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~悪漢~(『夢時代』より)

~悪漢~
 「俗称美談」と題して、〝この世は健康と金、これさえ在れば大抵の事は出来る〟と唱し、「東京」として〝東京には本物を見る目が在る、と信じたい〟と呟き、「無題」と書いて、〝拒絶する事は教育者が為すべき事ではない。〟又「無題」と書いて〝作家は、一つ処で、他人に考えさせるもの(内容)を書くべきだ〟として、次の夢の〝打ち震え〟に我が身を呈して挑んだ。
 俺は晴れた日の下、恐らく自宅からそう遠くない、近くの歩道をふらふら〝銀ぶら〟のような態を醸して散歩をしながら、この日喰うに困らぬ様にと、新しい職の様なものを探し求めて居た様だった。服装は白い銀ガムチェックの生地を基調とした物か、或いは全く無地の白地を基調にした物で、兎に角洗い晒しの様なシャツを着ながら、もう一人の客観を決め込む我がその様子を唯遠くから眺めて居たのである。「恐らく」というのは、今目に見えて居るその辺りの風景が以前から見慣れたものとして在って、何処となく懐かしく、又目に眩い位の燦々に照る真昼の陽光がその彼の生地と、我のその時の心の鏡を上手く反射させ、空に浮んだ一枚の大鏡(おおうつし)に、取りとめも無い見知った過去の自分の映像をまるで活動写真の様に何枚も、何枚も、当面変わらぬ姿でと映してくれて居たからである。それ位に、その時の情景とは今のこの自分の胸中、窮地に、はっきりと目覚しく残って居る。なかなかに、良い職が見付からないで、俺は唯仕方なく湿って居た様子が在ったのだが、一寸でも、少しでも収入が在れば一息付ける、又、好きな物も買えて、何処かへ(一人旅でも何でも)旅行する事だって出来るのだ、等、又何度もそう自分に自答し、又その言葉と見える燦々の太陽とを味方に付ける等して、心の支えと成し、そう、私は兎に角唯、職を欲しがって居たのである。
(そのまま歩いて行った先に、自分が期待した場所と違う場面が待って居た様だった)
 何処か、信州辺りの旅館だった様に思うが、様々な人達を伴って(大学の見知らぬ学生も含めて)、大学主催か何かによって立ち上げられた様なその旅行にはかなりの多勢が引き連れられて居た様子で、その内に俺も居り、又俺が以前通って居た専門学校、職場、そして一つ目の大学、等に於いて出会った知人・他人達を連れて行くという、過去と現在とが何か、目前で連動して居る様な光景と情景とが拡がって居り、俺はつい源泉を求める様にしてその彼等の目を盗んで水呑み場を探して居り、湧水の様な冷たい水を出す処は無いか探し回って居るが矢張り無い様子で、仕方なくそこから最寄りのコンビニ迄行き、クリスタルガイザーを買って飲み干し、一息付いて居た。ついさっき出発地点から発って此処へ着いたばかりの様に思えたのだが、もう皆は〝帰ろう〟として、ゾロゾロと旅館の玄関口から又多勢を引き連れて出て来る場面が映し出されて居り、その旅館内でのエピソード等殆ど知らない、といった私の印象と感想はどうもその玄関先で置き去られたままの様だった。否「殆ど知らぬ」ではなく全く知らなかった。俺は〝浮いて居た〟のか?等と又自問して見るが、その実良く解らず、唯、人に遠慮し(と言うよりはその群れに遠慮して)、傍観するしかないその時と人の流れというものを唯のんびり、呑気に只管見送って茫然とする心中に一つ、浮遊する疑問点の様なものを持って居た事は確かだった。けれど過去を取り戻せない人の性がものを言って〝まぁいいや〟と呟きながらも又その群れに付いて歩いて行く自分を知って居る。少々寂しい様子にも見えたがそれでも気丈で在った。
