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「家族」でも謝られたからといって許さなくていい


私はちょっと刺激的な家に生まれた。

家族構成は父、母、姉、私、弟、弟、賑やかで毎日飽きずになにかしらドラマのような問題が起こる。

父は女癖が悪く、母はヒステリックによく叫び泣く子供のような人。
姉は完璧で可愛くて綺麗で頭も良い、弟はカリスマ性があり周りに人が絶えなくて、もう1人の弟は世渡り上手で少しずる賢い。

今では大人になって家族のことは心から愛していると言える。
愛しているけど今だに家族みんなで集まるのは少し苦手でどうしても「お客さん」のように接してしまう。

子供のころは正直嫌いだった。自分は周りの家族に比べたら平凡で何も持っていなくて疎外感を感じていたのもある。

私だけ顔も性格も似ていないと家族の話題になるほどで、父はよく
「うには川辺で拾ったからな」って冗談を言っていた。
私はそういう冗談はなかなか理解できなくて、小さくバレないように傷ついていた。

子供の頃に傷ついた傷は大人になっても中々消えなかったりする。

「おばあちゃんはうにのこと嫌いなんだよ」

「私を出産してる時に父の愛人が病院に来て父がわざわざ愛人を家に送った」

「異母兄弟の誕生日が数日違いで時々、私の誕生日にいなかったこと」

「失望した」って強くドアを閉める父親の声

「うちの家族でうにちゃんだけブスだよね」って弟の言葉

「おばあちゃんにあげた誕生日プレゼントをゴミ箱に捨てられた」事とか

「なんでそんなこともできないの」って家族から言われたこと

バレないようにこっそりといつも傷ついてた。
いつも明るくて笑顔で世間知らずの私を「うにを見てるとまだ大丈夫だなって思える」って笑われても笑って誤魔化してた、あの時の私は嫌われたくなくて必死だったと思う。

大丈夫。笑ってたらどうにかなる。こんな事で傷ついてるって知られたらもっと家族から疎まれるんじゃないかってそれが怖かったから笑って隠してた。

小さい傷は少しずつ多くなって私は見事に捻くれて少しずつ大人になり、家を出る事と家族を見返すことを考えながら生きてた、大袈裟かもしれないけど復讐してやろうと心の中で誓って、いつかあいつらから謝罪してくればいい、自分が悪かったと縋ればいいって本気で考えてた。

だけど周りの人にこんな事を話せば、「親不孝だね」「まだそんなこと引きずってるの?」「家族の人たち可哀想」「自分が悲劇のヒロインになりたいだけじゃない?」

「許してあげればいいじゃん」

って言われてきた。今思えばものすごく無責任な言葉ばかりで笑いが込み上げてくる。でも当時は言葉を一つ一つしっかりと受け止めてしまって、自分が悪いのかと本気で悩んだ、「あぁこれは私がこんな風に考えるかダメなんだ」って。

傷つけられた人の痛みは誰にも共感できないし、理解できるものではない。


月日はながれて、社会人として生活が安定してきた頃に母親から連絡があった。
泣きながら「お父さんが大きい借金を抱えてお金がないって生きていけないかもしれないってだからうにちゃん助けて」

私は動揺して無言で話を聞くしかなく、電話越しに聞こえてくる声は私の頭の中でこだまするのに内容がまったく入ってこなかった、やっとの思いで絞りだした言葉は「お金送るね」だった。

本当は少しだけ、ほんの少しだけ「ざまぁみろ」って言いたかったけど、そんな度胸もなく「ざまぁみろ」を練習してなかったから言えなかった。

お金が届いたのを確認した母が「ごめんねごめんねありがとう」って泣いて電話してたけど悔しかった。家族から言われたいってずっと願ってた「ごめんね」なのに許せない自分と結局助けてしまう自分が悔しかった。

それからも定期的に仕送りをして、父と母から謝罪と感謝がよく届くようになった。姉は結婚していて仕送りができなくて私に負担をかけることを謝っていた。
弟たちはこの時ではないがそれぞれに謝罪と感謝をされる事件があったけどこれはちょっと長くなるのでまた今度。ちと割愛します。

求めてた謝罪とは少し違うかもしれないけど、それでも謝罪に代わりはないわけで
自分はここまできたんだと誇らしく思える。わけもなく頭の中はパニックだった。

「謝ってもらたのに許せない」
「許さないといけない」

ずっとこの2つが私を苦しめた。どうしようなんでダメなの?どうして傷が消えないのって何度も古傷を擦っても消えなくて自分がどうすればいいかわからなかった。

小学生の時に謝ったら許してもらえるそこまでがセットだった。
けど許すって本当に難しくて、中々自分の傷が許すことを受け入れてくれない。

だって許してしまったら、あの時の自分が1人置き去りにされる気がして、
我慢して笑って誤魔化した自分をなかったことにさるようで痛かった。
あの時の私は存在して生きてた、許したらあの時の私が死んでしまう気がする。

そんなことないってわかってるけど、私は簡単に許せるような「物分かりのいい」大人になりたくなかったから諦めた。

もう全部やめた。許すとか許さないとかもう答えが見つからないから
もう許さないことにした。

「謝ったら許されるなんて傲慢だなって、私は神様でも仏様でもなくただの人間様だから邪心も煩悩もある。弱いし狡いし無様だけどしょうがない私、人間様だから」

って屈折に磨きのかかった私の性格は開き直ることを選んだ。

もうこの傷は消えないけど、この傷のおかげで人と寄り添う仕事ができていると感じる。

声を大にして自分に言いたい。

許さなくてもいいよ、許せないことは悪い事じゃないから
謝罪は傷の特効薬でも超回復する薬でもない。
ただの謝罪でしかない。

受け止め方は自由だけど無理に許さなくていい。
もし、傷を武器にして相手を責め続けようと思うのであればそれも有りだと思う。ただおすすめしない。自分がもっと傷つくから、そして意外と傷つけてきた人間からするとその武器は痛くも痒くもなかったりする。悲しいよねあんなに傷ついても、相手にそれが伝わらないって悔しいし痛いよね。

人間は人間が思ってるほど優しくて賢い生き物じゃない。
もっと残酷で無神経で図々しい生き物。
だけど許せないものとか癒えない傷を抱えている人は他の人たちよりも優しくて愛がある暖かい人だと思う。
ありきたりで陳腐な言葉かもしれないけど、きっと傷ついた分だけ人に優しく寄り添える。

謝罪は免罪符ではない。罪は軽くならないし、許されるものでもない、許せない自分を責めないでほしい。

他の人が「謝られたなら許してあげなよ」って言ったとしても
「家族なんだから許しなよ」とか全部気にしなくていい。

だから許さなくていいよ。

うに




P.S 屈折に屈折を繰り返した私の思考は今では図うずうしいなと思うけどここまでたどり着けてこれてよかったと思える。
今なら笑って泣くのを我慢してた小さい自分を思いっきり抱きしめて

「笑わなくていいんだよ」

「泣いてもいいんだよ」

「たくさん、たくさん痛かったね」

って言える。あの時の私へよく頑張ったね。でももう我慢しなくていいんだよ。
私はこれからもあなたのために許さないからちゃんと怒るから
またせてごめんね。




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