ヘッドオブマニュファクチュアリングジャパン 宇山和樹の歩みをたどる。部門を超えたサクセスストーリー
ユニリーバ・ジャパンでは、部署間異動をはじめ、部門を超えた活躍も可能です。その一例として、ヘッドオブマニュファクチュアリングジャパンの宇山和樹さんをお迎えしました。
【宇山さんのヒストリー】
2010年にR&D(研究開発)に新卒社員として入社
2018年サプライチェーンに品質管理マネジャーとして異動
2019年には相模原工場副工場長に昇格、その後コラボレーティブマニュファクチャリングマネジャー(協力会社統括)やグループ会社のサプライチェーンヘッドなどを経て、ヘッドオブマニュファクチュアリングジャパン(製造会社代表)に就任
研究職からサプライチェーンへの部門異動、その後どのようにして現在のポジションにたどり着いたのか。
入社から現在の歩みをお聞きしました。
世界の99%は知らないこと。
知ってやってみたら大概面白い!
ーーまずはユニリーバ・ジャパンを就職先に選んだ動機を教えてください。
宇山 : 私は、大学院で苔に関する基礎研究をしており、研究者として大学に残る選択肢や、研究者として就職する道もあったのですが、いろいろと自分なりに考えてみたところ、「自分が開発した商品を、どなたかが手に取ってくれているのを偶然見かけたりしたら、すごく嬉しいだろうな」と感じ、メーカーの製品開発職に就職したいという気持ちが強くなっていきました。
英語は喋れなかったのですが、グローバル企業であれば、私が開発したものが世界中のより多くの人々に届けられる可能性が高まるだろう、と考えユニリーバ・ジャパンに入社を決めました。
ーーそうして、2010年に入社し、研究開発部に配属されたのですね。
宇山 : 研究開発部のなかでも、スキンクレンジング部門のダヴの処方開発担当になったのですが、入社してみたら、自分が思い描いていたのとは、だいぶ違いまして。
ーーどういうことですか?
宇山 : 入社する前は、まったく何もない状態から商品開発をし、製作すると思っていました。しかし、私が配属された部署は、実際は、グローバルが大枠の骨格を作り、残りを日本の法律や日本人の好みに合わせて微調整するといった、最後の仕上げを担当する仕事でした。
ーーなるほど。そのギャップは宇山さんのモチベーションに影響しましたか?
宇山 : 確かに想像とは違いましたが、それがやってみたら意外と楽しくて。そもそも化粧品の作り方もまったくわからないし、カウンターパートのアメリカ人の英語もわからない。英語が喋れないので会議前にメールで共有したり、身振り手振りを駆使しながら伝えていましたね。入社して半年でいくつもの新商品を担当したのですが、ある製品に関しては、グローバルの設計段階で問題が起き、結局私たち日本サイドでほとんど作り直す、みたいなことも経験できました。普通では体験できないだろうことばかりで、毎日がエキサイティングで本当に面白かったんです。
ーー予期せぬ出来事が起きても、とてもポジティブ思考で捉えるのですね。
宇山 : そうなんですかね・・・
入社1年経ったとき東日本大震災が起き、私が配属された宇都宮の研究所が全壊してしまい、更には製造を委託していた協力工場も大きなダメージを受けてしまってしばらく生産ができなくなる、そういった大変な状況も経験しました。そこで、急いでほかの協力工場で作れるように工程の開発や交渉をしたり、仮設ラボの立ち上げのために走り回ったりしていました。大災害が起き動揺していた中、さらに驚くことに、当時の上司は新入社員の私を置いて、仕事を続けるためにアメリカに旅立ってしました。いきなり私ひとりの状態になってしまったのですが「普通では経験できないこと。」と気持ちを切り替えて、立て直しを行いました。
震災対応が終わった後も駆けずり回る毎日でしたが、ある程度落ち着いたところで、入社当初にやりたいと考えていた、“日本でイチから製品を設計できる仕事”として、日本がデザイン権限を持っていたメイク落とし開発の担当になりたいと相談しました。入社して3、4年目くらいだったでしょうか、それまでの仕事も評価してくれていたので、念願の異動が叶い、メイク落としの設計を担当することになりました。
ーーようやく入社前の希望が叶ったのですね。
宇山 : まさに、何もないところからレシピを作っていくという、思い描いていた研究開発でしたので、作っていて本当に楽しかったです。
ーーどのような商品を開発したのですか?
