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幸福は科学!


幸福感というか、幸せを感じる条件というのは、科学的に解明されているのに、なんでその視点からはあまり語られないのか。

一般的に、「幸せな人」のイメージって、お金のあるなしに関わらず、「人との関わりが多い人」あるいは「積極的に人と関わり合いを持とうとする人」なのではないかと思う。

逆に、友だちが少なかったり孤独に見える人は、あまり幸せそうだと認識されないように思う。

けど、この一般的な認識が広まることには一種の息苦しさを感じる。

私は人といっぱい関わり合うと、疲れる。ありがたいことに友だちはそれなりにいるけど、自分の時間の大半を、できればひとりで過ごしたい。たまに友だちに会うくらい(それも2、3ヶ月に1回くらい)が、適正。

一方で、世の中には毎週のように誰かと一緒に過ごしたり、大勢で集まるのが好きな人もいる。私の周りにも。見ているとこっちは疲れるレベル。でもこういうタイプの人らが往々にして「幸せな人」として認知されやすく、自然に「人とたくさん関わると、人はお互い幸せになれる」みたいに捉えられ、コミュニティへの参加とかが良いことのような擦り込みへと繋がっているように感じる。

けど、それが苦痛な人、いるでしょ世の中には。オレはそうやけど。

ハッキリ言うて、喋っておもろい相手なんてそんなにいてないし、お互いがお互いを厳選し合ったような少数の友人に、たまに会うくらいがちょうどええねん。

で、話を科学的な幸福論に戻すと、「適度な運動をするとエンドルフィンが出る」とか、「美味しいものを食べるとドーパミンが出る」とか、「親しい人間または動物をなでたりハグするとオキシトシンが出る」とか、人類を含む生き物にとって、より不変的な「幸福を感じる因果関係」がハッキリしてるんやから、それを先に学校とかで教えてよと思うワケ。

いや、でもある条件下の正規分布で70%の範囲に入る人にとっては、「人と関わり合いを持ちましょう。そうすれば幸せになれます」みたいな言い方の方がわかりやすく受け入れやすく、実践しやすいんかな?

けど、それだけを言われると、自分のような「人と関わる量が多いとしんどい、むしろストレス」という人にとっては幸福が目減りする結果にしかならへんし、そもそも「疲れる原因は人と関わり合う量や!」と気づくのに、何十年もかかることになる。気づかずしんどいまま、これは、思い込みや擦り込みだけで、本人にはまるでフィットしない幸福追求をすることになりかねない。

という訳で、言いたいことは、人が幸せを感じる科学的な条件はかなり不変的だが、社会的な条件は人によってかなり違いがあるはずということ。

人と関わり合うのがしんどい人は、自分という個体に合う科学的なアプローチをしてみてはどうかなと思う。

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