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~シャイニング~(『夢時代』より)

~シャイニング~
 六でも無い風の様な戯れを嫌いつつ俺は眼(まなこ)を閉じたまま鹿鳴に響いたコメディへの尊敬にこの身を絆され、硝子ケースに入(い)り切りになって嘯く我の本能故の再来をもう一度この地で、この寝間で覗く事に成って居た様子が在る。歩き疲れた人の生はこの人生(みち)の上で程好く倒れて、足早に嘯き、彼女と称した幼子を又煩悩を以て在り来たりの愛児へと化して行くのが我の使命であると入魂伝来(じっこんでんらい)の焦燥の内に怯えて、凍えた手足は踵を付けずに進み始める一体を体好く慰めながら、又白紙の上へ投げ出されるごろつきに姿を変えて行方を晦ます。黒も白も、何色(なんしょく)に変わり果てた経験豊かな言葉の数を折好く束ねて過ぎ行く人の孤独は、何処へ向かえど無人の糧にその身を変えて、形(なり)を潜めた悪鬼を見せた。茶色の机に逡巡漂う豪雨が宿れば狙い撃ちする人の野望は一瞬出遅れ野放図を知り、何処まで行けども辿れども、結局果てを知らない人の謳歌が何処でも現れ、俺には当面、放って置かれた実直な野望が悉く燃え尽きるのを今此処で報(しら)され始めて〝仕方が無い〟と諦め行くのだ。
 何事も諦めては成らぬ、と消息を絶った満天の小言が何時しか俺の心中にまで行き届きその自体を拡げた青黒いシートの上で揺らめき笑って居るのを、掻い摘んだ時の内に流れる時流の陰にて俺は知り、何も書けない冷静の内では悉く青く灯り始めた黄金への信頼さえ何処かで嘯き呟き、遂には彼(か)の満足をあのケースに含めて笑った夜を俺は又何時ぞや知った不完全(みじゅく)の内に憤る。頃合い見計らったしどろもどろの態(てい)さえ唯宙へ浮足立つ様な満天の足元を潜めた暗い忍従漂う階段へは、俺一人しか上る術を知る者が無く、母親も父親も、特に父親の方は全くと言って好い程に唯出掛ける我を無情で見送り、孤独を植え付けて来るが如く俺の心中を果て無く堕落させた上に微弱なものとし、我関せず、と歩幅を決めて居た様である。又、彼(か)の、某ディレクターから俺は、小説とするには未だ余りに未熟で、事の左右も分らない儘稚児が思い出を儘書き殴った正体分らぬぼんくらがこの文章内には在るとし、俺の書く物思う物とは終ぞ果て無い孤独で塗り潰すのだと悪口を切り替えモノクロを呈して来た故俺は唯、噴水の様に果て無い人の微熱を外へと出して、在る事無い事書かねば成らぬ程好く澄み切った一介の剣士と成って、唯自分の朦朧を悉く打ち壊し得るハンマーを持たねば成らぬと小さく誓った。
 唯取り留めない程自身を覆う人への骸は凄惨を期して泡立ち、愈々鳥肌さえ立たせてくれ得る孤高の勇者は耄碌して行く諦観極めた雑草の体(てい)を秘め、軒端に落ちて、牧場で人を喰い尽して行く無駄の無い草食の限りに尽された道程の白露に生命を乱され落された後、漱石からの不図(ふと)した名文の内に自活の気力は尽きて居た事を知り、俺は興じて泡(あぶく)を知らない天来の地へと業を煮やした。何気に咲いた麓の村では、終ぞ懲りない雨が注いだ川に氾濫を招いて人を呑み、人家はのっぺりとっぺり、明日を見知らぬ無情の蒸気を終ぞ哀しく吹き出し荒れて、豪も商も、農奴も武(たけ)も、凍えて死んだ人の歴史を冷たく倦応(あしら)った儘で掛け違え足る夢の窮乏へと身を、生(せい)を、明(めい)を、騙して送る装置と成った。遥か遠くに聳えて俺を眺める夢御殿への宝来とは又、哀しく散っては夢を据え行く剣士の様に実直を期し、頭脳が唯柔軟を拒み続けた晴天下での繁華を一纏めにして俺の眼(まなこ)を騙しても、一向に衰え知らずの狂気の群れを一瞬を労力を伴い又俺の酩酊さえもを寝かし続けて、明日(あす)を奏でる人の生(せい)へと自然の力は〝謳歌〟を以て慰めた。