裏表切り抜かれない言葉だけ交わして遊ぶただのバカンス/ただ二人お互いだけの宇宙なら再定義する相棒の意味

試しに、自分でも気に入っている短歌を意図と共にサルベージしてみようと思う。

「裏表切り抜かれない言葉だけ交わして遊ぶただのバカンス」

「ただ二人お互いだけの宇宙なら再定義する相棒の意味」

自分はフィクションにおける「偶像の裏側」みたいなものが好きで、"俗"極まりないが百合営業という要素も好きだったりする。実利というエゴと抑圧される精神の均衡に惹かれるのだ。本物の友情を消費物として差し出す当人の気持ちを勝手に想像してしまう。(心からの好意と打算的な演出が不可分になってしまうシチュエーションが特に好きだが、完全なるビジネスもそれはそれで好きだ)

この2つはそういうのをイメージして作った。伝わらないとは思うけど。観衆なんていない二人だけなら単純で楽しくてどんなにいいかみたいな感じ。「ただの友達」って関係性が好きなんだよな。ただ笑い合って時間を共にするだけで本当はいいのに、みたいなのが好きだ。

前者はアイドルというよりVtuberとか配信者のイメージだ。「裏」とか「切り抜き」が一応の要素である。

こういう稼業を選ぶ人間が自身の切り売りに何か思うようなタマかよ、と真反対の方向へ信頼を寄せる現実的な自分もいるがそれはそれとして。俗な消費者らしく都合の良い美しいフィクションを夢想する。

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