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ブツクサ問答と唯我独創

ブツクサ問答と唯我独創
「ブツクサ問答」
 私は此処の所、携帯にばかり文字を打って、白紙に向って文字を書いていない。奇妙な文句であるが、真面目だ。今、私の部屋の窓から出たすぐのベランダで、父親が、懸命に、「コーティング」とかいうのをしており、「カッカッ」と、音が聞こえてくる。それを聞きながら、少し、おどおどしながら、これを書いている。今、父親は、階下へ下りて行った。少し、ホッとしている。生来、私は、一人が好きな質なのであろうか。否、そんなことはない。子供の頃は、友人4,5人といつもつるんで、一緒になって、竹藪で遊んだり、野球をしたりしたものであった。まさか。でも、それは、子供の頃の話であり、ゆくゆく、成人になるにつれて人格が出来上がってゆく、という文句を聞いたことがある。又、その、出来上った人格こそが、その個人の、生来の人格だとしたなら…「好き」と「性」とは別のものである…、否、やめよう。こう考え始めれば、いつも、切りがない。話を戻そう。そう、私は、白紙に字を書かなくなったのだ。理由は、書いている内に、次に書きたいこと、話の流れの持って行き方等を、思考の混乱の内に、忘れてしまうからだ。一つの漢字を書くのに、相応の時間が掛かり、書き上げることに夢中になって文の内容を忘れる。又、私は、気を衒うものだから、誰に見られても可笑しくないように、漢字を正しく書きたいと思い、その漢字を思い出すことに集中し、その、思い出している内に、又、何を書きたいのかを忘れてしまう。次の内容を書くのに、行き詰るのだ。子供のような言い訳だが、これが、真面目なのである。この前、よく行く、否、殆ど行きつけの、樟葉モール店の本屋の店頭に並べられた作品の内に、太宰の直筆本が在り、それを手に取り、読んだ。「これが太宰の字かぁ」と感動しながらも、一瞬、羨ましかった。そして、自分の、今の不甲斐なさを、目の当たりにしたような気分だった。自分は、白紙に向っては何も書けないのだ。その直筆本には、本当に、太宰本人が書いたものだと信じて読めば、挿入句や、バツ印等、所狭しと印してあるが、実に、端正なものに見え、私の偏見があり、私の、云わば、文学的精神を揺さ振るには充分であった。原稿に、筆による文字が書かれてあった。自分も、この様に書くことが出来れば、と思うと同時に、自分に果して、この様に書くことが出来るのだろうか、等、拾い読みしながら自分を呵責し、一個の文学作品を、滔々と、最後まで読んだ。漢字が、その直筆の中で余り遣われていなかったのが、救いだった。まぁ、清書、出版、等の際には、活字に直せばどのような漢字にでも変換出来る、ということは先刻承知はあるが。今、これを書き始めた契機になったのも、同じ本屋で買った太宰の「きりぎりす」を読んだ為かも知れない。私は、影響され易い質である。一時、文学が織り成す「陶酔の世界」のようなものに、憧れを感じたことがあった。又、それは、今も、私の心に止まり、一つの命題に対する考察方法、表現の仕方等に対して、影響し続けている。一文一つで、読み手を翻弄し得るその成り立ちに、何か、奈落の底に足を引っ張られる程に、文学の世界に生きる魔性のようなものが、私を掴んで離さないでいる光景を見たのだ。個人の心中を、探求させられるこの文学の力、なるものに魅力を感じた。それ等の魅力は、私にとって、絶対的に大きなものだ。先程も述べたが、私は、影響され易い質であり、文体構成を織り成すその一文に、私なりのロマンスへ陶酔させる力が在るのを見付けた経験がある故、誰彼の文学作品を読むと、人目を気にしながら、良いものを書きたいという、気を衒うその私の生来の質が、疼くのだ。何か、気の利いた一文を私も書いて、他人を感動させたい。その繰り返しで成される糧により、後世に、語り継がれたいとも願う。この一念は、心中に強く残る。太宰の著書を読むと、気が楽になると、以前、言ったことがある。誰かは、気が重くなると言った。又、他の誰かは、それ以前に、大嫌いだと言った。私が、気が楽になる、というのは、不健全な生活をしても許される、という、何か、安楽の様なものを、太宰が書くものの内に見出すからだと思える。決まって、感動を受けた太宰の文とは、不健全な内容のものであったことは、記憶に鮮明である。間違いない。私が、相応の質の持ち主であるからこそ、相応の内容を含んだ太宰の文に、素直さを手に取ることが出来、感動を受けるのだ。