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~夕暮れの背中~(『夢時代』より)

~夕暮れの背中~
 私は、夕暮れを背景にして、何か雑居ビルの屋上からロープを伝って、地上へと逃げて居た。鬼婆が追い掛けて来て居る様で私は「JOJOの奇妙な冒険」という漫画の登場人物であるジョセフ・ジョースターに成って居て、何か懸命にその鬼婆に説明をしながら逃げて居た様だった。(ふと目を覚ますと、点けっ放しにして居たテレビからテレビショッピングの調理器具説明をナレーションがして居た。どうやらそれを夢の中で私は聞いた様だ)。その〝鬼婆〟とは、これも又眠る前に見た〝ダウンタウン司会のアニメデモミーショー〟という一九九七年に放送されて居たコーナーの内で、〝次週予告編の「妖怪人間ベム」〟をして居り、その内で登場して居た鬼婆を見て居り、その〝鬼婆〟の印象がまぁまぁ強かった為夢に出て来たのか、とも後から考えられた。しかし、夢の中ではその鬼婆の顔、姿は一向に現れず、唯感覚だけで〝自分を追い掛けて居る〟と認識し、忙しさだけを知り、相手にして居た。瞬時に〝ジョセフ・ジョースター〟の出で立ちを身に纏う私はその後、恐らく地面まで到達し、無事逃げられた様に思う。私はこの夢の内容を、珈琲を入れに階下へ下りた際、丁度、生協の注文用紙にマークを付けて居た母親に伝えた。母は〝鬼婆の姿は見えずとも感覚だけで捉えて…〟の辺りから少々身を乗り出して聞き入ってくれて居た様で、私は嬉しく喋り、その内で〝(夢の中で)そうして逃げて居る時に背後かどこかで「音」がしたんよ、確かにしたけど、でも何の音かもどこから何がどうなって音がしたのかもわからんかった。でも夢の中に起こる事って、得てして夢見る直前に経験した事とかがそのまま影響したりすんのよね(その前に私は〝宝くじが当たった夢の話〟を母にして居た)。丁度さっき起きた時ベッドの上の方を見たら、頭の上にいつも置いてある写真入れと英語の熟語帳とがベッドから床に落ちてたんよ。後から見て、ああこれかな…?って思った…〟と二転三転しながらも追加して母に伝える。母もその前に私に、自分が見た夢の話(〝若い頃?小さい頃?の実喜男君が家に来て居て…〟)をして居り、その事が契機に成って私も自分の〝夢の話〟をした、という成り行きも確かに在る。
 私は又、その鬼婆から逃げて居る最中にか、最近メールのやり取りを良くして居るDという女の事を思って居た。私は、そのDに、何かを理由に言い寄られる、少々の不安、を覚えながら逃げて居た様である。そのDも姿を現さなかった。何か〝ぼんやりとした不安〟ではないが、〝得体の知れない不安〟が夕焼けの陽炎の内に潜んで居る様だった。鬼婆とDから逃げ切った後、山吹色に成り切った妙な静寂が漂う背景の中私は、その夕日を見ながら、どうしようもない、漂う祭りの終わりの様なものと、空しさの様なものについて、考えて居た。そして、これも私の想像の内でか現実の内でかわからぬけども、私に現れたNという女が、私に対して嬉しい刃を向けて居たのを覚えて居た。その「嬉しい刃」とは〝女の誘惑〟〝結婚〟〝堕落〟の様な内容を含んだものの様に、後から思えた。
(場面が恐らく変わり)
 私は、かつて父親の単身赴任先だった、枚方の交野市の寮に備え付けられて居たテニスコートに居た。テニスをして居た様である。テニスコートを左側から見て左のコートに父が居て私ともう一人の男児か女児は右のコートに居た。その男児か女児かには親が付き添って居た様で、私が少々〝早くしたい〟と思って居たテニスを始めるのには具合が悪く、なかなか始められない様な状態で居た。父はテニスウェアとして白色にストライプの入った少々地味なジャージを上下着て、背をピンと伸ばし、いつでもサーブを打てる様だが、私達の準備が整うのをラケットとボールを持ったまま黙って待って居た。その父の背後ではどこの祭りかは知らぬが、何やらドンチャンやって居るハッピを着た老若がその群れの尾鰭だけを見せて居た。しかし私は、その祭りに一人では参加したくない気持ちを後で感じて居た。
 私と男児か女児だけがダブルスの形を取り、父親はシングルの形しか取れなかった様で、その〝男児か女児〟はずっと準備にもたもたしている様子で、結局そのテニスは始められる事なく幕を閉じた。空は快晴で、小鳥がチチュンチチュン、横に在った雑木林、竹藪の中で鳴き、父親の良き知り合いであるその寮の寮母や、会社の友人達が、今にも小高い丘を駆け上がってそのコートに出て来る勢いを、私は背後と胸に感じて居た。男児か女児、又その付き添いの親の顔は見えなかったが、父親の顔は陽に焼けてどこか健康的であり、白い帽子を被っては居るが髪は黒い様で、現在よりも少々若く見えた。
(又、場面が変わり)
 私は治安の悪いイタリアの繁華街の様な場所に居た。何をするでもなく、食事をしたり、細々した生活品を幾つも並んだ小物店で買ったり、店頭売り出しの鰻か肉の匂いに釣られて歩いたりと、日常の行為をして居た。空気は青白いものから夕日が程良く差す薄い山吹色に変わる。
