罪人達の船 第五章

罪人達の船 第一章
罪人達の船 第四章

 いたる所で怯えさせられ、いっそう残虐にさせられた魂は、より大きな残虐さによってでなければ導かれえなくなった。
 モンテスキュー

 夜風がひどく冷たかった。
 さっきまで暖かかった体温を、風が全て奪い去っていく。
 リュックの肩ひもを掴む手が冷たい。足先は熱を失い痛みさえ感じるぐらいだ。目を細めながらアルビンは、向かい風の中を進んでいく。
「街道が近づいたら、上着を変えなければいけませんね」
 胸元には真っ赤な絵の具がべったりとついていた。ゲルトの家から「赤い絵」を持ちだそうとしたのだが、それはまだ絵の具が完全に乾いていなかった。
 そう言えばゲルトは、このキャンバスに何度も何度も赤を塗り続けていたようだった。厚塗りの絵の具は乾きにくい、ゲルトとそんな事を話したこともあった。まだ人狼などという恐ろしい存在が、同じ村に存在していると知らなかった平和だった頃に。
「ごめんなさい、ゲルトさん。私は貴方の絵を傷つけてしまった」
 手袋にも、血だか絵の具だか分からない赤い物がついている。何も考えずにキャンバスを持ったときに、ついてしまった。それでも持ち出すことを諦めることは、アルビンには出来なかった。
「ごめんなさい……」
 キシキシと、足下の雪がきしむ。
 結局キャンバスは、後ろ側の枠に紐を通すことで何とか持ち運べそうだった。本当は風に晒したりはしたくはなかったのだが、乾いてない絵を徒歩で運ぶにはこれしか方法がない。いつも持っているリュックの後ろにくくりつけ、街道を目指して歩き続ける。
「せめて、もう少し風が弱ければ」
 キャンバスが風を受けるせいで歩みがいつもより遅い。きっと後ろから自分の姿を見たら、真っ赤なキャンバスが最初に目に入るのだろう。アルビンは風に逆らうように首を横に振った。
 大丈夫だ。
 宿にいた皆は、ぐっすりと眠っているはずだ。
 音を立てないように十分注意してきたし、何の気配も感じなかった。風のせいで少し遅くなるかも知れないが、明日の昼までにはきっと何処かの村にたどり着く。そうしたら全てを忘れて真っ当な商人として生きよう。
 決して、人に恩を売ったりしないように……。