通り一遍の〝尋常〟を記した俺の旨には何も書けない記憶の流転が何時(いつ)迄さえも冷め遣らぬ人の冷気に従いその形成(なり)を晦まして、何時迄経っても冷め遣らぬ山の火の手を人へと見せて、蟋蟀がやがて秋まで揺らめく気力を呈した如くの連呼を我が物にして行く様(さま)を我は寝屋の内からひっそり覗いた。歌劇が人を露骨に活して別人へと変えても他人はその六でも無い血肉の糧には慌てて居らず、客席から程好く乱された後舞台を照らす照明と人の心が照らすその照明とに延びて行くオルガの正体とは又俺の露骨を腐り切った動力装置(エンジン)へと換え燃やし尽せる程の改進とを保(も)ち〝留(とどめ)め〟従え、アルキメデスの頭脳の襲来と漱石の文豪が成し得る小さい到来とを又併せ持つ手を俄かに片付け心に待機し、〝我は古豪で細君名士〟と何とか言った。
 行方を知らない陽が立ち昇る山村(さんそん)での事、俺は密かに、魳(バラクーダ)の様に獲物を求めて遂に片付けられない鮫の断片を地に伏せようと一介の逡巡と照準とを保(も)ち、明日成(あすなろう)へと気力を落した過去の自身をも一度得ようと試みて、改悛知らずの若体(じゃくたい)の技能(スキル)を自分の内に設けた羅針盤の上へ並べた儘で、唯昨日と明日(あす)とを占って行った。小春日和の様(よう)な微波(びは)の漂う小満の日である。
 夢を語らう昔に知った喜劇人(コメディアン)達がテレビの内から跳び出て来て唯ほくそ笑んだ後(のち)、小さな円盤を図って〝角出せ槍出せ…♩〟と小言を準え幼児(こども)の声を真似して居ながら俺へは既に成熟し終えた滑稽の実(じつ)を呈し、哀れに歌う〝猛獣の籠〟へと俺を誘って行った。白く、歯軋りの音が飛び交い続けるその〝猛獣の籠〟とは小さく折り畳まれた夢の世界を珍獣染みた奇怪生(こっけい)が絶えず息する混玉(こんぎょく)の野原(のばら)を呈し、我は危な気(げ)にも綱渡りをする曲芸師に成り、空から下りた堕天の主(あるじ)は冷め遣らぬ人の骸を程好く着飾り仰向けて寝る我の球体(オズマ)へ追随配慮を掲げて、誰も見果てぬ野心を賭して〝世界〟を焼いた。先に知った〝喜劇人(コメディアン)〟達はその内自らの正体を明かして行って、悉く打ち拡げたそれ等の表情(かお)には遠くで知り得る生気が灯され光沢を見せ、俺には下界を彷徨い続ける〝漂浪人種(ドリフターズ)〟である、と何やら性懲りも無くまるで戦火に依って焼き出された依怙地の群れが孤独と詳細とを知り、怒涛の如く狂喜へ押し寄せて来る一介のドラマを知らせた。そう、テレビの内では漂浪人種(ドリフターズ)主催の滑稽劇(コント)の様な物が画面所狭しと交錯しながら難航して居り、所々で客の声である筈が唯の女装の軽笑(けいしょう)と成り果て落ちて来て、処溜らず屈曲して行く漂浪(ドリフ)の活劇が〝我が寝間〟を求めた如くに我と我の両親(おや)元へと来て、一泊の根性を満たした十万の地へと歩を進めた様(よう)だ。しかし又俺は密かに天に対して己の正体を変形させた上で隠蔽する努力と度量とを計り講じて居り、何時(いつ)しか内員(メンバー)と先行く断片毎に於いて唯照準を披蹴裸(ひけら)かし合せた様(よう)に、話せる様(よう)に成って行った。
