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~蝙蝠の柵~(『夢時代』より)

~蝙蝠の柵~
 何時(いつ)まで経っても尽きぬ音頭を執りながら、如何しても終える事が出来ぬ会話と問答とを引っ切り無しに続けて居り、この世で十分な仕合せを得ようと俺は全力で試みている。全能とは、どの様な人の姿を指して言うのか。ありとあらゆる人の本能は〝あれが全能だ〟、〝これが全能だ〟と口を揃えて伝え古して来て居り、人にはその全きが解らず、全うしようにも必要な術(すべ)が見えないのであろう。私は、健康を害する事が、害される事が、怖く、始終、神の憐み、愛情にしがみ付いて、人の生活で奏でられる生の謳歌を省みながら、唯、今後もこの文章に依って神の為の福音が出来れば、と考えて居る。これも個人(ひと)の思惑の内から生れたものなら、何が真実で在るのか、その事についての真実について俺は神自身の言葉に依り、栄光の内で教えられ、知りたいのだ。今日の昼下がりに、私の家へ一人の初老の女性の知人と、その知人の古くからの知り合いと称する同じく初老でありながら、少し若く見える貴婦人の様な女性とがやって来て、沢山、私の既知の事でありながらに未知の事柄をぺらぺらと喋り伝えて来た。私は丁度その時孤独で居た為、そのお喋りが発する香りの様な線香が目と耳に好く、肌と心で感じられる美しく心地良い贈り物の様な新しい物として映り、その二人を嬉しく歓迎して居た。それで、私の話、証の様な物も、聞いて欲しかったのであるが、私の左隣に何時(いつ)もの様に、自分は薄仰だと称して大きく構える様に映る父親が居り、私の話に対して殆ど一つも首肯せず、何も賛同してくれない冷遇が心に痛いという、在る筈の無いと思える父親の存在が在った為に思う様に喋れず、真実の思惑や他愛無い小言が喉から口外へ出そうに成っても自ず自制させられて、私は頻りに、病気であった母親への看病を献身的に為して来た父親の姿をそれでも思い出し、うとうとと凄む様に俯き始める…。私はもっともっと喋りたかったのだ。しかし自然が、神が今それを許さない、そんな様子と光景とに思え、それはそれで良し、とする迄に成っていた。何時もの収め方でもある。その初老の貴婦人は、母親を始め私は父親にとって従来からの知人であったその初老の女に促されてこれ迄の自己の証をさせられ話す事と成り、その我々の居た同じ空間の内にて香りと熱とを変えずに、小鳥や風の音までが閉め切った室内に在った耳に聞こえる位の厳かで力強い発声とを以て、苦しい惨劇の様なその人の栄光までの経過を話し出した。私の直ぐ右横ではさっきからずっと付けられてあるヒーターが音を変えずにごうっと唸っていた。私は暑さに耐えながら、又足の痺れと心中で俺を惑わし密かに人から見得ない場所へ貶めようと色香の様な悪鬼の姿を、その二人と自分との間に在った現実空間の内に見立てて又下方を見出し、私の表情か目ばかりを見て来るその初老の貴婦人の存在を有難くも、危険な存在だと見做して居た。当然、その様な表情をひけらかす事は現実には叶わず私はそれでもずっと、その貴婦人が語る殆ど病魔との闘いだった一個の人生を延々聞いて居り、自ず、今の自分の在り方にその内容を影響させて(照らし合わせて)、苦しかった。聞く事が既にもう苦しかったのだ。女は病の発するあらゆる恐怖や苦痛に強く出来て居る、と何時(いつ)か見知った事があるが、此処でその事を思い返した時には矢張り苦しいものが背と胸中に覆い被さって来て、早く話題を変えたい、と思って居たのだ。初老の女はこんな時に、これ迄の教会に於ける前任牧師との旧い仕来りの様な教訓(ならわし)に依り、この死地の様な暗黒から清(すが)しい天空へと羽ばたく事の出来る朗らかな話術と内容とを心得て居り、その人の喋る事がその時の俺には一つ、救いだった。俺は此処でも密かに、あの前任牧師の残香と残影とを追って居り、自分の胸中と身辺へと引き寄せたい、惹き寄せたい、等と思考に思考を重ねて居た様子である。しかし当然、その初老の貴婦人の話の内容とは個の人生に於いて軽く扱えないものがあり、俺は自重して居た。その前に、この家庭集会に於いて読み進めていた「レビ記二〇章」の内容である〝死刑制度に関連する人の淫行、人の在り方、取り扱われ方〟を知って居た事もあり、俺のその自重には別の要素も含められており、中々複雑だった。散々の、これ以上無い位のその淫行を働いて来た俺とは、一体如何すれば、何をすれば神に依り又助けられるのか、と散々に苦悩と重荷を背負わされた気分で、一々の箇所を読み解いて行き、人として絶望の様な辛酸をその時又味わって居た。