 レジーナの宿では集められた村人達が話し合いをしていた。
「誰か馬に乗れる奴はいるか? 今から走っていってもおそらく追いつかないし、このまま逃げられるのは困る。馬で追いかけよう」
 トーマスが上着を着込みながら皆の顔を見た。ヴァルターがそれに続く。
「私とトーマスの二人で大丈夫だろうか? 相手はヤコブを襲った人狼かも知れないのだぞ」
「じゃ、俺が行こう。馬は何とか乗りこなせる」
 そう言ったのはディーターだった。ディーターとトーマスがいれば、いくらアルビンが人狼だったとしても何とかなるだろう。ディーターは腰に下げているナイフをいつでも抜けるように確かめている。
「まさか、これを使うかも知れないような事になるとは思わなかったぜ」
「仕方ない。こんな事態だ、俺も文句を言うつもりはない」
 トーマスもそう言いながら、小型の手斧を腰に下げた。
 幸いにして村人に犠牲者は出ていないようだった。ただアルビンがここから逃げたという事実に、皆が青ざめた表情をしていた。
「まさか、アルビンさんが人狼かも知れないなんて」
 カタリナはそう呟くと、自分の肩をしっかりと抱いた。今日は自分の護衛に、牧羊犬であるモーントを連れて来ている。モーントも何か大変なことが起こっていると気づいているようで、宿の入り口でおとなしく座っていた。その頭をオットーが撫でている。
「いや、そう考えるのは早計だ。アルビンはゲルトを発見したりして酷く怯えていた。それが頂点に来ただけかも知れない」
「私はそうは思いませんわ」
 カツン、と靴音を鳴らしてフリーデルがそう言い放つ。
「起こしに行くふりをしてゲルトさんを殺害し、第一発見者になりすましていた可能性もありますわ。何にせよ人狼の疑いがある者を村の外に出すわけには行きません」
「………」
 オットーは無言だった。アルビンが人狼とはとても思えない。四年前、村に病が流行ったときに薬を分けてくれた、あの親切な商人が人狼であるはずはない。第一アルビンが人狼であるのなら、自分達に薬を分ける必要などないはずだ。
 それでも何も言えなかった。村の皆の、妙な興奮状態が恐ろしかった。
 アルビンがこのまま捕まれば、きっとフリーデルが言ったように「処刑」という手段を取ることになるのだろう。そうなれば、自分達も人狼と同じ事をすることになる……。
「ヨアヒム兄ちゃん。僕、眠たい……」
 ヨアヒムの手を握っていたペーターは、そう言いながら目をこすった。ヨアヒムはそれに困った顔をしながらも、レジーナに声を掛ける。
「ごめん、レジーナ。どこか空いてるベッドとかないかな」
「ああ、あたしの部屋でリーザが寝てるから、そこで一緒に寝るといいよ。一人だと心細いし怖いだろうからね。ほら、ペーターこっちにおいで」
 レジーナはペーターの手を取ると自分の部屋に連れて行く。
「何か、眠れなくなっちゃったわね」
「うん……」
 パメラの言葉に頷くと、ヨアヒムは一つ大きな溜息をついた。
 本当はトーマス達についていきたい。でもここにいる村人の中に人狼が紛れているかも知れない。そう思うとここを離れられない。
 腰に手を当て、ヨアヒムはシャツで隠れている投げ矢の感触を確かめた。この狭い場所で弓は使えないし、それを人に見せるわけにはいかない。今自分がやることはここにいる皆を守る、ただそれだけだ。
 パメラがカウンターの中に入り、お湯を沸かし始める。
「何か暖かい飲み物でも入れるわね。神父様、何だか寒そうだもの。暖炉の方に近づくといいわ」
「あ、ありがとうございます。何だか体温が上がらなくて」
「そうだな。落ち着かないのは皆同じだろう」
 ニコラスがそう言って暖炉の前をあけた。ジムゾンは頭を下げてその前に立ち、一生懸命手をこする。
 緊張していた。
 アルビンが逃げたということが、ジムゾンには予想外だった。
 人狼でない彼が、何故ここから「逃げる」という選択をしたのか。確かにゲルトを発見したのはアルビンだったが、何か自分には分からない事情でもあるのだろうか。
『アルビンさん、何かあったのでしょうか』
 思わず囁いたジムゾンに、ディーターが答える。
『同情か?』
『いえ、彼に何があったのか考えていたのです。どうして危険を冒してまで、ここから逃げるようなことをしたのか』
 アルビンを追いかける準備が整ったようだ。騎乗馬ではないがアルビンが置いていった馬車馬が使えるだろうということで、トーマスが外に行って手綱と鞍をつけていた。
『逃げる人間には二種類ある。一つは臆病な人間、もう一つはやましいことをした人間だ。懺悔なら、後でゆっくりと聞いてやれ』
 ディーターはヴァルターが出て行くのを見て、一つ大きく伸びをしてからその後をついていった。