 そこで登場したメンバーには、長介と志村とかとちゃと仲本工事が居たように記憶して居り、花咲く白浜から見る青空と、木瓜の花が成るアブラハムの森に深緑を講じた豊穣呈する紅玉が密かに眠り始めて、韋駄天が自刃の両刃を先好く喫する様に己への刃(やいば)を又立て、歯向かう者には容赦はせぬ、と唯々ひたすら暗い、長いトンネルの様な煙突を呈した洞の檻を、何処迄か、何時迄か、足取り重くもやって来るのだ。彼等がしたのはよもや〝コメディ〟と言うより紀行記録を助成する為の〝旅番組〟の様であって、各地を転々として挙句はその行き先にてゆっくりのんびり仄々と、紀行に纏わる臨場を呈すに伴う人の絆しを幾層にも分けた臨在の高台へ上がらせ叩き割る、といったその様な体(てい)を醸し出して訳であり、俺にはふとその内で見知って居た長介と仲本が呈したあの横顔が、子供騙しを凡そ打破する醜聞にも採れ、密かにまったり、四人の跡を付けて行く事と相成って居た。長介と(確か)仲本は山の麓の畦道を、志村とかとちゃは海が直ぐ真横に見得る海岸に居り、その海岸に就いては、白波と白い鷗が青い空の豊潤に何れも解け込まぬ迷彩を見て知り「もしこの大海原が勢い立たせて津波に乗って、この山村、成らぬ海岸・港町へと押し寄せたならこりゃ一たまりも無い…」と弱くも明確な恐怖を憶えて呑み込み、空々(からから)回る夏の風鈴の付いた風車(かざぐるま)は俄かに人に恐怖を騙し憶えさせ得る対象(もの)だと又密かに感じ取った儘、又俺は早くこの港、海岸沿いを呈した一場面から離れる事を願って居た。段々記憶と熱微(ねつび)が折り重なって、白波(しらは)の先(は)が俺の心中(こころ)へ真面に届かなくなった頃、俺はこの港から程好く離れた山村の麓から小さく大きく木霊し鳴り響く御者か村人が鳴らしたのだろう、歪曲してある警鐘の音(ね)が時を通り越え耳まで届くのを感じて、白雲が燃え盛ろうとする現実が呈したノルマを越えてまるで海を波(わた)るようにしてやって来た関門の音塊(おんかい)を、その儘鵜呑みとした儘、終ぞ止まれぬ孤独への足音・足取りをその儘踏み換え長介達が居る方角へと向き、ふと長介に出遅れる形を採って長介が歩いて居るその場所から少し、否可なり後方を懸命になり追い付こうとして居た仲本の存在の方を先に気に止める事が出来、その陰で、又確実にあの、以前に俺も見知り終えて今では有終への糧とも掲げる〝山村〟へと二人が、否俺を含めた三人が、とぼとぼ、てくてく、歩き近付くのが明瞭に知れ、俺は矢張り、この長介と仲本が程好く離れた歩幅を以て焦らず「出遅れた者」が居たとしてその〝遅れた分〟を、まるで一つの芸の肥やしにさえし得る程度の大胆不敵が好きであり、一方志村とかとちゃを観れば、まるで現代(いま)に於いて速さを競い出来を競わぬ最小の歪曲(ゆがみ)を制する彼等の言動(うごき)が目立って囃され、そうした言動(うごき)を織り成す最中(さなか)に、骨髄、歩幅、歩、目、五感から六感迄、全てを埋め尽せる個体に込まれた現状(いま)を知りつつ両者を嫌い、港町・海岸へ又帰る事を酷く嫌って居たのだ。白紙は我が頭上高くで輝き続ける太陽を唯のさばらせた儘次の瞬間直ぐ頭上で輝く灰色した雲に代え、暫く安堵を経た後(のち)人の骸に微熱を以て脂を落して唯人の想像の出発口を小さく窄めて花さえも咲かぬように唯字を受け付けないのだ。この事を実体験した後(のち)、敢えて栄華を誇って唯人の優越にこの身を立たせて他者を見下ろし、自身の行方は誰も見知らぬ未開の地だと程好く緊(きつ)く自負した後(のち)の散漫を我は敢えて、敢えてこの地へ落して行った。故に言葉を遮る閻魔の大喝が又程好く天空へと忍び寄りその実(じつ)風来に供する輝玉(きぎょく)の襲来にも耐え得る修練を重ねて我の麓へ下りるのを知り、我は終ぞ見果てぬフレーズの枠に捕われた四音五音節ずつの到来に満ちた古来の日本の詩に満ち果てた現代での蹂躙を知る事も出来、その上で尚人の表現がこの長介と仲本、かとちゃと志村が登った桃園の様な桃の香りにも敗けぬ程の正義を期する強弱体(きょじゃくたい)にも遭遇したのだ。作家と唯独り切りにて称し続ける者は唯一つの作家だと知り、他者に塗れて逆上せ挙がった我の姿は凡そこの火星に投げ落とされつつ天空を束ねて緑色した物語を記し続ける恩来の畜産物に、未だ肖りたいと願う一個の生来を喫する一作家(さっか)であると、又宣いながら、暫くした後、又雨でも降り出しそうで、俺が山村に近付いた挙句に出たその先は海岸呈する港町であった。そこにはきちんとこの時に嫌った志村とかとちゃの骸がひたすら立って、置かれて在った。
