後悔は後に悔むから後悔なんであってだな
そもそも先に立つわけがない。
おはようございます、うにもちです。
言葉遊びの回じゃないよ。
何の話かっていうと、何で悔やんじゃうんでしょうねって話ですよ。
自分でやろうって(やらないって)決めたのに。
おかしな話ですねぇ。
人は希望を通した結果嫌な気持ちになってしまうことがあると。
これはつまりどういうことなんだと。
要は心の底からはそれを望んでないんですよね。
少し面倒でやらなかったら、あーあれやっておけばよかった、なんて後で考えてしまう(因みに僕は最終日までやらない方の人でした)。
人に遠慮して頼まなかったはいいけど、いざやってみるとかなりキツくて、頼んでおけばよかったなーなんて。
後悔って難しいですよね。
そうした方がいいのが明らか(せざるを得ない場合も往々にしてある)なのに、それを選んでも悔やんでしまう。
人っていうのは難儀な生き物だ、全く。
後悔をしないようにするにはどうしたらいいのか。
それは、自由気ままに生きることです!
自分の望むことをすれば後悔なんてしないのです!
なーんて、エセ自己啓発系のブログなら書いてるかもしれませんね。
ふざけるんじゃあないと、んな自由にいきて後悔しないような大物(自己中ともいう)だったらそもそも人生苦労してねぇよと。
そういう人も現代だと特に多そうですよね。
人に迷惑をかけるくらいなら自分が苦労した方がいいっていう考え、実に日本的ですよね。
我慢が美学とされるこの国でそういう思考になってしまうのは仕方ないと思います。
とは言え別にこの考えが悪いなんて毛頭思ってないですよ。
そもそも思いやりから成り立ってる考えですし、僕も漏れずにこの思考してるので。
ただ現実問題として、この自分の中にある考えのせいで人生がただただ生きづらくなってる人、多いんじゃないかなぁと。
自由にすればいいと言いつつもそんな簡単に動けないよと、そういう人居ると思います。
僕がノートで度々言う「自由」って言う言葉。
これは何も他人を蔑ろにしてでも自分を優先しろって言ってるわけじゃないんですよ。
他人を思いやるのはいいことです。
いいことだから人間はそうしたくなるんです。それは仕方ない。
だから、最低限自分は大切にして欲しいなぁと思うわけですね。
人に迷惑をかけてはいけないと言う思考については前回のノートで軽く触れましたけど、そもそも迷惑はかけます。
人と人が触れ合って生活をしている現代で、摩擦というものは確実に生まれます。
だって、姿が似ているだけで全く別の生き物なんだから。
だからこそ人の失敗には寛容になりましょうと教えた方がいいんじゃないのと、そういう話だったんですけれど。
そういう世の中って良くないですか?
失敗は次に活かせばいい。
社会全体が失敗を認めてくれる世の中……なんて生きやすいんでしょう。
――ってそもそもそれが本来あるべき姿ではあると思いますけどね。
さて、まぁこういうことなので結局どうすればいいのさという話ですけれど、これは正直どうしようもないですね。
人と関わらずに生きていけるという人がいるのであれば、それが一番かもしれないですね。
ただ、その選択はオススメできません。
なぜかというと全ての事柄が自分の中だけで完結してしまうからです。
人と触れ合わなければ成長、もとい変化は絶対にありませんから。
変化のない日常は緩やかな死です。
まぁ要するに、後悔はするものだと割り切ることです。
何を選んだとして後悔はするのです。
無い物ねだりの無い人なんていません。
逆に、後悔のない人生はそれこそ自分で全て完結しているので元から完璧とも言えますが……多分面白くはないです。
後悔しなかったことの後味ってスッキリが大半だと思いますけど……たまにモヤっとしてること、ありませんか?
一切の後悔のない選択をし続けるとなると、多分その「モヤっと」した後味のものしか選べなくなります。
「結果的には良かったけど」という選択肢は得てして誰も幸せではない気がします。
それに、後悔はどっちにしろするんだ、って考えたら少し楽になったりしませんか?
別に何してもいいんだなーって。
毎回言いますけど「諦め」は優しさでもあるんです。
自分を理想に沿わせるのは素晴らしいと思いますけど、とても疲れます。
特に疲れる現代でさらに疲れる必要はあまりないんじゃないかなーと、僕は思います。
ほどほどにしましょう、何事も。
さて、またもや諦めが結論となってしまった僕のノートですが、人生そんなもんです。
人間は完璧じゃないです。
でもだからこそ人生は波乱に満ちていて、面白いんです。
……まぁ、今だから言えることかもしれせんけどね。
それでは、また。
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