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~麝香猫(じゃこうねこ)~(『夢時代』より)

~麝香猫(じゃこうねこ)~
 曇り後晴れ、天候を気にせず、馬が合う独断の波長と宜しく遣って居たのは、束の間の早熟がやがて成熟と成る迄の遠慮の無い春光の内の様で、直ぐさま老いの翳りが見せる紅(くれない)の歯車は具に人間を観察して居るようだった。素通りで、風が躰に当って何処かへ又流れて行くように白々と時間も流れて行き、温度の無い人の骸はまるで宇宙に放り出された未熟な対峙の産声をひっそりと又、手の平で転がしながら、命の延長は立ち所に活性と衰退とを繰り返して行く。様々な色音を俺は呟き、自然は如何しても空虚を藪睨んで、俺が行こうとする空間の様相を睨んだ。自然と生とが混合とした、或る昼下がりの事である。その時の俺は「言葉」を伴侶の様にして受け取り、酩酊を続けた自然から生れた弾力は日増しに勢い付き、これ迄を蓄積して来た様々な芳香を以て、俺を翻し、翻し、始めた。
 「伴侶」と題して、以下を続ける。「俺は何を伴侶にすれば良いのだろうか?人間じゃないのかも知れない、俺の場合は。矢張り、俺は狡い―。」、「『今は…』という言い方はもう止(や)めようか、と失望したものだ。栄光が空の行き先で止まって一向にやって来ない儘、突っ撥ねた挙句に辛さと淋しさが舞い込んで来た。唯、夢を見たがった砦に跨った蜃気楼は、ぴゅうっと言って、やがては知る未知の場所へ吹き飛ばされて行ったのか。何処かへ行き、帰って来た有力な俺の青春はまるで見て見ぬ振りをした儘歩き去って行ったのである。」、(夢で聞いた言葉として以下)、「あんたはもう少し練習するなり、知識を蓄えるなりした方がいいわ。相当のポテンシャル秘めて居る様…気がする。」、「折り紙の先生から、恐らく第一回目の授業の終わり頃の質問タイムに、そう言われた。『だって鶴も満足に折れないんですよ、俺』と、話のコンテクストに沿う形で言うと少々厳しそうな先生は、『え~~~っ!?必修科目(何か別の言い方をして居たかも知れなかったが)ですよぉ~?』と半笑いで言われる。馬鹿にして居るのかよく解らん、その人特有の言い方かも知れなかった。」、等々、様々な陽の光を浴びぬ抑揚の付かない子供のあやし声が辺り一面に鳴り響いて居た。俺はそれから大学か何処か、何かを習得する為の、メリハリの付いた場所へ行かねば成らぬ、と凡庸な心算が目の辺りに光を帯びてまるで天へ向かい活性する様(さま)を見届けようとして居た。あらゆる自然の本当が円らな目を拡げて惜し気無く憤りを俺に齎す様で、白い太陽が月の黄色に反映させられる様に人の自然に対する或る種の疑惑が心中を滞り無く跳ね回り、文句を吐き続け、やっと両手で以て表情(かお)を覆った処を見ると、その呆んやりとした精巧な空は緻密な物理の塊を以て一つの生活に掲げられる根源(システム)を構築して行く。その根源(システム)が生む物がもしかすると人一人が生きる道を構築して居るのかも知れず、俺と自然とはあわよくば同化の袋を被(かぶ)って仕舞いそうに成って居た。男は女を愛し、女は男を好きに成ると言うが、何れにせよ、その様な気持ちに成る迄の道程の要所に於いて道標を立てられない広域に拡がる夢の様な物が在ったから何も確立出来ない無双の柵がそこで又芽を放って、次第に朽ちて行く朧気(おぼろげ)な太陽(きぼう)を見て居るより他無いのである。白紙は白紙に戻り、自然は無に戻り、人は天に戻る、という夢想が此処でも又、駆逐艦が発する綻びの様に、淡い恋心を抱くのである。