 志村とかとちゃが付き添う様に先を争い出向いたその矢先には、大きく寝そべった海より先に天空を彩る青が在り、その海と空とは密かな結託を伴い白雲と白波とを立て我等に襲い掛かるようで強固を示し、しかし俺以外の町人、そして志村とかとちゃは一向に怯えずまるで一本道でも進むかの様にして立身して在り、確立された我等の懊悩とは又微塵にも散り果て行く一介の友情を衒った、仲好し倶楽部の住人の様だった訳である。海の青はその白波と共に結託した儘まるで鏡に自身を映すかの様にしてその強靭を自然に画して進ませ、やがて暴れ始めた波の上を緩(ゆる)りと帆を弛(ゆる)ませ唯強かに生きようとして居た艘さえも呑み干す程に陸地に漂う我等を威嚇し、俺はもう一度、「これが津波で来たら怖いやろなぁ…一たまりも無いやろなぁ…」等考え出して切りも無く、小豆色した肌襦袢の様に我を覆い護る人身の骸はこの時長く冷えない熱火を灯して絆されず、熱を逃がさぬ人の骸は益々大きく成ってまるで我の目前に在った志村とかとちゃ迄もをその影響の内にすっぽり収めて鍵でも閉めようと、当面の努力を垣間見た儘俺は又、臆面も無い程茹(ゆだ)った儘にて唯淡い覚悟を諭されて居た。そう、かとちゃと志村はその様に我等を取り巻いた状況に露も関わる事無く、びゅんびゅんバイクを飛ばして情緒も飛ばし、それに跨る俺の延命(いのち)へきちんと対せる微塵の配慮もせぬ節さえ見え、まるで若気が至極丁重な流行の白波に絆されて勢い付いた様な、そんな幼稚な態で俺の目前(けしき)を彩りそうで、俺は唯この身を預けようとして居る「今」を乗せた乗り物をその様に乱暴を働き仰け反って見えた志村とかとちゃが妬ましく、恨めしくもなり、辺り一面に迄は聞えなくともこの地から天へ迄届く程度の大喝(さけび)を以て、二人の姿勢(すがた)を委縮させ得た。東京人ならではの無茶を掲げたがる(又周囲の者は褒めたがる)そんな情景と光景がこの二人の為した言動には光るようにして表れて居り、止めども無い程〝人の幼稚〟がまるで一つ処の学問でも解き成し、そこに集う者達を納得させ平伏させ得た様な一種の歪曲から成る尽力さえ又この二人の表情(かお)には映り、俺は唯一人、一匹の英雄でも気取って拝した様に、周囲(まわり)の者へ配慮しながらこの地に咲き生く「東京のコメディアン達」の妄執を説き伏せていた。俺はそれでも変わらぬ体にて苛々して居り、俺を乗せてタイヤを転がす志村が着て居たウィンドブレーカーの背中に向かい、「今、何キロ出してんの!?(直ぐ横海やで!)もっとスピード落とさんと危ないやろ!」と怒声を放ち、束の間、落ち着く言葉を承けて安楽の火の手を見ようと努めた俺に向かって、志村は割と直ぐに即答して来た。志村は「六〇キロ」と言い、俺は呆気に取られるよりも(昨日に降った雨の所為でか)濡れた地面を揚々見下ろし、風に尚煽られながら志村が取り次ぐハンドル捌きは依然変わらず危うい最中(なか)にて、空の黒さを映し続ける水溜りにさえ遭遇した後、俺は「この様な環境にこの様な状態を以て走り続ける我々が如何に危険な曲芸の様な事をして居るのか」という稚拙な過程(ながれ)に注意を操(と)られ、余計に彼等を叱って行った。