宇山 : 一番思い出に残っているのは、ダヴブランドからオイルのメイク落としを開発したことです。当時のマーケティングの担当が、ダヴらしく肌へのやさしさはキープしながらも、よく落ちるオイルのメイク落としを開発してくれないかと依頼がありまして。
ーー肌にやさしく、さらによく落ちる、という相反する特性を持つ商品開発に着手したのですね。
宇山 : ちょっと制限がある方が楽しいんですよね。しかも、競合他社よりも落ちるものにしてくれという依頼もあったので、千回近くの試作を繰り返し、最終的に、肌にやさしい、すすぎが早い、よく落ちる、三拍子揃ったオイルのメイク落としを開発することに成功しました。すすぎの早さは既存のテクノロジーと比較して優位性を示すことができましたので、日本だけでなく複数の国で有効な特許も取りました。
さらには、インドや中国からも引き合いがあり、とても嬉しかったです。他にもクリームやジェル、エアゾールなど、多種多様に担当した製品がありますが、やっぱりこのメイク落としは特別で、今でも、ものすごく誇りです。
ーー入社から様々な難題をクリアしながらも、かねてからの希望だった仕事にも就き、成果を挙げていたなかで、2018年にサプライチェーンに部署間異動されますよね。部門を超えた大きな異動ですね。
宇山 : 組織変更があり、メイク落としの設計を中国チームに教育して引き継ぐように言われました。そのため、処方設計の仕事が減り、工場で製品をどのように製造するかというプロセス開発も兼任することになりました。元々やりたかった仕事ができなくなって非常に残念ではあったものの、当時担当していたプロセスを開発する仕事は、チームみんなでワイワイしながら試行錯誤できるので、別の面白さを感じていました。一から製品を生み出す処方設計ができなくなり落ち込む気持ちがありながらも、いろいろなチームの人たちと協力して制限だらけの工場の現場でモノを作れるようにするのですが、難しい製品が上手く作れた時は、まるでスポーツの試合に勝って、ハイタッチするような、チーム一丸となって何かを成し遂げることの喜びを思い出させてもらったといいますか。そうしているうちに、いつの間にか楽しくなっている自分に気がつきました。
ーーまた、楽しくなってしまったのですね!
宇山 : コストをほとんどかけずに30%くらい生産能力を高めたり、今までだったら自社工場では製造できなかったものを可能にしたり、成果が出はじめると、処方とは違うけど、やってみたらすごく面白いなと実感していきました。ただ、私の年齢がちょうど30歳くらいだったこともあり、もともとの希望だった“一から製品開発ができる環境”に転職すべきか、という迷いは拭いきれなかった部分もありました。ちょうどこのタイミングで、サプライチェーン部門からお声がけいただきました。
当時の工場長から「こんなに結果が出てるのに辞めるなんて考えられない」「どうせ辞めるくらいの覚悟があるんだから、思い切って開発からサプライチェーンに移って、環境を変えてやってみたら?」と説得されて、いろいろ考えた結果、転職は止めてサプライチェーン部門の品質管理マネジャーのオープン・ジョブ・ポスティング(社内公募)に応募することにしました。
ーーすごく大きな変化だと思いますが、当時の宇山さんご自身はどのように感じていましたか?
宇山 : 確かに、部門異動というのは、あまり事例が多くないのかもしれませんが、私自身は当時のプロセス開発の業務で既にサプライチェーンの工場部門の方とも密にやりとりしていたので、正直言うと、仕事仲間という意味では、隣の部署に異動するくらいの感覚でした。どちらかと言えば、品質管理も初めて、管理職も初めて、工場勤務も初めて、という初めて尽くしの方が不安でしたね。
ユニリーバ・ジャパンでの部門異動は、仕事で結果を出し続け、キャリアの希望もきちんと筋が通っていれば、常に門戸が開かれています。多くはない事例ですが、ファイナンスから開発に行ったり、営業や工場から人事に異動した人もいます。私も利用させてもらった、オープン・ジョブ・ポスティングという垣根なく異動できる社内公募制度もあります。事実、私自身も他部門からの異動受け入れについて常にオープンにしており、むしろ私の部署にさまざまな部門の方が興味を持って門戸を叩いてくれたら嬉しいと思っています。
ーーサプライチェーンに異動されてからも快進撃が続きますよね?