白い鉢に折り紙付きの百合の花が添えられて在り、その同じ沃土の上に虫が蔓延らない小さな夢が咲いて居た。その夢は男に鉢の夢を見せ、女に芽が出て咲き誇る人の生の活気が段々綻んで行く楽しさを抑揚付けて見せ続けて居た。すると次第に男と女は自らの固執に依り辿るべき道を見て悟り、綻びを直して行くその両手は秋桜の生粋が見せる産声を奏でて、やがて人が知る筈の死への謳歌というものを、こよなく愛し続ける神の業火の残り火に水を差した様な涼しさが、二人の間に置かれた。女は突如として見知った村迄のその身を下して行き、男の描(か)いたモノクロームを具に見た儘今度は自分の主を思い描き、又段々透明に成って行く馬酔木の両脚の機能を不純に正して行くのだ。
 俺は白い一日を真っ直ぐに放突き(ほっつき)歩きながら両者が知る筈の無い凄惨な醜態を晒す頃合いを見計らって唄い出し、一日の終りを、通り一遍に仕上げられて行く青春の謳歌成る物へと己の生を返還させて行った。黄色い光はライトと成って我が一室を照らして居り、反射して行く我が夢想の光は現実では車のライトの様に赤く鳴って人を止め、無駄とも言える逡巡極まる骸の不活性が蔓延る境地へとその身を落して行き、やがては誰も通らぬ道標の無い黄道の淋しさを醸し出す様にして、宇宙の暗闇が地上を見下ろすのである。俺は何とか不活発に成る事への恐怖を心身に憶えて居ながら仄かに想う大学御用達の履修登録表(まるで書籍のL判の様にはっとする位大きな物だった)を覗き見て、自分の夏の白い計画蘭に、一つずつ、限りの在る一瞬ずつの享楽を落して行った。半狂乱に成りそうな夜迄の凡庸は一つずつが破片と成って人の性格に吸い付き、又転げ落ちる様にして、まったりした遊女の寝間にまで足を運んだ儘で追想を繰り返して行き、その儘川端の死体まで腐らせて行く一種の強靭を見て取った。哀れに飛び交う人の煩悩は康成氏の真心の内で仄かに人の生命を感じ、現実の内に一つの風潮を知って息を引き取り、〝全て終ったから〟という甘い戯言一つで又活発を取り戻す迄の長く短い道程を這い辿り、一人前のぴえろの残像は無造作に形作られて行く。俺はその計画表の内に「日本音楽会・美声学部門」という、何やら音楽・声楽の様な物を取り扱う科目を確認して居た。又風が吹いた。慌しく人の流動と扇動が一艘の舟を漕ぎ出して外国まで行き、見知らぬ風情を味わい土産を持ち帰った時には、自分達の領土には大きく明るく黄色い月しか居なかった。慌しく風が流れ落ちて行った場所は、何時(いつ)か見た事の在る幼女が企んだ新参の吐息が孕んだあの〝寝間〟に似ている。通り縋りのアンソロジーとは何時(いつ)か見知って気取り終えた美的な死臭が漂う無力にその加齢を捩る結果(こと)に成るのだ。何時(いつ)か新聞の三面記事等で、泡喰り果てた小さな乞食達が、自分達の理想欲しさに一つ小さく結託して、流血の直ぐ後で痩せた革命をかいた事が在る。心は遠く離れて居ても自ず人智はその財源を掘り当てて、人は見知らぬ花の様な一声を咲かすものである。煙が無い所に光が在れば、まるで火が何かを炙り、人の煩悩を打ち消して行く様な一種の強靭を表すものであり、人は又、その強靭を我が物顏で見て取り、今迄は独断にて形容を仄かに破壊して行く。破壊し終えた後で無数の形容の断片は人の虚空を迷い歩く事に成り、独歩を始めた独り善がりは大きくこの現実の内で闊歩する竜頭(りゅうとう)の様に成って行く。果てを知らぬ功徳を思い知る若者は全ての人の内で悉く姿を現し羽の生えた靴を履き終えて、孤独と姑息な尺度で造り終えられた無言の体裁を着直しながらその人が歩く景色の寸法を作り直して行くのだ。