 俺は余りの恐怖で頭が自然に還った為か、心の内に暖かな自家の団欒を拵(こさ)えて身を築き、現実逃避と謳われ続ける世の習わし事に己の学問と生(せい)とを司る真髄が唯確立されて在る事にも気付いたように、ひたすら日頃の退屈な日常を取り戻し始めて、自室へは行かずに、両親が束ねられ据え置かれて居た一階の居間に居た。父親が、「あー、こんな退屈やった仕様が無いな」と言いつつ、それまで何気無く点いて在ったテレビのチャンネルを指先だけを忙(せわ)しくさせがちゃがちゃ廻し、ふと〝ぶ―…ん〟と音を俄かに立てて映った「エクソシスト」を見付けた挙句にその調和を以て父親は俺を怖がらせて薄く笑い、又父は笑みを収めて、そこでの一目的を果たしからと言う様に直ぐさま指先を以て別の番組へと付け替え、「エクソシスト」を見せるのを止(や)めてくれた。
 確かにその内俺の身にも退屈を掲げた現行が訪れ、次第に心中にまで浸透させ生くように時流は強かに死太く居座り侵略し始め、俺はその為か、この一つの家内に居続ける事に生を謳歌し得ない為の屈葬され生(ゆ)く我が身の襲来を直感を経て見て、一家を離れて、それでも寄り付く島、取り付く島は己の正体を終ぞ明かさぬ儘に俺の背後へ立ち、居座り続けて、太陽が赤でも何でも、唯虚空の蒼さに己の紺碧を演じ続けた白色を投影させては俺に変わらず寂寥を寄せ、脆弱成る糧を貪るように俺は又、知り尽そうと試みて居た旧友達との語らいへと目と耳と心とを傾け澄ました。その旧友達との集会(同窓会の様)が為されるであろう薄暗いまるで大阪に咲いて居る場末の店迄行こうとする最中(なか)、俺は若い頃の長渕剛に会って居り、その彼とは程好い所か滅茶苦茶仲良くして居た。しかしその長渕剛は何処へ向かうのか、俺の歩調に合せながらに時の経過に配慮しながら随時か適時、これも又俺の旧友である角田へと姿を変えて居た。
 角田扮する処の長渕は、マリッジブルーに入って居る。如何した事か俺はよもや白刃(しらは)を立てずに程好くその体裁と内実が呈する訳を尋(き)こうとあの手この手を招いて密かに咲き乱れるだろうとした角田の本音を得ようとするが、中々その時が未(ま)だ俄かにそれを許さないのか糸は張られた儘で、〝keep out〟と記された黄色い糸は大きさ・長さ、張られる場所を変え行き、暫くの間俺と角田とを近付けずに居た。アイスクリームが昔の販売機(れいとうき)の内に入れられて在り、誰もそれには手を付けなかったが、次第に会に参加する旧友達が集まり出して行った。本当に同窓会の様であって、もうこの会は〝同窓会〟という事にしようと決め兼ねた矢先に、とても美しい女性が得体の知れぬ恰好をして俺と角田が座って居たベンチから一メートル程右横に備え付けられた小さな会場の内へと入ろうとして居た。この〝集まり会〟は正式・公式に招待状を送り付けて参加者を募った訳じゃなく、この旧友の仲間達は唯皆、自然に集まって来た、という具合のものだったのだ。故に、誰かが自分達の傍まで来ても以前から容姿が変わって仕舞った友人に対しては確実に自分の旧友である、という事への確約を持てずに居た訳である。そのクラス会で俺が長渕を見付ける直前に見付けたその「美しい女性」とは、滅茶苦茶太腿が太っとく、少々ひらひらりらりらしたメイドが着る様な服を着飾り唯真っ直ぐ前方を見据えて居て、その頃丁度雨は降っていなかったように思えるが携帯用の傘を差しながらやって来たのである。小雨をその娘だけは感じ取って居たのかも知れなく、俺は見れば見る程、想えば想う程に娘らしくデリケートでありその微細を少しでも護ろうときちんとケアする娘心が尚その女性の内に照り映えて見え、その二方面を以て好きにも成って居た。俺はその娘に唯一目惚れしてしまい、〝もしかすると!…〟と疑惑を献じて見て居ると、閉眼する間際の眼が見た物は矢張り自分の旧友である木田文子であった。