「雪?」
 寒さに縮こまるように歩くアルビンの顔に、冷たい物が当たった。
 自分の目の前から、雪が真っ直ぐぶつかってくる。それは最初冷たかったのだが、歩いているうちに小さな雪のひとひらが石つぶてに思えるほどの痛みを与えてくる。
「ついてませんね」
 吐く息も、あっという間に何処かに流れていく。このまま吹雪が酷くなったら、道に迷ってしまう可能性がある。それでも歩みを止めることは出来ない。
「…………」
 風の音しか聞こえなかった。
 どうしてこんなに自分は孤独なんだろう。アルビンは思う。
 これもきっと罰なのだ。人の命を天秤に掛け、恩を売るようなことをした自分への罰だ。
 でもこの罰はいつ終わるのだろうか。上手く逃げられたらそれは終わりなのだろうか。
「……いや。私は、一生罪人だ」
 人狼がいる村でそれを探す協力をしないまま自分は逃げた。命を惜しみ、村人を信用せずに利用するだけして逃げてしまった。もし上手く逃げられたとしても、自分は一生十字架を背負って生きていくのだろう。
 悲しかった。熱い涙が頬の上で氷のように冷たく変わる。
 あんなに大好きだった村人達を、自分は最後に裏切った。
「ごめんなさい……」
 その時だった。自分の背中から何者かの足音が聞こえる。アルビンは思わず振り返り、その姿を見て力なくその場にへたり込んだ。
「もうだめですね、悪運も尽きたようです」
 馬に乗ったトーマス達が見たのは、緑の上着を赤く染め、何故か安堵の表情を見せたアルビンの姿だった。

「……私は、皆さんに『恩を売った』んです」
 宿のフロアの真ん中に置かれた椅子に座りながら、アルビンは四年前に初めてこの村を訪れた時の話をした。病が流行ることを予想していたこと、医者がいないだろうからきっと薬が必要だろうとあたりをつけていたこと。それをアルビンは、俯きながらも淡々と話した。
 当時その場所にいなかったジムゾン、ディーター、ニコラスにフリーデル、そして眠っているリーザとペーターを除いた皆は、その話を青ざめた顔で聞いていた。
「じ、じゃあ、アルビンがもっと早く来ていたら、助かった人がいるって事なの? 私のお母さんや、ヨアヒムのお父さん達も死ななくてすんだの?」
 パメラが涙を堪えながらそう言うと、アルビンは困ったような顔をして微笑んだ。
「それは分かりません。でも一つだけ言えることは、私が罪人だと言うことです。私は貴方達の好意を利用した……モーリッツさんが悪魔に魂を売ったのも、そのせいです。それだけは、変えられない事実です」
「一つ聞いてよろしいかしら? その上着に付いた赤い物、それは何処かで誰かを襲ったときについたものですの?」
 フリーデルがアルビンの目の前に立つ。だがその鋭い目つきにも、アルビンは全く怯まない。
「信じて頂けるかどうかは分かりませんが、これはゲルトさんが私にくれると言った『赤い絵』を持ったときについたものです。私は人狼などではありません。だから何も襲う必要もありません」
「信用出来ませんわ」
「信用して頂かなくても結構です。シスター、貴女は私を処刑したくて仕方ないのでしょう? 私は罪人です、その罰は甘んじて受けましょう」
 アルビンがそう言って寂しそうに笑う。そこにオットーが割って入った。
「アルビン、それでいいのか? 君は俺達を利用したって言ったけど、それで助かった者がいることも事実だ。俺はアルビンが人狼だとは思えない。だから自分から死んでもいいなんて言わないでくれ」
 オットーの言葉にアルビンは首を振る。
「オットーさん、ありがとうございます。でも私はやっぱり罪人なんです。皆さんは、もう私を信用出来ないでしょう? それだけで、充分罰を受ける理由になるんです」
「そんな、それなら俺だって……」
 同じ罪人だ。
 そう言おうとして、オットーは口をつぐんだ。あの、人狼を殺した時の出来事が頭の中に蘇る。あの時必死で人狼を殴り殺し、誰にも言わずにカタリナと二人でそっとその遺体を埋めた自分達と、アルビンに何の違いがあるのだろうか。
「俺は誰かを殺すなんて嫌だ。皆、考え直してくれないか」
 絞り出すように声を出したオットーの言葉の後に、沈黙が流れた。ただモーントだけが、アルビンの側に近づきぱたぱたと尻尾を振っている。
 静かにニコラスが言葉を吐いた。
「私はアルビンと一緒にここまで来たが、彼が人狼であるなら、私はここに来る前に襲われていただろう。私はアルビンが人狼には見えない」
 だが、やはり村人達の反応は無言だった。アルビンが人狼であろうが人間であろうが、もう何を言っても信用することは出来ない。それにあの時の病で身内を亡くした者は多い。それを考えると素直にアルビンを許せないのだろう。
「オットーさん、ニコラスさん、もういいんです。最後に私を人狼ではないと信じてくれる人がいた、それだけでもう充分です」
「もう、お話はよろしいかしら?」
 氷のように冷たいフリーデルの言葉が突き刺さる。オットーはフリーデルを睨み付けた。
 何故この修道女は聖職者であるはずなのに、人を殺すことを躊躇わないのだろう。良心やその心情さえも無視し、淡々と事を進められるのは何故なのだろう。
 本を燃やす者がいつか同じ目に遭うように、人を殺す者はいつか同じ目に遭う。
 オットーからは、フリーデルが人狼に見えていた。どんな小さな事でもいちいち突っかかり、それを理由に人を殺そうとする。そしてその裏で人を喰らい、その屍の上を踏み進んでいる化けの皮を剥がしてやりたかった。
 何か言おうとしたオットーの服をアルビンが掴んだ。そしてゆるゆると首を振る。
「もう何も話すことはありません。私は罪人です、だから私を処刑して下さい。それが皆さんの望みなのですから」