 何時(いつ)か、確かに見知ったあの絶望の牙が又自分の心中と身に喰い込んだ様(よう)で離れず、今にも雨が降って、この醜態を隠してくれそうな臆病を覚えていたが、以前迄の過ちを今後は絶対に繰り返したくない、として、その苦し味(くるしみ)からもう逃げたくはなかった。一瞬、あのハンディを背負った女が悪いのだ、あの女とさえ出会わなかったら、等と元彼女を呪う事をし、しかしそれも神の御手の内に在った計画ではないのか、と救いを欲する狡い自分が居た。正解を知らぬ我の滑稽はこの世に転がり続けて、その様(さま)と内実がはっきりと呪われたもので在るのか救われ得る存在で在るのか、その正体を掴む事が出来ず、絶えず浅墓な全貌を見て居るしかない我の正直は又自我を唯の目暗(めくら)の様にして仕舞い、今後への苦しみと恐怖を耐え抜けないだろう、とするその自我の恐怖に耳を向けて、誇大妄想にして遣られる訳であった。その初老の貴婦人の話が終った後に、この恐怖の粗方が自分の心中に起った自己の発声にも依るものだとした俺は又、姿勢を現実の流れへ向けて正し、直して、母親に、その日の家庭集会での現実的で堅実的な自分の在り方を話し終えた後、父親が矢張り黙して語らぬ様に成って居た為、又か、の声を残して自室へ上がりたいと思い、トイレへ行こうか、とした思いと衝動とを後回しにして先ず一人に成る事を選んで居た。果ての見得ぬこの現実世界で、変らずに人としての姿勢を貫くしかない俺の身近な切なさを噛み締めさせられた儘、その家庭集会で初老の女に紹介された今度の研修会の案内と、初老の貴婦人に紹介された、自分が現在通って居るD大出身の榎本保朗先生の孫(二十幾つの)が主催するという滋賀県でのレトリートと呼ばれる会、について思考を巡らせ、新たな幸福への機会と糧とを得ようと、今、全力を試みて居るのである。そこにも狡い私の算段が見え隠れして居たのであるが。
 此処までの現実の経験をした後、我は、過去に呟いた言葉を振り返る事に成る。
 題は付けない儘に、確か、或るテレビ番組を観ながら呟いた内容が以下。
 「世紀末に成ると如何いう訳か廃退的な文学(もの)が流行るんですけど、何故でしょう?」、これは以前に、このテレビ番組の内でなくても実際に、大学の講義に於いて或る文系学部の教授二人が同様に、口を揃えて呟いて居た内容でもある。(続けて、)「サブ・ジェノサイド(人種削減)を求めているからでしょう。人の心にはそういうものが在るらしい。煩わしいものを一掃したいって言うね。その裏には一団に成りたいって言う孤独が潜んで居たりする。良い契機に成ってるんじゃないですかねぇ。」、次に「世渡り」と題して以下。「絶えず左右前後を見て歩いて行くべきだ。前途を見て、反省をし、横の繋がりを見ながら歩いて行くのだ。」、「心の拠所とは、独りに成った時に表れる。」、「神様が住む天国とは何処に在るのか?広い宇宙を探せども未だ見た事が無く、もしかしたらこの地球に在るのでは?として人と人との間を掻い潜り、可能な限り探して見れども未だはっきりとは解らない。次元が違うのだろうか?死者は何処に?何処に行ったのか?何処に行くのか?もっと身近で、我は何処から来て、何処へ向かって居るのか?恐らくこの辺りに、我が深く求める文学の源泉が在るのだ。喜怒哀楽を持ち、人は此処で色々と物語を作って居る。感じて居る。この様(さま)を見て居る者が他に居るのか?信仰という物は太古から作られ、語り継がれて来たという。人は此処で元気に生きて居る。哀しみの内に生きて居る。孤独だと言う。信仰の効果は人に闘いと安心とを与える。救いというのは此処から拾い上げられる事を言うのか?清めとは救われる為に為されるものか?結局人は人の思惑を以てしか物を考えられぬ為に、見知った事の無い神の事に就いて明確に把握出来ず、信仰に肖って居る。信仰が生れたのは、この世が辛いからだろう。人は色んな生き方をする。これを裁定する者は果して居るのだろうか?」、とした。この様な言葉(ことは)の群れを呟き呟きして、白日の陽光に心身を照射させて、眠った時に憶えた内容(もの)が以下である。