俺が中学校へ通って居た頃、同級だった高原の次に好意を寄せて居た木田文子その者であり、俺はこの文子に密かにその躰付きを観賞する形で自分の触手を呑み込んだ儘恋をした記憶を甦らせ、それ故の憤怒にも近い樞を秘めた抑鬱の波が今自分の目前に在る不変の女肉(にょにく)を呈する〝女性〟を燃やし尽したいと叫ぶ程の叫喚(よわみ)を又俺は憶えて仕舞って居た。一人の〝女子生徒〟として見え始めた文子は俺の脳裏へ、異常な程に太っといその両太腿を過去に二人が共有して居た陸上交歓記録会や体育の授業、体育会、又教室の内(なか)、文化祭で見せた斬新極まる「掟破りの太さ」と称され得た肉塊を放った事と、尚見せられ続け欲情させられ続けたこの俺に「でも触っちゃ駄目」と称した無限の公言がレッテル・看板の様にして置いた記憶を再度甦らせて、俺はそれ故に又当時に生きた「自分」の再来を経験すると共に耐えられなく堪らなく成って、今直ぐに、叶う事なら噛み付きたい!しゃぶり尽したい、朝まで、否永遠に揉み拉(しだ)き続けてその「掟破り」で破廉恥な純情さえ破る柔肉を心行くまで壊して堪能したい、等という連想・妄想に女の髪に絡み付かれる様に絡み付かれて、又もや強烈に、俺は完全に文子の肢体に恋をして仕舞って居た。
 「あああ…」と想って居る最中(さなか)に長渕(その際は角田の恰好をして居ない)が俺の隣へ腰掛けて来て、「今度結婚する事に成ったんだけどさぁ…」と好い加減に暗鬱を装いながら俺の顏をちらと見た後俯き軽く会釈した後で、長々、くどくどと、己の懲罰を知らずに受けない思い出話を語り始めて居た。しかし俺は長年歌手の長渕剛のファンだった事もあり、その普通ならば嫌気が差して何処かへふらりと出掛けて聴かなかったであろう長話を延々聴いても飽き足らず、それ所か、ここでより長渕との交友・友情を深めて置いて今後に於ける自分達の交流を図る際の土台固めをして置きたい、と強く決心させられ、俺は長渕氏の身形と心とを、具に観賞・観察する事に唯ひたすらの労を費やして行った。常日頃から見て知って居た長渕の、今の良父性へと繋がるのだろう「若き日の長渕」の在り方を交友関係の内に於いて大事とし、又、長渕と一度で良いからこの様に身近に感じる事が出来る友人関係を持ちたかった、という思惑も奏してか、この剛と何処までも何時(いつ)までも一緒に居ようという思いに唯ひたすら躍起になって縋り付いた訳である。若き日の長渕剛は、ぴょんこぴょんこと跳ねながらにして俺の目前を前方へと向かって跳び撥ねて行き、その際足元に泥濘(ぬかる)む水溜りが割れて俺のズボンへ飛沫(しぶき)も飛んだが俺は取分けその剛を疎(うざ)がりもせず、寧ろ妙な親心の様な二心に駆られながら虹鱒の子の様に清流を程好く昇る成長の在り処を見付けたようにほくそ笑み、元気で居る剛の背中をひたすら裸眼で愛撫して居た。しかしその我のみが知り尽した経過と同時に、この長渕(この頃から又長渕の姿が角田へと成り変わって行く)の婚約相手があの文子では無かった事にほっとした儘安堵して、行く行く二人が束ねて構築して行く未来の懸橋(はし)への成熟が自然により成され始める具体の様子を揚々感じ、夢の展開(ながれ)に執着して生く落着感さえ俺は観た…。
 俺と長渕は、程好く色々自分達の身の周りで起こった出来事を良く話し終えてから雨が全く止んで薄曇りの空を確認した後、長渕(角田)の自宅へ行こうという事に成り、俺はその長渕の背後を唯漫然とした趣(おもむき)を持った儘付いて行く体裁を採り、一つの計画を得て居た。角田の家へと着いて、その結婚相手の女性を見せて貰うと、その女性の心身は共に何処かの街の娼婦の体(てい)に映らされて、又はっきりと器量は良くなく言えば不細工でもあり、もしも俺なら絶対に結婚はしたくないと思わせられるであろう存在だった。しかし俺はそんな角田を慰め、退屈極まりなく落ち果てる小言の連呼は絶えて控えて、厭味を漏らさぬ内に何とかこの不器量女(しこめ)の量定から捻り出せる良点を掲げて角田(長渕)へ告げようとして居た。