 アルビンの処刑は、夜明けに行われることになった。
 処刑台は急ごしらえの物で、村の広場にある大木に作られていたブランコを外し、そこに絞首用の縄を掛けるという粗末な物だ。下げられた縄が、風に頼りなく揺れている。
 そこにいたのは村人が数人だけだった。ジムゾンは終油の秘跡のために来ていて、見届け人にトーマス、ヴァルター、フリーデルとディーターがいた。
 アルビンは近づこうとしたジムゾンに、微笑みながらこう言った。
「すみません、神父様。私は地獄に行くつもりですので、終油の秘跡も安息のミサもいりません。その代わりに一つよろしいですか?」
「何でしょう」
「金貨を一枚いただけませんか? 私は七つの大罪の一つである『貪欲』に触れましたから、きっとマモンの前に行かされると思うのです。その時に執り成しをしてもらうために、金貨を一枚」
 ジムゾンは困ったように後ろを見た。するとディーターが一歩近づき、金貨をアルビンに渡す。
「これでいいのか?」
「ええ、ありがとうございます。ディーターさん、私のリュックの中に革の手袋が入ってます。もしよろしかったら、金貨のお礼に使ってやってください」
 これから処刑されるはずなのに、アルビンは穏やかな顔をしていた。ゲルトを発見してからずっと怯えていた影も、今は全く見えない。
「ああ、ありがたく使わせてもらう。他に何か誰かに言っとく事とかあるか?」
 ディーターはいつもの調子で声を掛けた。
 それでいいとアルビンは思う。ここで沈痛な顔をされるとかえって辛い。もう自分は最後の罰を受け、罪から解放されるのだ。人狼に襲われる恐怖も、もう感じることもない。
「そうですね……リュックの中に残っているお菓子は、リーザちゃんやペーター君にあげて下さい。そして残った物はオットーさんとニコラスさんの二人で分けてくださいと。それが私を信じてくれたお二人に出来る、最後のお礼です」
 アルビンはふうっと白い息を吐いた。夜の間続いていた風は弱くなっている。今はやんでいるが、空は雪が降りそうな曇り空だ。きっと自分が埋葬された頃、また降り始めるのだろう。最後に白い雪で覆われるなんて、あまりに出来すぎだ。
「あと、あの『赤い絵』を、私と一緒に埋葬してください。埋葬出来なければ焼いてください。あれは、私がゲルトさんにもらった大事な物です。あの絵だけは、どうしても持って行きたいんです。そして、オットーさんにお伝え下さい……『カタリナさんとお幸せに』と」
「分かった。ちゃんと伝えとくし、絵も一緒にしてやるよ」
 ディーターはそう言って軽く手を振った。アルビンもそれに応え、その後自分で首に縄をかけた。そして立ち会っている皆に向かい微笑む。
「私は、この村が大好きでした。でも、貴方達を利用しました。これはその罰です」
 アルビンの目から一筋の涙が流れる。
「これが、運の尽きだったんです……」
 そう呟くとアルビンは金貨を口に入れ、そして自ら進んで台上から足を放す。それと同時にジムゾンの聖句を読む声が、小さく響いていた。