素直さ、というものには、矛盾を感じさせない強みがある。私は、太宰の文章、文学、思想、等が好きである。こういうことを考えながら、ふと、今、働いている職場での事柄の在り方、自分の在り方、等に思いを巡らせてみると、酷く、すべてが馬鹿らしく感じられ、周りにいる他人が、幼稚なものに見え、早く、ここから脱出したいとさえ、感じられる。利用者との交流、又、私と、利用者との在り方に思いを巡らすことには、相応の価値が在ると思えた。職員同士の交流に、堪え難いものが在った。男性であることの威厳を、異性に対して保ちながら、云わば、性の生き残りを賭けた日々の所作と、気の遣い合い、話すことが出来る会話内容の選択肢の乏しさへの不満足、又それ等から織り成される低俗な雰囲気、それ等に思いを巡らせると、馬鹿らしくなるのだ。その現実の内に生き、長いものに巻かれる体裁を装い続け、自分すら見失う日々。職員同士が、どうのこうのではなく、していることに、堪え難さを感じるのだ。協調性がない、私の質だからかも知れない。皆で、何か、一つの物事を行ってゆくというのは、これ程、馬鹿らしく、幼稚なものなのか、等、何の根も葉もないままに、問答する始末である。又、金の為にと、したい事も出来ずに、これが当たり前だと自分を誤魔化して、一つ処で人生を終わらせる可能性を秘めた現実が自分にのしかかって来ることに、絶対的な諦めさえ見出す。協調性を保つ事は、煩わしい。早稲田大学にでも再度入学して、暁、中退してもいい、どこかの狭いアパートでも借りて、買い取りで住めれば尚良いが、細々、太々、私の文学を確立させながら、生計を立てることが出来れば幸せなのだが。しかし、それも無理かも知れない。私は、又、生来の、この世に於ける仕事というものに対して飽き性であり、怠け者である故に。
「唯我独創」
 伝えたい義を文章にする際に、その内に、思いの全てを詰める事が出来た上で、その文章は、短ければ短い程良い。私は以前、文学作品というものは、独りでかくものだ、と言った。しかし、他人が書いた本を読んでいる。何故、他人が書いた本を読んでいるのか、読む必要があるのか、という疑問が立ち上がる。感傷に浸り、良い、と思える、自分にとっての糧を、他人が書いた一文から盗みたい、と思う故ではないだろうか。それに違いないのだ。又、他人は、どのような作品を書いているのだろうか、と、展望を図る具合で、作品を眺める場合もある。それに違いないのだ。私も、他人と同様に、今、これを書きながら、既に、「誰かの調子」を真似している。努めなくても、すらすら、出来るまでに、成長した。句点、読点、の打ち方等も、その「誰か」の真似だ。しかし、そのようなものは、隠す必要もないことだということも、自らの考察の内より見出し、今は、その見出した答を、信じている。それはそれで良いと思っている。思想の在り方までは、真似出来ない。他人と私とが、異質のものであるように、成長の仕方は異なる。表現の仕方を真似しても問題ではない。後からでも、あ、この表現方法は、偶然、私の仕方と同じだった、と嘘を吐いたとしても、構わないのだ。皆、恐らく、持論を以て生きている。その持論の正体を、誰も知らないのだ。そして人間は、自然に、自覚を覚える。「大器晩成」という言葉がある。自覚を身に付け、「大器晩成」という諺をどのように自身の思惑の内で、変えて、模倣しても、当人の自由である。人間は、自身の成長を、自分に、いつみるか、は、わからないものであろう。自覚を覚えた後に、持論が、固まってくるものであるとすれば、それ等の成り行きが自然である。他人から、どのような批評をされても、最早、関係がない。本来、文学作品というものに対して、読者が、採るべき所作というものは、唯、読み、感傷に浸り、喜怒哀楽の内で愉しんで、読み終えれば、後は、その作品を煮るなり焼くなり、読者の自由である。そのように思われる。実に、単純なことである。やはり、私は、太宰文学には、相応の感銘を受けている様子で、今も、又、太宰の作品の内から、一文を拝借し、写した。しかし、「私も、」とは言わない。単純に、素直に、書けば良いのだ。私が書くから、この文章は、私の文学と成る。それまでのことだ。書いているものの底に、自身の思惑があれば、盗作とはならない。嘘を吐けば、自身に吐いていることになる。一々、簡単なことを、書いた。太宰の作品の「きりぎりす」を読みながら、書かずには居れなかったのだ。
 

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