 一時〝(俺の)親友〟と勝手に称した山平鉄平がその群れの内に居て、俺に又徐々に近付いて来、真面目な顔して「○○○が死んだで」と少々、吸い込まれそうな表情を以て俺を睨みながらに言い、俺はその〝親友〟の突然の訪問に少々見惚れながらも「そうか」と、これからの詮索に意を燃やす様な軽い状態、体裁を以て言い、その今後の「楽しみ」を又大事に取って置いて、あわよくば皆で楽しもうとするあの〝他人の不幸に飛び乗って騒ぎ立てるマスコミの様な存在〟に俺、否俺達は成りつつ在ったのだ。私が働いて居た元職場に、川崎京子という少々我儘で詮索好きの、又お喋り好きなもう何年か以前のその頃から初老を迎え始めて居た醜女が居り、俺はその彼女に成り行きも相俟って、懇意にして貰って居た。そう、興味深かったのは、その旅館から出て来た者達の内にその醜女も混ざって居た事であり、又その外観が漫画「浦安鉄筋家族」に出て来るキャラクターの山田花子の様な外観と成って登場して居た事であり、又その彼女が、私達のその〝楽しみ在る詮索〟に協力しようとしてくれて居た処である。しかし直ぐに事が始まらなければ直ぐに、一目散に、何処かへ姿を消して仕舞うその習癖は相変わらずで、又、何かと忙しい体裁造りをその小母ちゃんは我々の興行の内に投げ入れてくれたものでもあった。他人と共有する「冒険の地図」の内に、まるでサスペンス染みた情報をきちんと収める事が出来た俺は、それ故にしかし、気分が良かった。しかしその態は不意に周囲を見渡すと又、独り善がりなものでも在った様子に気付いたのは本当である。しかし又、その周囲にも俺と同様の輩が居た様に思う。
 兎に角俺は、周囲に居る見知らぬ輩達に対して「自分に親友が居てくれた事」が嬉しかった様で、俺はその〝親友〟との戯れ、又語らいの場面を少々周りに悟らせるかの様にして見せびらかし、大袈裟に振舞ってその共有時間を長引かせて居た節が在り、〝親友と私との空間〟、又〝その二人を取り巻く環境〟では、しとしと枝垂れ雨が静かに、サワサワと降り注いで居た。この〝雨〟を、私は〝自分を何処となく落ち着かせてくれるから好きだ〟と言い、親友は唯にっこり微笑んで居た。又その雨は降ったり止んだりして居て夕暮れか昼かも分らない程程良く濡れた暗い軒先を、私達の目前に展開させて温い雨にも成って居る。これも何時か見た事在る、感じた事の在る、雨だった。その雨が止んだ後、元の風の流れを漂わせる緩い快晴に逆戻り、私は唯、親友と環境とが私の為に織り成してくれると信じた淡く嬉しい展開を待って居た。その死んだ「○○○」とは、俺と親友、又他の幾人かの友人は既に何処かで出会って居たという設定であり、それが又三人娘の様で在り、私は恐らくその親友に彼女等の名前と(これも又恐らく)写真を教えられ見せられたが、何処で会って居たのか、果た又どの様なエピソードを俺とその娘等は持って居たのか、又何時の頃なのか、等、兎に角続けて詮索して見るが一向に何も確定的な証拠というのが見付けられず、しかしその内に、否何処かで出会った事は在る…、という気持ち・記憶の様なものだけは細い一線の様にして残るのだった。しかし一人だと思って居たのが三人も居たとは驚きで、俺は瞬く間にその親友に或る疑いの心境を以て疑念を投げ掛けようとはするがしかし、その投言も何時しか消えるものとして残り、俺と、又周囲の者(知人・友人)達、又他人も含めて、知らず内に行燈の油を舐めるが如くその奇実を心酔して受け入れて居たのだった。三人娘である。
(場面が変わって)
そうしたサスペンスものの、又ヒューマンドラマを少し小脇に退け、ふと太陽とは逆の空に目を遣ると、その場所に行き成り成長したF三からF五クラスの竜巻が現れて居り、それに気付いた他人・友人達は皆見入って驚いて居り、又遠方に在る恐怖を改築して自分の身近に置き、極度に恐れて居る者さえ居た様子である。その頃からその「他人」の内にも少しずつだが知己とも呼べる知人が増えて来た様で、私は、〝ああ、そう、これが恐怖感が共通してどの領域に於いても成せる、人を結束させる力なんだよなァ。皆何でこの力をもっと欲しようと素直に思えないのだろうか?行動に移せないのだろうか?