや、これは自分の胸に一生秘めておいた方がいいのだろう。言ったところで困らせることしか出来ないし、第一ここから逃げていく人間に、それを言う資格などない。
この村に初めて来た時から、ずっとカタリナに密かな想いを寄せていたことなど。
カタリナにはオットーがいるし、無論アルビンには二人の間に割り込む気などない。それでも、ただ顔を見られるだけで良かった。婚約の話を聞いて「オットーさんとお幸せに」と、素直に言えなかったことだけが寂しかった。
「…………」
皆が寝静まった頃、アルビンは宿をそっと出た。外は風が強く、帽子が飛ばされないようにそれをポケットの中にしまい込む。目に染みるほどの冷たい風に、アルビンは前屈みになりながら歩いていく。
「さようなら、皆さん」
ゲルトの家に行って絵を取りに行っても、今なら何とか逃げ切れる。アルビンはそのことだけを考えながら風の中を歩いていった。
「アルビンさんだ」
夜中に目が覚めて手洗いに行こうとしたリーザは、アルビンが出て行ったのをじっと見ていた。人狼が闇の中で気配を消すことは容易い。アルビンは闇の中にいるリーザに全く気づくことなく、足音を忍ばせながらそっと廊下を歩いていく。
「どうしよう」
リーザは考えた。油断している今なら、後ろから襲撃することが出来る。でもそれだとすぐに自分が人狼だとばれてしまう。それに無駄な狩りはするなとディーターにも言われている。一人で襲撃しても食べきれる自信はない。
『ディーターお兄ちゃん、神父様……』
ディーター達に指示を仰いだほうがいい。リーザはそっと囁きを送った。ここから教会まで届くか分からないが、とにかく二人を呼び続ける。
何度か呼びかけると、ディーターが気だるそうに返事をした。
『……なんだ、リーザ』
『ディーターお兄ちゃん! 神父様は?』
『今起こす』
しばらくするとジムゾンも起きたようだった。リーザは二人にアルビンが荷物を持って宿を出たことを告げる。
『リーザ、どうしたらいいの?』
『ちょっと待て』
ディーターは考えた。アルビンをこのまま黙って逃がしてやってもいいが、それではただ「人狼の疑いがある者が逃げていった」ということにしかならない。確実に人狼ではないかという疑いをかけて、フリーデル達の目をそっちに向けさせるには。
『リーザ、お前以外それは見てないんだな?』
『うん、丁度起きたときに見たの』
それは好都合だ。ディーターはニヤッと笑う。
アルビンには悪いが、いいスケープゴートになってもらおう。ここから逃げるという選択をしたアルビンが悪い。この村に留まっていれば、もしかしたら生きて出られるかも知れなかったのに。
『リーザ、皆を起こしてアルビンが逃げたことを知らせろ。まずレジーナを起こしてそれを言うんだ。後は皆が勝手に踊ってくれる。行け!』
レジーナは自分の体が揺すられる感触で目が覚めた。まだ真夜中だ。なのに部屋がほの明るいのは、リーザが持っているランプの明かりのせいだった。
「レジーナおばちゃん、起きて……」
「どうしたんだい、リーザ。一人で寝るのが怖いのかい?」
レジーナの言葉に、リーザが無言で首を振る。
「違うの。あのね、おトイレに行こうと思って起きたら、アルビンさんが荷物を持ってお外に行っちゃったの。リーザ怖かったから、アルビンさんがいなくなってからここに来たの」
その言葉にレジーナは一瞬で目が覚めた。
ジムゾンが言っていた言葉が、頭の中に蘇る。
『一人でいた者は、その時間何をしていたかを証明出来ません』
もしアルビンが昨日もそっと外に出て、ヤコブを襲っていたとしたら。
今日はリーザがたまたま起きてくれていたからよかったものの、何とかしなければまた誰かが殺されるかも知れない。一人でいるカタリナやオットーが心配だ。
「リーザ、怖かったね。大丈夫かい? 一人でいられるかい?」
「うん、でもレジーナおばちゃんのベッドで寝てもいい? リーザ怖いの」
レジーナはリーザを抱きしめる。
「いいよ。今から皆を起こしてくるからね。リーザはそこで待ってるんだよ。アルビンが外に出たならここは安全だからね」
ベッドに入ったリーザの額にキスをした後、レジーナは部屋から出て大きな声でこう言った。
「みんな起きておくれ! アルビンがここから逃げたよ!」
罪人達の船 第五章
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