 刑事コロンボ(ピーター・フォーク)が裸で寝台に寝て居る。そこはサロンの様で、色々な焼印(恐らくタトゥーも含め)を体に刻み込む場所だった。その焼印は一生消えるものではない様に見えた。コロンボはMRIを受ける様にモダン機器で体を覆われ頭部だけを出し、十字架の焼印を体に付けて居た。少量の時間で出来上がり、蓋を開けて見てみれば、本当に気持ちが悪く成る程に痛々しい血と白身が混じった傷口を見せる十字架の焼印が、胸と右下半身と背中に付けられて居た。これはコロンボの希望だったという。
 治療の様な焼印が終わったコロンボは何食わぬ顔できょとんとして居り、毛深い局部がちらちら見えながらも、白いランニングシャツ、いつものベージュのズボンとその下にトランクスを着始め、コートは暑い為か着なかった。唯、紺色の少々上等なネクタイをして居た様に思う。私はテレビでコロンボを良く見て居た為か、コロンボの局部がちらちらと見える事に対して〝良いのか?〟と動揺して居たのを覚えて居る。又、ちょっと私の大人しいイメージから離れたコロンボに対して私は何か〝元の地味なコロンボの印象と内実直して欲しい〟といった様な文句を言いたかったが、唯、起き上がるコロンボの目前で私は立ち尽くし、何も言えなかった。
(又、場面が変わり)
夜に、私は、少し違う様に感じる自分の家の一階でギターを持ち、作詞作曲した内容を書いた紙を目前にして床にぺちゃんと座り込んで居た。書く、という事を前提に父親が寝て居るすぐ隣の部屋で作曲するが、やはりいつもの自分流の曲調でしか出来ず、新しいモードでは作れなかった。襖一枚隔てた向こうに父親が寝て居る。故に私は余り大きい声が出せず、調子も出せず、ギターと紙とにらめっ子して居るしか仕方がなく、なかなか上手く行かない声量と詞と曲の具合に、なかなかどうしようもなく苛々して居た様だった。かなり長い歌詞の一部を修正しながらそこに当てる曲の色を色々と工夫して居たが結局上手く行かなかった様子で、作り掛けのものを放っぽらかし、他の自作の歌を口ずさんで居た気がする。父親は一向に起きて来ず、母親はどこかへ行ったのか居なかった。その私が居た一室だけに照明が当てられて他の場所は皆暗闇だった。
(場面が変わって)
 KYかKNの娘が、もう結構大きく成って登場する。私の母親が生協で買ったのか、抱き切れない程の米や野菜等を、袋ごと何故か私の二階の部屋を出て直ぐの所に置き忘れて居り、私はそれを外(私の母校である南山小学校の敷地内に在る体育館前の広いスペース)に居る母親の所まで持って行かねば、と母親の為に努力して小学校の門前を歩いて居る時に、その娘は、菊池の親父に向こうから呼ばれて俺の前を軽く通り過ぎ、親父のもとへ少々小走りに成って駆けて行く。その生協で貰った米袋は二袋〝コシヒカリ〟〝アキタコマチ(ヒトメボレ?)〟であったが、二袋共に破れた穴が開いて居り、持ち上げる時に家の中で少々米を漏らしたが、私はその穴を両手で鷲掴みにして穴を塞ぎ、首に結んで背中に背負った野菜と共に抱えて母のもとへ向かった。不可抗力を覚えながら、結構つらかったのを覚えて居る。その娘は顔は見えなかったが結構小奇麗であり、美少女の様に見えた為、KYの娘ではないかと勝手に決めて居た。娘は薄ピンクかベージュの吊りスカートを着て白のブラウス、髪は肩少し上辺りまでの黒髪で、ポシェットか水筒の様な物を右肩から襷(たすき)掛けに子供らしくぶら下げ、顔を、すぐ横に居た俺から見えない様に斜交いにして走り去るその行為辺りには、未だ純朴で美しい少女のオーラを漂わせて居た。しかし必要以上に美しくしては居らず、親の言う事を嫌々ながらでも先ず真っ先に聞く地味な娘を演出して居る様でも在った。
 私の母親は小学校の体育館の前辺りで、一人で何か用事をして居た様で、母親の周りに生協に興じる主婦仲間が居そうに思えたが母親が片麻痺を患って居た為か姿を現さず、少し扉の開いた背後の体育館の中で唯、私と母親を眺めて居る様でも在った。一時の主婦仲間達との生活の盛期を終えさせられた母親を、後で私は可哀相に思った。その母親の周りは黄昏時に近い、青白い晴れた空の暗さで包まれて居た。私は結構重いその生協の荷物を母親のもとへ迄持って行く際、昔一緒に遊んだKYかKNの娘がもうこんなに大きく成って活発で居る事に、居ても立っても居られぬ程の置いてけぼりを食らわされた事への焦りと、自分の情けなさを思った。しかし私は母親を大事にして、その娘を無視するかの様にして、娘と親父の横を通り過ぎた。その娘の親であるKYかKNは私の前に姿を現さず、〝(私の前に)娘を出しても大丈夫だろう〟と陰から私と場面を支配する様に闇の中で潜んで居る様だった。親父は体育館前の庭の、丁度建物の陰で私から死角に成る位置に居り、声だけが聞こえて居た。母親は少々若返って居た様子で、麻痺がなくなり、昔の生協仲間の主婦達と又あの時の様にはしゃげる若い生気を内在させて居る様に見えたが、少々大き目の体をして、私が荷物を運んで行くのを温かい微笑を以て一人で佇んで居た。
 余りにも広い薄暗い快晴の下、私は過ぎ去った過去に対してか現在に対してか、恐らく現実に対してか、寒くなり始めた夕暮れの風の中懐かしさを感じつつ、きっと幸福と不幸とへ後押しする寂寥を感じて居た。
 


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