やりたいことより、やりたくないことはハッキリ自覚できる
私は、毒親や機能不全家族という環境で育ちましたが、自分の意思や感情をしっかりと持っている子どもでした。ですから、親の言うことは納得できなければ従わない。その代わり、自分で決めたやりたいことを、自己管理しながら進んでいくタイプでした。ところが、親から距離を置いて穏やかに暮らしていると、自分のやりたいことがわからないかも、と最近気付きました。
親はレールに乗せようとする
親は、自分達の希望に沿うようなレールに乗せようとします。それが、私にとって興味のないことや、やりたくないことなら、ハッキリ断れていました。一方で、やりたいことについては、「親も認めてくれたらできる」状況が多かったため、本当にやりたいことは、現実的な理由をつけて諦めていた気がします。例えば、本当は長期留学したかったけれど身体が丈夫じゃないから無理、とかです。
いつも、「親を説得して納得させること」がやりたいことをするのに必要で、大人になるにつれてそのハードルが高くなり、費やすエネルギーも大きくなっていきました。私が、医療業界に転職しようと思った時、「国家資格を取れる」職業だったから、親を説得できたと思います。でも、自分で稼いで自立できるようになってからも、この「許可を得てから行動する」という習慣はなかなか抜けませんでした。
もう社会人になったら親の許可はいらない
私は、最近になって自分が親を説得して理解してもらうエネルギーがなくて、諦める癖がついていることに気付きました。特に、良い結果が出る見込みが低そうな場合、何かに挑戦する時に、諦める理由を自分で探しているような気がします。
「もし上手くいかなったらどうする?」
「あんたには無理」
そんな、否定的な言葉を習慣的に投げかけられたり、
「聞いてわかってるような態度で、何も聞いてなかった」
こんな態度を取られ続けて、心が折れました。
私は、社会人になってから、仕事と実家の手伝いで、寝込むまで疲弊しました。そうなるまで、「しんどくても大人はみんな我慢してやってること」などと言われ、ゆっくりすることを許されませんでした。(そう言う母親は、自分がしんどかったらすぐに休んで被害妄想的な態度でした)
その結果、私は半年近く体調がなかなか回復せず、心身ともにボロボロになりました。
これをきっかけに、「自分のやりたいことは、何を言われようとやろう。反対されても関係ない。」と思うようになりました。やっとここで、「私の人生だし自分が楽しむことに対して、罪悪感を持つ必要はない」と、気付けました。
最近は、やりたくないことは自覚できる
私は、やりたいことがあったり、常に達成したい目標を持っていました。でも、最近気付いたんです。
「やりたくないことはハッキリしてるけど、実はやりたいことがわからない」
これは、きっと実家の寺の生活や仕事で、「やりたくないことを我慢しながらしていた」癖が影響していると思います。「仕事なら嫌でもするものだ」と教えられて、当たり前と思っていましたが、案外周りには、「やりたくないことはやらない人」もいました。
私は、「自分のやりたくないことを意思表示するのは悪いこと」と思っていました。でも、それは全部の場面で当てはめる必要はないんですよね。
こんな感情に気付き、自分の性格や考え方を振り返って、正直な気持ちに向き合ってみました。でも、今の私には、「やりたいこと」があまり浮かばないんです…それくらい、やりたくない気持ちを持ちながら、理不尽な我慢をしてきたのかもしれません。
心のどこかで、「私にはできない」「年相応の生き方をしなければ」といった気持ちが邪魔をしていて、「やりたいことが思いつかない」「やりたいエネルギーがない」状況です。例えば、旅行なども行きたい気持ちよりも「お金がかかる」「面倒くさい」の感情の方が強いです。
「やりたくないことをやらない」ことで自分を癒す
今は、「やりたくないことはやらない」ことを重視しています。特に、親に関わらないことが中心です。相手の気持ちを優先しがちなので、親が喜ぶからと我慢せず、「嫌なことは嫌」と自覚して必要に応じて意思表示することにしています。
私は、自分軸を保って自己肯定感が回復すれば、「やりたいこと」や行動するエネルギーも出てくるかなと思っていますが、まだ時間がかかりそうです。
今まで、やりたいことがあって行動してきたつもりでしたが、もしかしたら、親の用意したレールに乗らないように必死だっただけかもしれません。心底は、「親の人生に巻き込まれたくない」気持ちだったと思います。そうい意味では、「純粋にやりたいこと」を自覚できた時が、本当の意味での「自分の人生」なのかもしれません。
とりとめない文章になりましたが、読んでいただきありがとうございます。