宇山 :研究開発部門で仕事をしてきたこともあり、各原料の配合意図など、製品がどのように設計されているのか、ある程度理解できているので、何かトラブルがあって原因のイメージが付きやすく、改善策も素早く提案することができました。研究開発、工場、それぞれの視点だけではできなかったことが、品質管理の舞台で実現できたと思います。
ーー素晴らしいですね。部門異動の利点を活かし成功を収めていったということですね。この見事な実績も相まって、1年後には工場長代理に就任され、さらに2023年には第二工場の立ち上げに工場長として挑まれます。
宇山 : 2021年くらいまで工場長代理をやらせてもらいましたが、その後工場の大部分を一旦当時の工場長に返し、新たな業務に移るように言われました。製造技術マネジャー、コラボレーティブマニュファクチャリング(協力会社管理)マネジャー、そしてラフラジャパンというグループ会社のサプライチェーンのヘッドの3部門のマネジャーです。中でもラフラに関わったことが、第二工場の立ち上げに大きく関わっています。ラフラは、元はベンチャー企業として立ち上げられた、高級化粧品を取り扱うユニリーバ・ジャパンのグループ会社です。大企業と違って、自社工場を持っていなかったり、多数の研究者がいるわけでもなかったので、オープンイノベーションを主とした製品開発を得意としており、それまで経験してきた大手メーカーのモノ作りとは全く異なりました。ただ、ラフラの製品やそこで働く人たちのことを知れば知るほど、自分の得意分野を活かして、何とか貢献したいと思うようになりました。
ラフラで何ができるか、相模原工場で何ができるか、しっかりコミュニケーションをとらせてもらったことで、工場で製造するスペースと設備を確保さえすれば、単価を下げながら品質を向上させ、そして生まれた利益で更なる販促を回すことで、ラフラの製品が世界に羽ばたくための機会を作れるかもしれないと考え、第二工場を作ろうと思いました。
ーーこれもまた前代未聞の試みですね。
宇山 :ビジネスユニットの責任者との会議で、ダメ元でビジネスケースを作成し提案したのですが、最初は色々な理由で反対されました。ただ、ひとつひとつ解決策を考え、毎月会議があるたびに改善策とともに、案を提示し続けました。当初は雲をつかむような話しで、正直、実現の可能性はあまり無さそうに感じていましたが、ラフラの社員や工場のプロジェクトチームのメンバーと話していると、いつしかこのプロジェクトがだんだんと現実的な形になり始め、最終的には正式な承認を得て、プロジェクトを進めることができるようになりました。泥臭いですが、諦めずに挑戦し続け、最終的には実現できてよかったと思っています。
宇山 : 私個人の性格かもしれないですが、なんでもやってみたら、まあまあ楽しいんです。今この立場になっても、トラブルや問題も起こるし、新しいプロジェクト・新しい取り組みもはじまるし、すべてが新鮮でアドレナリンがでる毎日です。
過去の私も含め、みなさん、だいたい「これがやりたい」と言いますが、世界のことを全部分かった上で、やりたいことが決まっていく、というよりも、世界の99%は知らないことだらけなんだと思います。ほとんどのことは知らないだけでやりたいとも思わない、だけど、意外とやってみたら、なんでも大概楽しいものだと私は思っています。
宇山さん、本当にありがとうございました。ファンクションを超えた活躍の裏には、大変な苦労もありながら、そのすべて楽しむ宇山さんの在り方に改めて心が動かされました。皆さまも楽しんでいただけたでしょうか?
次回は、ファイナンスの有田さんをお迎えし、育児と仕事の両立を果たすための極意を中心に、ワークライフバランスをテーマにお送りします。