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金の麦、銀の月(1)


***プロローグ***


今日も隣の部屋からカタカタと軽快にキーボードを叩く音が聞こえてくる。
最近はかなり調子がいいようだ。

二年前、穂高(ほだか)が小説家になるという長年の夢を叶えた時、自分の事のように嬉しかったことを覚えている。私が諦めてしまった夢も穂高が一緒に叶えてくれたような気がした。

カレーの入った鍋を温め直し、ご飯食べるよーとドアに向かって声をかけると、「もう少し!」というくぐもった返事が返ってきた。

十分もすれば満ち足りた顔の穂高が部屋から出てくるだろう。カレーをよそったお皿を持って、リビングに向かった。今日の晩ご飯は穂高が作ってくれた夏野菜カレーとレンコンサラダ。初めは料理も全然だった穂高だけれど、在宅で執筆するようになってから料理の練習も始め、今では私より作るのが上手いくらいだ。

スプーンですくって口に含むと、口いっぱいにバターの香りが広がった。辛党の私に合わせて辛めに作ってくれたらしい。舌先が少しピリッとする。辛いと言いながらちょっぴり牛乳を足してかき混ぜる穂高の姿が目に浮かんだ。

穂高は二年前、ある雑誌の純文学のコンクールに応募し、大賞こそ逃したものの審査員賞を受賞した。その一週間後には審査員の推薦もあり、文芸雑誌の連載が決まった。そして、二か月後、創作に打ち込むために大学卒業後から務めていた会社を退職し、ここ二年間はその雑誌の連載や、フリーランスの記者として地道に執筆を続けている。

私も、実は四年前まで小説家になることが夢だった。しかし、ただ書くのが好きというだけで特に受賞経験もない私は、将来の不安と家族の心配もあり、大学卒業後は夢をキッパリ諦め、一般企業に就職する道を選んだ。今の仕事は残業も多く、当たり前に楽しいことばかりではないが、やりがいを持って働いている。なにより、安定した職についたことで、働きながら穂高の夢を一番側で応援出来ることが嬉しかった。

小説原作のグルメ系恋愛ドラマを見ながら、カレーを頬張っていると、穂高が部屋から出てきた。思った通り、満足そうな顔をしている。

「お疲れ様。今日はけっこう進んだの?」

執筆に熱中していたからか、すこしぼうっとした様子でカレーを乗せたお盆を持ってきた穂高は、私を見ると数回瞬きをして頷いた。

「うん。数回分書けたし...明日は出版社に行ってこようかな。」

スプーンを持っていただきますをした穂高は、カレーを一口含むと案の定むせた。

「からいっ!」

穂高は立ち上がると小走りに冷蔵庫に駆け寄り、牛乳を取り出した。ルーの上にとぽとぽと注ぎながら私の顔を見る。

「美月(みづき)はこれホントよく食べれるね。」

牛乳を注いだ自分のカレーとは明らかに色の違う私のカレーを見て穂高は眉をひそめた。

「これ、まだ中辛だよ?」

そう言って、大きく一口頬張ると穂高は流石だなぁというふうに眉を上げて笑った。

「うまっ...。あ、そうそう。このドラマ、城こはん先生原作なんだけど、たしか先生の小説、穂高も読んでたよね?」

テレビの方に目をやった穂高はしばらく画面を見つめると、あっ、と声を上げた。

「うんうん!この話、ちょっと前に読んだ! 東京グルメの話………確か、この小説に出てくるお店が全部載ったグルメ本も出版されてた気がする。」

そうなんだ、今度本屋さんに探しに行こうかな。と相槌を打ちながらドラマを見ていると、透き通った琥珀色のスープがキラキラ光る、最高に美味しそうなラーメンが映し出された。主人公も目を輝かせている。

私は思わず、わぁ美味しそう...!と声を漏らした。すると穂高は私の顔を見て吹き出した。

「ほんっとに美月はラーメンに目がないよね。...あ、そうだ。今度の休み、ここ行ってみる? 車で行ける距離だし。」

その言葉に、えっ、いいの?と身を乗り出した私を見て、穂高は楽しそうに笑うと、「よし、行こう!」と大きく頷いた。

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◈主人公◈

中原美月(なかはら・みづき) 
年齢 26歳 
職業 会社員

佐野穂高(さの・ほだか)       
年齢 27歳 
職業 作家・ライター





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