捗らない気の多さは気の迷いを多大に生む結果と成り、あわよくば幸福が降って来そうなまるで春望が構築した微笑を僅かな振動を以て、手を繋いだ他人へと伝えて行く。俺が確認した「音楽関係」の科目はそれ一つで、確かに他の箇所にも所狭しと投げ遣りに記されて在った様だが、字が細か過ぎて、見得た物は確認出来たそれ一つであり、後(あと)は面倒がって俺は確認しなかった。その一つで全部と見做した俺は大きく拡げた様な風呂敷を想わせたその登録票を閉じて又歩き出し、周到に構築され得たのであろう、整然とした自然の美学を淡々と味わう事に成って居た。計画を腹案して居た俺はその大学だか何だか知らない場所からの帰り道に在ったようで、一緒に帰る輩の内には男女を含め、老若を問う必要も無かったようではあるが、比較的若輩の顔が目に飛び込んでいた。昼頃の事である。
 立派に事を成し終えようと暗黙に誓う俺には解け込める自然描写が見付からず、唯歳(とし)を食う自然に寄る描写が激しく身の内にのさばって来た為ほとほと手段を講じられずに、危うく勢い余った両刃の土煙が人煙と混じって事の鬱憤を晴らした様で、俺には次にやって来る隣家の足取りがどの方向に向かって歩くのか、見当が付かずに唯のらりくらり、又早春の群象(ぐんしょう)を見て居るより他は無かった。木通(あけび)の葉が地に落ちた時、地の果てにて狐が鳴き、夜が来る事を伝え教え、自然の滞りを知らない空想の在り処を何時(いつ)か見て知って居る人工の手の平の上で面白可笑しく転がして幼春の美を謳って構築し、白紙が阿る一つの養育を青春の到来の兆しに変えた上で、黄色い屍はまるで一つずつ跳ねる様にして、発条の付いたこの地上を網羅して行くのである。
 所々に虫食いの葉が拡がって落ちて居り、人を欺く動物よりも人が殺し続ける幼虫の羽音を束ね始めた夢想の郷愁が所々でその芽を紡ぎ出し、人は〝謳歌〟という言葉を知りながらその意味への曲解の内で自暴自棄に成り果てて、春望の〝春〟の迷いは又立ち所に消え始め、人はその親さえも殺して行くのである。
 俺は、その日本音楽・声楽の備考欄に目を止め溜息を吐(つ)いた後で憧れを燃やした玉置浩二への実力の差額を埋めようと両手と声を震わせて立ち尽くし、その講義が扱う主な内容に「安全地帯神話が織り成す声楽に就いて」と記された格好の餌食に奮闘を憶えさせられて、想像に依り構築された玉置浩二の発声方法、その在り方、を素晴らしいと見たのか、自分も同じ発声方法を取り戻したいと願って、シラバスに書かれた大体的に掲げられたその宣伝文句に思考を重ねる流暢を観た。そうして居る内に俺の目前を走る一人の若い女が活発に成り、蜷局を巻く様にして現実を着て防具とし、手には理想を持って練り歩き、自然とその人数は増えて行く…。まるで自分の影が増えて行く様に思われたその人影達は、昼下がりから夜に住む夢を構築せられて堂々と見果て行く根強い者達に成り活き、俺に見せる素顔は何処(どこ)に目を付けて居るのかも分らぬ程に奇麗な女性へと変わって行った。まるで白壁の様なその顏達は自分達が、激しく、哀しく、辿って行く結託への末路を自由を興じて渡って行くのを知り尽くした様に立ち尽くして居り、一声掛ければ蜘蛛の子の様に気持ちが分れて散って行く、無数の人魂の勝算を教え始めて、俺は夏に咲く蟋蟀の生命(いのち)の様に、その矢先にひっそり咲いた憤悶に知られた門出を祝って居る様だった。肌に、見知らぬ皺がきちんと細やかに並べ立てられる自然の力は人にふとした孤独と柔らかい恐怖とを教え、それが神の力に依るものと未だ知らぬ者でも密かに理想の内に咲く脆弱成る強靭の眼(まなこ)を知って行く。