「良かったじゃあないか」
 俺はそう言って角田(長渕)に言の色葉(いろは)を更に美文へと解体して言い放ったが、然(さ)して何れの経過を問題ともせず未来へ向かう男の体裁は俺の目前にて生きている。俺は彼の心情に露もこの時配慮が出来ず、唯明るく行こうと適時ににやけを晒して、声の大小のみで笠を着せた一縷の友情に同情を覚えさせまいと躍起であった。巧く行ったようで、角田(長渕)は何度も俺に「有難う」を言い、俺達は又その内遊び場を変えて居た。
 鼠色の空がゆっくり湖畔を見下ろす頃には俺と角田もその内又会えるだろうと意気投合をして、その内身元を離れて仲違いし、俺は、俺の母校である南山小学校から程好く離れた近隣の(当時)「グリーン池」と呼ばれた池の畔に在った。その池を縁取る小さく緑色に染め上げられた丘を登った所に三メートル程間隔を拡げた道が在り、その車も人も通る道の上で、何処から現れたのか米軍キャンプから洩れて来た軍人が何人か俺達の目前に立ちはだかって居て、俺達はその米軍の捕虜とさせられた様にしてその道上で釣り上げられた鮪の様な整列をさせられ仰向けに寝かされて居た。そこには俺の他に、又俺の旧友とも呼べそうな旧い友人が何人か皆同じ格好をして寝そべって居た。長渕はそこへ後からやって来て、そうして寝そべる俺達よりも少々高みに立った様に「未(ま)だ俺はその恰好をしない」とでも言う調子で意気付き、米軍達と不良仲間が戯れる様にして戯れて居た。その光景と情景とを見た俺は素直に米軍(じょうきょう)に従った自分が途端に情けなく思えて、何とかあの長渕が居る立場、否それ以上の立場へこの身を置けないものかと奮起したが術を見出せない儘次の展開まで自身を唯寝かせて居た。して居る内に長渕も俺達に加わり、同じ格好をして路上に寝そべった。長渕が俺と同じ立場に下りて来た事を知り俺は急に元気に成って生意気に成り出し、足を曲げ伸ばしてびょーんと池を囲んで在った(又背凭れにして居た)白色のガードレールとそのガードレールから三メートル離れた正面に在る竹藪を囲った青緑色した金網のフェンスとの間を、好く滑る路面を背にした儘で往来を繰り返した。正に滑りながら揺れ動いて居る俺の様子は、自分より高みに居るとした仲間が自分の元へ落ちて来た事を契機にして尚揺れ動き、好い気に成って絶対服従を呈さねば成らない相手として在る米軍に、同時に自分の仲間に、辛い状況に於いても決して屈しない屈強男(タフガイ)振りを掲げて色付く中学男児の様であって、しかし遠に過ぎた自身の思春期の煩いは既に戻れなくなった挙句の言動である事に気付いた頃から又途端に自分を囲んだ全てが愛惜しくも成り、その愛しさが当てを失くした元気の行く末を按じ始めた頃には俺はその角田の分身でもあるその長渕という一個の存在を更に大事として居た。
 その辺りで俺は目が覚めて居たが、そう、父親が「エクソシスト」をテレビに於いて放映しようとして居たその前か後かで、その父親が俺に背を向け向うを向いて昔飼って居た猫の白兵衛に餌を遣って居る光景が在り、俺は「白兵衛が生きて居た」事が段々実感が湧くようにして嬉しく成り始め、俺も白兵衛に餌を遣るなり何なりして、白兵衛と滅茶苦茶に戯れ合いたい!と強く思い始めて居た。父親の背中越しに、ちらっ!と白兵衛が餌を求めて跳び付いて行く姿が見えて居た。その一瞬の内にも、俺の心中に尚生き続けて在る白兵衛に対して「可愛いい」と思わせ得るその想い出の一部(すべて)を甦らせる程に、矢張り白兵衛の顔と体とその躍動には威力が在った。

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