 罪を隠している者は栄えない。
 告白して罪を捨てる者は憐れみを受ける。
 いかに幸いなことか、常に恐れを抱いている人。
 心の頑なな者は苦難に陥る。

 ニコラスはその瞬間、部屋の中で帽子を取り外を見ていた。
 初めて会ったときから気さくで、自分のような旅人を一緒にここまで連れてきてくれたり人狼騒ぎのことを話したりしていたアルビンが、人狼には見えなかったからだ。
 この村に起こった病の話は、アルビンからも聞いていた。だがアルビンは『感染していく早さから、きっとその村あたりに今頃流行ってるんじゃないかとあたりをつけた』とは言っていたが、わざとここに来ることを遅らせたりしていたわけではないはずだ。確かに早く着いていればもっと被害は少なかったのかも知れないが、恐らくあれがあの時のアルビンの精一杯だったのだ。
 目を瞑る。この忌まわしき瞳が真実を自分に教えるはずだ。
 ニコラスはそっと目を開けた。そこには、困ったように微笑むアルビンの姿が見える。
「アルビンは人間だ……」
 やはり自分の思った通りだ。
 アルビンは自分の罪に耐えられなかった、ただの人間だったのだ。
 だがそれが分かったからと言ってどうなるというのだろう。説得も虚しく、アルビンは処刑されてしまった。その命の火をもう一度灯すことは出来ない。
 それにここで自分が左右色違いの瞳を持ち、霊の姿が見えると言っても一体誰が信じてくれるのだろう。真実の眼を持っていたヤコブは人狼に襲われている。フリーデルはアルビンを人狼だと確信しきっている。迂闊なことを言うと一緒に来たと言うだけで自分も人狼扱いされ、同じように処刑されるかも知れない。
 アルビンのように自分が罪人だと認め、あんなに穏やかに『最後に私を人狼ではないと信じてくれる人がいた、それだけでもう充分です』などと自分は言えるだろうか。
「私に出来ることは、人狼を退治することだけだ」
 それしかない。
 アルビンのことで動揺している村人に、自分の能力のことを話すにはまだ時間が必要だ。それに、今話せば確実に人狼に襲われる。もう少し様子を見て人狼を見つけ出そう。
 それだけが、何の罪もないのに処刑されたアルビンのために自分が出来ることだ。

