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砥石を砥ぐことから考える

昨日はなかなか昼メシにありつけなかった。包丁が切れなくなってきたから砥ごうとしたら、砥石がすり減ってて砥石を砥ぐところからスタートするハメに…

そもそもね、砥石自体を砥がないかんゆうことを知ったのも最近やねん。こんなん学校で習わへんかったし。

こういうことやると思い出すんやけど、小学生になったくらいの頃に、オヤジが、

「お前の世代は小学生になっても小刀もよう使わんのか」

って呟いたのを聞いて、「えっ!?」てなってん。

昔の子供はみんな使えたものが、自分の世代はできひんって、なんか納得いかんなと幼いながらに感じたんよ。あの一言を、いまだにすごい覚えてる。

さらに。砥石を砥いでみて感じるのは、これ自体がええ運動になるなと。心拍数上がるし腕だるい。ジム行かんでもこういうローテクなことを日々やってたらええんちゃうの?

さて、うちの父親の世代ができたことをできない子供だった私もこれから「昔の人」になっていく。そう、「昔の人はできたのにね」の昔の人。

実際、数年前に中学生の時の技術家庭の先生に出会い、話を聞くと…

「キミらの世代は授業でやってた作業を、今の子はもうできないよ。ラジオの基盤のはんだ付けとか、ねじ切りとか、鍛造とかね」

と言われ、あぁ自分とさらに下の世代とでも差ができているのかと気付かされた。

私には子供がいないので、学校教育の現場は知らんけど、やれAIが、やれタブレットを全員に支給とか、やれ早いうちにプログラミングを、とかよりも先に教えることあるんちゃう?って思う。手を動かすことをもっとやれば、相乗効果あるはずやん?

ちなみに、多くの人が、去年までの私と同様に、砥石自体を砥ぐことを知らんと思う。なんならうちの実家の砥石も真ん中がすり減ったまんま。私より27歳年上のうちの母でさえも知らんのだろう。

さらに言えば、多くの人は包丁自体を砥がずに死んでいく。実際、これまでいろんな人の家の台所で料理する機会があったけど、こんなに切れない包丁でよく料理してるなと何度も思ったから。

もちろん、ほとんど家で料理しない人がそれ相応の人数いることはさておき、包丁の砥ぎ方とか、砥石の砥ぎ方とか、家庭科の授業で教えて欲しかったね。調理に限らず他にもいろんな道具の使い方、手入れの仕方、そういうことを学ぶ機会があまりにもなさずぎる。

そんなもんはやりたいヤツだけYouTubeでも見て自力で学べば良いという声もあるやろうけど、まったくキッカケさえも知らされずに、「自力で学ぶ」は難しい。それは明らかに機会損失。

体と頭を同時に使うことで、さまざまな場面で目につく思考停止から抜け出せるはずやし、両方とも同じくらい使う方が人類の未来は明るいに違いない。

なんかとりとめもない感じの文章やけど…

わかる人にはわかるんちゃうかと思う。

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