 「天井を蝙蝠の様にして走り廻る男が居たら、さぞ不気味で嫌なもんだなぁ、等と考えて居た。」、こうした空想を夢の内で呟いて更に深層に自ら脳が解け込んで行ったのだ。今迄に出会った、AもBも、T…は興味本位だから違うにして、D…は歳が離れ過ぎて居て上だが、まぁこの際Dも皆、俺は体だけを愛そうと試みて居て、その者達の心を愛する事が出来なかったのだ。だから結婚出来なかったのは仕方が無かったのかも知れない、なんて最近又、思う様に成って居た。Dは、もし今同居して居る母親が亡くなればあの家に独りで住む事と成る。その環境が自分の今の環境に似ているなぁ等と思わされながらも、Dはそう成った時にはどんな想いをするのかについて考え始める思考の姿勢に直ぐさま切り替えて私は、いや女だから又俺とは別なのだろう、と男女の壁を覚えさせられ、不能の葦を身に付けて居た。又、そう成った時、Dは俺に〝亡くなった〟事を報せる一報を送ってくれるだろうか、と体を欲する俺の見境の無い厭らしい傲慢も見え隠れしていた。Dとは一男を儲けた離婚者である。女の思いは男には解らない(分らない)ものとされているが、矢張り解らないものである。
 父親がもう居なくなった母親と二人切りに成った家で、俺とその母親は居た。俺は二階に在る自室に居た様子で、寝起きか何かで少しぼんやりして居り、ふと母の事が気になり階下へ下りて、母親が今如何して居るか俺は確認しに行った。外も家の中程に薄暗くて、時間帯が良く判らなかった。階下へ下りると、又薄暗い奥の部屋(母親の寝室:寝間と呼んで居た)には薄平(うすべ)ったいが母の温もりが満ちて居そうな布団が敷かれて在り、その周囲には何時(いつ)か用を足した生活品(服やタオルや時計といった小道具を含め)が散らばっていた。白と、水玉模様が少し入った黒のエプロンかベビー服の様な恐らく女性物の洋服は、薄く茶色に成った人の垢を想わせる態を以て薄暗く饐えた寝室の畳に捨てられて在り、俺は勝手に、何時(いつ)か幼少の頃に出向いて行った教会主催のキャンプ場で見た事のある、「誰の物か知らぬが恐らく自分の物であろう同様の肌着の在り様」を他人に観られた記憶を少し未(ま)だ肌寒い春の生温風(だんぷう)の内で感じて居り、一瞬その設えから私の追憶は記憶と共に一定の温度から遠退いた。
 もう起きて何処へ行ったのか、母が居なかった。しかし母親は利き側が片麻痺であり、その行動範囲は自ず知れるもの、と思って居た。言うまでも無く、一人で外出は出来ないのである。何処かその辺りに居るだろうと思って居た矢先に、庭先から音がした。硝子器か瓶を仕舞う時の金属音が微かに鳴ったのを聞いた。〝ああ、そこに居たのか〟、と俺は安心する。良かった、きちんと未(ま)だ自分の側に居てくれた、と本当に安心して居ると母親が、〝ユウジ、何かさっき男の人が居ってなぁ…〟と言う様な戯言の様な物言いを始めて居たが、俺はそれを聴きながらも母に、「(寂しい儘にして)結婚も出来へんくて御免なぁ…」と穏やかに悲しく告げて居た。母親の寝間が左手に見え右手には庭の、以前に父親が作るのを手伝って出来た母親が洗濯物を取り込む事が出来る為のミニテラスから、入って来たばかりの母親が居て、そう言いながら俺はその二つの間を通り抜けて、キッチンへ出た際、ふと自身の左横に備え付けられていた棚上を見ると、電源の入った黒いパソコンが置いて在り、その内ではカーソルが点滅した儘何か文字を打ち掛けで使い掛けの様にして放って置かれているのを見付けて居た。何が書いてあるのか解らなかった。寝間と母親の側を通り過ぎる時にふと、俺とは違って結婚して子供(女)も居る親友の顔が思い出されていた。俺は自分を取り巻いていた環境と共に異常に淋しく成って行き、その一定の温度から今度は永遠に離れる事を薄らと臨みながら、夢から醒めた後で、父親が自分に居てくれる事への感謝を心から咀嚼してその断片ずつを自分の身の内に食べさせていった。


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