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女の子なんだから

忘れかけていたけれど、物心ついた時から

女の子であることは少し違和感があった。

活発で、外で遊ぶのが大好きだったし、

外見も男の子みたいな格好が多かった。

母があまり女性らしいタイプではなかった

からか、洋服は、トレーナー、ズボン、

スニーカー、髪は短め、みたいなパターン

が多かったんだよね。

髪は伸ばしていたこともあったし、スカート

やワンピースを着ることもなかったわけじゃ

ないけれど、あまりそこに積極的な意識は

無かったのが、小さい時の記憶。

キュロットとかのほうが、動きやすくて、

パンツが見えずいいと思ってたくらい。

何の影響か言葉遣いもよくなくって(笑)

悪く言えばガサツで、全く女の子らしいと

いうタイプでは無かった。

私は3人姉妹の次女だけれど、姉妹みんな

似たような感じで育ってたと思う。

親戚の従兄弟(従姉妹)たちは、かなり歳が

離れていていたんだけど、どちらかという

と少年要素が強くて、少年漫画を読むとか、

TVゲームを一緒にやらせてもらうみたいな

ことが多かった。

そんな環境だったからなのか、お淑やか

とか、女の子らしいみたいな要素が幼少期

ほとんど培われなかったのかなって思う。

保育園に入園して友達ができると、周り

と見比べるからか、違和感を感じるよう

になっていったんだよね。

可愛い女の子って大切にされるんだとか、

可愛いから男の子にも好かれるのかな、

みたいな意識が芽生えてきた。

しかも、これって条件付きじゃないと愛さ

れないという意識だと思う。

クラスにすごく典型的なぶりっ子タイプの

女の子が居たんだけれど、自由に遊ぶ時間

の時に、

『スカートはいてないから男の子と遊んだ

らいけないんだよ!』

と言われ、突然牽制されてしまったことが

あった。

その時は、かっこいいなって思っていた

男の子が一緒に居たから、ものすごい

ショックを受けてしまったんだよね。

『そうなんだ…』と

そこから、段々と、自分の性に対する葛藤

みたいなものが、始まっていったなぁ。

今でこそ、セクシャリティーやジェンダー

には、寛容な世の中になってきてるのかな

と感じることもあるけど、30年以上前の話。

女の子とはこうあるべき、みたいな教育環境

が多かったと思うから、それを言ってきた

その子には何の罪も無いんだけれど。

でも、その記憶を思い出すってことは、

小さい私は、傷ついたんだ。

そしてインナーチャイルドとして今まで

心の底で泣いてて、傷を癒しきれてなかった

んだろうなって。

そのくらいのこと、なんてことないって、

感じる人もいると思うけれど、私にとって

は結構な大事件だったんだなって。

悲しい、はずかしい、辛い、って感じた。

その後の成長にもとても影響を及ぼした

一場面だったと思うんだよね。

女の子らしいとか、男の子らしいとか、

自分のその時々の好きな在り方で、明確に

区別する必要もなくって、本当はただただ

自分らしく振る舞っていられることが、

1番よかったんだろうとは思うけど。

当時の私は、1人の女の子として生きてた

から、受け止めきれなかったんだなって。

私はそこで、自分に縛りを作ってしまった

ので、その後は外見的な女の子らしさを求め

て生き始めることになっていくんだけれど。

この出来事があったことに対して、ネガティブ

にフォーカスして癒しだけを求めてどっぷり

よしよししてる場合ではないんだ。

なぜこういう現実が起こったのか、何より

なぜ私はこの現実を創造したのか、どんな

ことにつながっていて、どんな意味があった

のかの解釈は、また、書きたいと思います。

それが魂の望みにつながっているから。

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