「これで、人狼が退治出来ましたわね」
 朝食の席でそう言ったフリーデルは、何だかいつもより機嫌が良さそうだった。だが人狼であったのかも知れないが、自分達が知っていた者を処刑したという事実は村人達の上に重くのしかかっていた。
 話を聞いていなかったペーターやリーザも、処刑という事実には薄々気づいているようで、いつもより元気がない。アルビンが死んだという事実はやはり何よりも重い。
「アルビンが本当に人狼だったと思うか?」
 そう言ったのはオットーだった。オットーは目の前にある食事に全く手を付けないまま、皆に問いかける。
「俺は、アルビンは臆病だっただけの人間だと思ってる。アルビンは自分の罪の重さに耐えられず、ここから逃げることしか出来なかったんじゃないだろうか」
「私もそれに同意だ。昨日からその意見は変わらない」
 オットーにニコラスが頷く。
 フリーデルはスープをかき混ぜながらオットーに問いかけた。その様子は明らかに敵意を放っている。
「オットーさん、ではアルビンさん人間だったとして、どうして逃げる必要があったのだと思います? ニコラスさんも、よろしければ教えて下さりません?」
「私の意見は昨日言った通りだ。アルビンが人狼なら私はここに来る前に襲われていただろうし、わざわざ街で起こった人狼騒ぎの話を村の皆にすることもない。黙って村人を襲っていればいいはずだ」
 カチャ、とニコラスがスプーンを置いた。だが、フリーデルは全くニコラスの意見を気に留める風でもない。
「そうですわね。でも人狼は仲間を襲いませんわ。そう考えると、ニコラスさんと一緒にこの村に来た理由も納得行きそうですけど」
「いい加減にしてくれ!」
 オットーがそう言って椅子を倒す勢いで立ち上がった。アルビンの次はニコラスか。この修道女は、自分が邪魔だと思う者を全部疑わないとと気が済まないのだろうか。そうやって、この村にいる人間を全員処刑するつもりなのか。
「シスター、俺達には意見を言うことも許されないのか? 貴女がどれだけ偉いのか俺には分からないが、人を疑って吊り殺して、貴女はさぞかし楽しいんだろうな」
「オットー、落ち着いて。お願い」
 隣に座っていたカタリナが、オットーのエプロンを小さく引っ張る。だが、オットーはカタリナの手に少し触れただけで、フリーデルに言葉を吐き続けた。
「巡礼の途中で寄っただけだってのに、いつからここは貴女の村になったんだ? この村の何が分かるって言うんだ。この村の皆がどうやって暮らしていたのかとか、何も知らないくせに」
「私は人狼を退治したい。ただそれだけですわ。それがたまたま巡礼の途中だったというだけで」
 そう言うとフリーデルは上品にナプキンで口を拭き、朝食を終え立ち上がった。
「ごちそうさま。私、自室に戻りたいのですけどよろしいかしら」
「シスター。巡礼の途中って言ったけど、目的地は何処だ?」
 オットーのその質問に、フリーデルは思わず「えっ?」と出かかった言葉を飲み込んだ。
 巡礼というのは表向きで、異端審問のために来たのだから目的地などあるはずがない。しいて言うのであれば、ここが目的地なのだ。
 たかが田舎のパン職人が巡礼地の何を知っているというのか。フリーデルは溜息をつく。
「ケルンですわ。それがどうかいたしまして?」
「ケルン……そう。人狼が退治出来て、そこまで無事に行けるといいな」
「ありがとうございます。では、失礼」
 フリーデルが部屋へと去った後、オットーは皮肉っぽく笑って席に着き、食事を少しずつ取り始めた。
 一つだけ、オットーには確実に分かったことがある。
 フリーデルは嘘を吐いている。
 ここからケルンに巡礼には行けない。ここは山に近い、ある意味辺境の地だ。ケルンに行くには、ここから逆方向に行かなければならない。巡礼の途中でここを通る事はあり得ない。おそらくフリーデルは、この村のほとんどの者が正確な地図を知らないと思っているのだろう。だがオットーは子供の頃、父親の修行についてケルンに行ったことがあったのだ。
 これはカタリナに絶対伝えなければならない。もし自分に何があっても、フリーデルの嘘を暴けるように。

『……次の襲撃先、決めたぞ』
 何気なく食事をしたり、煙草を吸ったりしながら、ディーターは囁きをジムゾン達に送った。ジムゾンは食事にほとんど手を付けず、紅茶だけを飲んでいる。リーザは皆の重苦しい雰囲気を感じながらも、何とか目の前にある食事を全部食べていた。
『誰ですか?』
『フリーデルさんにするの?』
 皿に盛られたソーセージにディーターはフォークを突き刺し、それを口に運ぶ。
『いや、あの女は放って置いてもいい。次の襲撃はオットーだ。あいつは頭がいい、そういう奴は残しておくと厄介だ』
 ディーターも気づいていた。フリーデルが口から出任せを言ったことを。
 多分この村の中で、ケルンの位置を知っている者は少ないだろう。ジムゾンは当然だとして、ニコラスもおそらく分かっているはずだ。フリーデルは人狼退治に目が向きすぎて、自分が巡礼の途中と言っていたことをすっかり忘れていたのだ。
 そしてオットーは、その嘘に気づいている。
『面白くなってきたな』
 この襲撃がある意味山場だろう。ディーターはそう思いながら、目の前にあるコーヒーを飲み干した。

罪人達の船 第六章

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