【ショートショート】“古い油絵”のような男
今日、隣で飲んだ”古い油絵”みたいな男はお屋敷で音を飼っているらしい。
見た目はまるで画家だが、”古い油絵”は音楽家と名乗った。無学なもので申し訳ないと前置き、音を飼うとはどういうことか聞くと、男は屋敷に来た方が早いと言い、半ば無理やりBARから連れ出された。
”古い油絵”が屋敷と言うものだから、何となくこうおどろおどろしい大きな洋館だと思っていたが、なんのことは無い。着いてみるとただの小さなアパートの一室だった。
何やらキーホルダーのジャラジャラ付いた鍵をジャラジャラやりながらドアを開け、中に入っていった”古い油絵”についていくと、なるほど。先程のなんのことは無い、という考えを打ち消した。小さくはあるが、ちゃんとしたお屋敷であった。置いてある家具はいちいち豪勢で、古めかしい。大きな犬の置物や、幅の広い暖炉など、生活感がなく撮影スタジオのような雰囲気だ。
まじまじと、部屋を見渡していると”古い油絵”が、今いる辺りに真っ直ぐ立っていろっと言う。素直に立っていると、彼がオルガンを弾き鳴らし始めた。
すると不思議だ。
彼が弾いた音は丸い円を描き、まるで自分の周りを囲んでいるかのようだった。初めは右の方からゆっくり近づいて来た音が、左の方で軽やかに飛び跳ね、そうかとおもえば耳元で何か囁いた。足元でじゃれついた後、ものすごい勢いで背中を駆け上がってきた時には鳥肌が立った。
彼は、間違いなく音を飼い鳴らしていた。
音が次第に遠ざかり、こちらに手を振ったあとトンネルの奥に静かに消えると、まるで大切な人との別れの瞬間のような寂しさを覚えた。
オルガンから手を下ろした”古い油絵”に賛辞を述べると、彼は意外にも寂しそうな顔をしていた。
「音楽を長年やっていても、その音と会えるのはその1度きり。さっきの音は、あなたに会いたがってた音だよ。」
そして彼はこう続けた。
「その人に会いに来る音は、その一瞬だけ僕に飼われてくれるのさ。僕は犬が好きだから、僕の飼う音は全部犬っぽいねって言われるんだけどね。」
そう言って、”古い油絵”が見つめた先を見て驚いた。ずっと置物だと思っていた犬の置物が、なんと本物だった。ずっと話が終わるのを待っていたのか、ソワソワとこっちを見ている。彼のおいでという声で駆け寄ってきて、足元にじゃれついている犬の動きを見て思った。確かに、この犬は先程人懐っこそうにじゃれついてきたあの音に似ていた。
”古い油絵”と共に再びBARに戻ると、彼はどこから持ってきたのか、即興でトランペットを吹き始めた。
その間、グラスを片手に1人で飲んでいると、マスターが嬉しそうに声をかけてきた。彼はこだわりが強く、少し変な男だけど、音で人を幸せに出来る無二の男だよ、と。彼はマスターの昔からの友人らしい。そのマスターの言葉に大きく頷いた。
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