2012年
2012年頃、NYに一瞬住んでた◎
当時Brooklynのbedstuyってとってもナイスなところに住んで居たんだけど、秋になってコートの襟を立ててポッケに手を突っ込んで足早に枯葉を踏んで歩いてる時、
あ!わたしの夢叶った!って思ったの◎
中学生くらいからぼんやりと海外で生活してみたいって思いがあって、その時のやんわり持ってたビジョンの絵がまさしくソレだったんだよね🍂✨
NYのBrooklyn!まさか本当に住むなんて正直自分でも全く思ってなかった。ひとからしたら笑っちゃうくらい小さな夢だけど、わたしの中ではいまも大切な宝物◎
でもね、
この頃のわたしは本当に弱ってて、語学留学って肩書きで会社も辞めてひとり勝手に準備して『アメリカ行ってくるわ〜◎』ってだけ親に伝えて『いつまで!?どこに住むの?』と聞かれたけど、『わかんない◎とりあえずVISAは5年』それだけ言って家も決めずに渡米した。笑
本当に何にもわからなかったの。
ただただ、その時の現状現実から逃げ出したかった!。本当の本当は、星になって消えちゃいたかった💫。でもそんなこと出来ないから、誰も知らない場所へ自分を追いやった。
それが真実。
全然カッコよくなんかなくて、ダサくて仕方ない自分が本当に情けなかった。
そんなメンタルでアメリカのしかもNYなんて場所に行っちゃったもんだから、行ったら行ったで辛かったな〜😂!
夢を叶えるため、勝ち上がるために世界中から人が集うその場所はまさしく人種の坩堝!エネルギーの坩堝!
カッスカスの状態だから日本出たのに、エネルギー負けしまくったよね〜😂
そしたらBronxに向かう地下鉄の中で、初めてのパニック発作。ぎゅうぎゅうの車内で息が上手に出来なくて、気が遠のくんだけど、アメリカって馬鹿みたいに医療費掛かるし、個で生きる!って感覚も強いから、ダメだ!しゃんとしなきゃ!頼れる人なんてここに居ないんだ‼︎って変に頭が冷静で何とか倒れずに済んだんだけど、それから電車に乗るのが怖くなったし、日本に帰国後もその時の感覚が何度もフラッシュバックして一時期本当に人に会うのもままならなかった。
全然平気ぢゃないのに平気なフリをして、常に自分に嘘をついてたから、ひとの目が見れない。見られてると思うと手が震える。隠したいと思えば思うほど症状は酷くなって、いつも泣きそうだった。
いまこうして思い出しても何だか泣きそう🥲
辛かったな〜あの頃。がんばったな〜✨
その頃自分の身に何が起きてるのか色々調べた。解決策はだいたい精神科に掛かって精神安定剤を処方してもらう。だった。
でも直感的に、それだけは避けたい!凄く辛いけど、自分を自分で守らなきゃ!って強く思ったの◎
いま思うと本当にその時そう思えてよかった◎それこそがわたしの強さだと思う。
それから、たくさんたくさん試行錯誤して、自分と向き合うことをとことんして、徐々にいまのわたしが出来上がった🌼
いまはね、もう全然自分に嘘はつかない◎とゆーか、つけない◎ひとにも同じ。だから嫌われることもあるかもしれないけど、いーのよ別に◎わたしはわたし。あなたはあなた。素直に生きれば良いと思う☺️
心地よく居られる距離を取れば良い。
わたしはわたしを一番大事にするって決めてるし、自愛するの中に、本当に大切にしたいひとを大切にすることは入ってるから。
きっとあの頃は、もっと上手くやりたかったのかもしれない。
自分の中の真っ黒な部分を受け入れられなくて、必死で隠そうとしてたのかもしれない。
いまとなるともう色んなことが遠い過去だけど、紛れもなくソレがあったからわたしは成長したし、いまは素直にその全てに感謝してる🌿🌼
あーんなに辛かったのに、人生って不思議よね〜✨😊
おかげさまであの時、一つの夢も知らぬ間に叶ったし、他にもたくさん宝物は増えた◎
だから、本当に想う。
一見ネガティブな事象の中にも、必ずポジティブな一面は在る◎☯️
今日は長々とそんなわたしを公開してみました◎人間そんな強くもないけど、決して弱くもないものよ◎
何処かの誰かの肩の荷をちょっと軽くできたらうれしい。
#とか言ってみる作業
#mylifeismymessage
#変人の虚言
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