削ぎ落とされた女の秘密を守って居た無力な外壁は微塵にも成らぬ程に壊されて一つの恰好を露呈する事と成り果て、又その破壊は当の女も望む処に在った様で、払拭された夜明けの導(しるべ)に人は何処へ行くでもなく儘に押し通されて、理想の内で見知った見知らぬその境地へと辿り着くのである。俺の周りに在ったその若い女達は、若い頃の凛々しい姿をした安全地帯その物が好きだった様で、そのバンドの内に玉置浩二も居たようである。俺は歯痒さを憶えながら独りで玉置浩二一人の魅力を胸の内に掲げて触れ回り、やがては見知らぬ末弟の夢想を思うが如く、紅(くれない)からその夜更け迄、寝間で喰い続けて居た猫の弱体(からだ)に夢中に成った。
 地中から咲き起ったマスコミ連中と、そのマスコミが構築したのであろう周囲の環境に乱暴に背中を押されて、俺は玉置浩二の真似をしながら「碧い瞳のエリス」を静かに大きく歌って居た。力強さを秘めたその「大きさ」は心中で自分と満足に解け入って他人をも魅了する放蕩と成って行った様子で、独りが転じながら孤独を知りつつも遠くまで歩ける摩擦を知らぬ靴を俺は履いて居たようだ。まるで良い評価だけを得た、一人舞台であった。通りすがりの女の子は自然の様にその俺の声と存在に気付いたが、又自然の様に外方(そっぽ)を向き始めて無音の優しさを残した儘で歩き去って行った。急いで居る様で急いて居ない、幌を外した馬車の様な頼り無く小躍りした風景は、鼓動と満足を置き去りにした儘で又暗闇の中へと消えて行くのである。言う事を聞かない災害の様な迅速を以て規則正しく乱暴に、生来の足取りに合せてまるで蝶が空へと還って行く様に、雪の断層の様に、都会を制した女は暗闇へと消えて行き、見得なく成るのである。その一連の波動とは、現実が交錯した運河の様に大胆で、又、頼り無いものだった。白い首(こうべ)が油を注がれて黄色く照る摩擦に託された人の活性を計り終えた無尽蔵な命で在っても無機性に彩られる事は無く、唯辛抱強い鉄鋼のアジトへと遡る血肉の油の良性を不断(ふんだん)に使い古して人脈を作り、やがては生粋の夢に注がれた様な青い鱗粉の様な弱い防御を又構築して行く。儚く彩られた人の夢の破片は、若しくは所々で到底叶わぬ活力の色葉(いろは)を教える様に男に女の色葉を教え、やがては止らぬ欲情の血塊を我が物として構築し得る人の夢へと姿を映して行くのだ。
 俺の目前に雪の様に表れた、幼虫の頃からその存在に波長を合せられて憤りと醜態とを憶えさせられた西村泰明とかいう一つ年下の男児に、俺は夢中に成った。生意気な奴で、人密機(ジャングルジム)の上から、俺はそいつに石を投げられ、女の前で痛い思いをした事が在る。とても俺を苛突(いらつ)かせるのが上手いそいつとは案の定この夢想の内でも相性が合わず、俺達は喧嘩して居た。それも珍しい取っ組み合いの喧嘩をして居り、〝一日の長〟という設定が功を成したか、俺はそいつをこてんぱんに伸(の)して居た。そいつの体の上に日本の国旗の様な、俺だけが知り尽くした旗を突き刺し立てると、一度昼下がりは暮れたのか、もう一度陽が昇って来た様に眩しい発光が俺の頬から全身を差し、辺りに散らばり歩いて居た通行人、女達を照らした。その西村には背後に仲間が隠れて居た様子で、その仲間の顔も俺は事の序(ついで)に殆ど全部知って居り、おぼこい表情と光景がその少年達の表情に現れて居た。その現実に於いて俺は、彼等全てを闇の中へ葬りたい、と当ての外れた早熟が見せた扇動を憶えて居た。
 


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