〟等心中で又何度か呟いた後、皆の所へ駆け寄って、一度は既成の様に誂えて作られた様な俗の〝色眼鏡〟を通して彼等と一緒の壇に立ち、その一重の竜巻を見入って鑑賞する事にした。その竜巻はまるでそうした私の背景が成した為なのか、ショーウィンドー、TVのブラウン管の中に閉じ込められた既成品の様に始めは大人しいものに見えて居たのだが、しかしそれは確かにその時現実の物として在り、その怒涛の様な疾風に巻き込まれれば元も子も無く成り、画策する我等頭脳の破片には手痛い竹箆返しが飛んで来る、と一溜まりも無い状態で末路を迎えねば成らなく成って仕舞う事は必須の条として残った様で、私は、否私と恐らくこの仲間達は、必ず自分の安全圏だけは包帯巻いてでもきっと死守しようと、甘い陶酔の内ですったもんだを濁して居た訳である。
 「大草原の小さな家」に出て来る赤ん坊・グレースの様な男か女か良く判らない乳母車に乗せられて白布に包まれた命が俺の目前に在り、次に目前に拡がって居た広い草原の上をその乳母車から下りて這う這うの体、よちよち歩きで(私から見て)左から右へと渡り歩いて行く様を映し出して居り、如何言う訳かその竜巻の恐怖からゆっくりと鈍く揺れ動きながら逃げる若者達も、その赤ん坊と同じ方向へと逃げて行く。私はそうした光景に対して少々傍観の体を決め込んで居たが、矢張り竜巻の壮大さと、もしかするとその猛威がこちらへも直ぐにやって来て、知らぬ間に成長する自然の営みにあっという間に呑まれるんじゃないのか?等という映画で見知った様な恐怖に自ず駆られて仕舞い、私は逃げる算段を立てながら何か変わったその〝猛威の成す業〟って奴を見てやろうとして居たが、その様は周りの逃げて行く者達と同様、這う這うの体に近かった。唯、その竜巻は未だ我々から遠くの位置に在った為、皆緩い駆け足だ。その場所はどうもアメリカに移って居た様子でその所為か、毒虫が居ないかと私は警戒し始めて居た。案の定一匹の蛇を見付けた。それはゆっくり草の根を分けて進んで居り、グレースが「ダァ、ダァ」と四本の足で進み歩くその直ぐ傍に居た。毒蛇か否かは判らなかったが警戒するに越した事は無い、と見て私は、グレースにその蛇が飛び掛からない事を唯祈って居た。良く見ると、そこら中に今度は毒蛇だとはっきり判る色々な柄をした蛇がわんさかと居た。綺麗な緑の原っぱがその蛇達を隠し、そこはどうも、少々良く見なければ(注意しなければ)分らない危険な区域だったのである。皆気付いて居るのかどうかは知らないが、今の所未だ蛇に噛まれた被害は無い様子で、私は唯、そのグレースが蛇に噛まれないかどうかという心配に釘付けに成って居た。上手い事グレースはよちよち歩きながら蛇の間を潜り抜けて行く様子だが、何分未だ赤ん坊で在り噛まれれば一溜まりも無く、その「今の所の安全」は心許なかったのである。して居る内に、心配して居る私の方が先に惨って仕舞った様子で、何処彼処に居る毒蛇に気が気で無く成った上で少々ノイローゼに成り、飛び跳ねる様にしてそこら中を散策しつつも走り回って仕舞った。私はその内にこけて仕舞った様子で、その拍子に両脚が隠れて居た何匹もの蛇(四匹位か)の頭(首)辺りの部分に乗って仕舞い、びっくりして暴れ噛み付こうとする蛇を抑える様にして足でそのまま力強く捩じ伏せる体裁しか取れなく成って仕舞ったのだ。一度、細長くて小さい蛇が私の脚を擦り抜けた上でクルッと鎌首擡げて私の足の方へ顔を向け、私は知らぬ間に噛み付かれて居たのかも知れなかった。噛み付かれて居ても「痛みを伴わず毒だけを体内で静かに進行させる場合」が毒蛇の生態範疇の内に在る事を知って居り、そいつに噛まれた場合の悲惨な末路を掲げながら私は尚不安で在った。
 そしてその我武者羅な努力に対する不安に夢が掻き消されながらにして私は夢から覚めたのである。


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