日本の暮らしは過酷だ
年中夏服で過ごせる地域に住んで最近常々思うことは、タイトルの通り。「なんとまあ、過酷でコストのかかる土地で、あそこまで国を発展させたものか」と本気で感心する。
よく、四季があることはメリットとして語られるように思う。もちろん、良い側面は沢山ある。季節が移ろうことが、私たちの生活にもたらす影響は、日本で無自覚に過ごしているよりも遥かに大きいと気付くことができた。※またいつかこれについて記事を書きたい。
ただし私たちは、四季を感じるために膨大なコストを支払っている。
まず、本当に単純な話だけれど、季節が変わらなければ服や靴のバリエーションが少なくて済む。それを保管する場所、コーディネートを考える時間、季節ごとの流行を追う労力、みたいなものからもかなり解放される。
最後の一つはわかりにくいかもしれないが、イメージしてみてほしい。だって、常に夏なのだ。今月から春めいてくる、だから衣替えをしよう、どんな流行りが来るんだろう、みたいに考える「区切り」が全然ないのだ。トレンドが変わる(というか、大きな力によって変えられる、仕掛けられる)きっかけが圧倒的に少ない。
それが、日本では一年に何回もある。やれ今年の流行りのブーツの丈はこうだ、もうこの形のコートは古い、最新のタンクトップのフォルムはこうだ、肌見せのトレンドはこのくらい、と煽られれば、季節の変わり目は毎回がショッピングチャンスになる。
他にも、季節が変わると気候が変わる。それが年に何回もある。これってシンプルに、身体に負担がかかっていると思う。
乾燥したり、汗をかいたり、日差しが強かったり、急に寒くなったり。からだも、髪も、肌も、とにかく全身が適応に忙しい。気候のバリエーションに合わせたボディメンテナンスに、想定以上にコストがかかっている。
何も「肌状態に応じて化粧品を使い分ける」意識の高い層だけの話じゃない。気候があんなに変わるとそりゃ体調を崩しやすいよな、と思うのだ。
結果、病院に通ったり薬を買ったり、仕事を休んだり…そういうコスト・労力は確実にかかっているのだ。
四季があることはすばらしい。移ろいを感じることで、過ぎた時の長さを実感することが確実にある。(常夏の地に暮らしてみて、時の長さ、移ろいを感じづらくなっているという自覚がある。友人ともよくそんな話になる。)
そして自然が見せてくれる変化は、私たちの心を動かし、潤し、豊かさをもたらしてくれる。これは間違いないと思う。
ただそれに、無自覚に、ものすごいコストを払っていたんだなと思ったお話。日本人なら誰しも。
これは上述した点だけに留まらないので、また続きを書きたいと思う。
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