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マスク信者を助けません

もしもこの先、すさまじく食糧危機がやってきて、これからワクチン接種者の死亡、重症者が増えても、

私は、マスク信者、ワクチン推奨派を助けようとは思いません。

なぜなら、もはや私の味方ではないからです。私はずっと分断は良くないと考えてきました。だから、自分の関わる人には気づいてほしいと、できる限り努めてきました。

これは、私とは反対の考えの人に言えることですが、一部の理解ある人で、私の考えを認めている人は、味方とは言えないまでも、敵ではないと思っています。それでも、私の意見、考えに耳をかさなかった。

そんな人たちがこれから、苦しむことになったとして、果たして私には助けたいという気持ちが残っているのだろうか?

そう考えた時、それはないんじゃないか、と思った。
なぜなら、これから先の私も、きっと生きのびるのに必死だから今の私も生きるのに努力している。だから、こうして毎日情報を集めたり、よく考えたりしている。

今、私の行動に理解を示している人は別だ。助けたい。
私のココロの支えになっている。

だけど、ほとんどの人はそうではない。家族でさえも。
さすがに私も家族を見放すことはないと思うが、家族の私に対する態度はなんなんだ!と思っている。聞く耳を持たないこと。

私は、これから先の未来よりも、今日のこの日がベストだと思うようになった。今、コロナで辛いことがあっても、この先は、こんなもんじゃない、と考えるようにしている。もっとひどい世の中になってしまうと。本当にサバイバルの毎日、と誰もが考えるような。

私は、本当にマスクはしたくない。なぜなら、意味がないばかりか、害があるからだ。もう、今は何がなんでも、したくない、という気持ちだ。

それでも、私は仕事中、マスクをしなければいけない。なぜならお金をもらっているから、その考えに従っているだけだ。

マスクは個人の自由選択です、とできることならしてほしい。できないことはない。

なのに、やってくれない。

自分の希望、期待に応えてくれない。それなのに、私自身は味方だと考えるだろうか?

本音を言えば、考えないだろう。

もしも、一人一人の話を聞いてくれる上司がいて、それぞれの考えを認めてくれている環境があり、ノーマスクでも許される職場なら、私はみんなを本当の仲間と考えるだろう。

だけど、現実は違う。こちらが、マスク信者に合わせているだけなのだ。

私がワクチンを接種しない、という考えさえも言えない。

普段の私は、ずーっとノーマスクなのだ、ということも、言えないような環境だ。
幸運にも、私の一方の職場には、マスクはするが未接種者が2人いる。同じ考えの人がいることは、心の安定にもつながり、私は仕事を続けている。

もう一方の職場にも、未接種者を3人確認している。

少人数の職場なのに、仲間がいることは、とても心強い。


私はマスク信者を助けない、ということを言葉にしたのは、今の私はこれでも、苦しんでいる、からだ。

私は、他の人よりも、確かに強い気持ちを持った人間かもしれない。だけど、それも自分に頑張ろう!と結構努力しているのだ。
もう、だいぶノーマスクに慣れた、とはいえ、いい気分で過ごしている訳ではない。別にびくびくはしていないが、やはり、視線はあまり感じないにしても、なんとなく空気は伝わる。

それでも、毎日頑張って、自分の主張をしているのだ。

何も言われなければ、自分のエネルギーを消耗することは、あまりないが、先日、電車で、感情的になったオンナから、「あなたマスクしていないじゃない、あっち行って!」みたいな言葉での暴力(差別)を受けた。

いくら気持ちの強い私でも、冷静に対処することは、エネルギーを使う。それを周りの人は知らん顔しているか、ちらっと見るだけなのだ。じろじろ見たオヤジもいた。そんな奴らを私が味方と思うか?

いい気分な訳がない。

これをいじめ問題と置き換えてみると、私がいじめられている側とする。そして、周りは、私を助けようともせず、傍観者である。
傍観者も、いじめていることと同じ!といえば、
この場合の私が、オンナに言われたことに対して、何もフォローをしない周囲の人たちは、同じようにいじめる側だ。

そんな人たちを私はミカタと考えるだろうか?

いや、考えない。

だから、結論として、今、私が一人ノーマスクで、電車に乗っている際、マスク信者と同じことをし、知らん顔をしている人たちが未接種者であったとしても、私はそれを知るすべもなく、自分の味方にはなっていないのだ。私としては、今、この瞬間も、ノーマスクの人が増え、自分と同じ考えの人がいる、ということを知りたいのだ。

どれだけ勇気づけられるだろうか?

私は、noteを通しても、まだ気づいていない人たち、洗脳されている人たちに気づいてもらいたいと努めてきた。

それにしても、あまりにも心が動かない人たちがほとんどではないか。

私たちはどこへ行っても、マスクしろ、と当然のように言われる環境で暮らしている。

今日、街の個人商店に、ちょっと入って商品を見た。長居するつもりは全くなかった。急いでいたが、安価で洋服が販売されていたので、少し見るだけだった。すると、すぐに店員がマスク着用を求めてきたので、私は、「マスクはしません」と言って、他のところへ移動した。
それでも、まだついてきて、マスクのことを言うから、「録音しますよ、マスクしないことで、入店拒否をするのは、おかしいので!」と言ったら、それ以上、店員は何も言わなかった。

いしいじんぺいDr. の記事を読んでいたから、できた。言えた。

こんなことを安々と言ってる訳がない。
とっても、ストレスなのだ!

でも、がんばってやっているのだ。

別に、その店員は店で決めていることをやっているだけであり、他のお客さんもいるから、同じように対応しているだけだろう。まあ分かるけど。
考え方によっては、私はその人にチャンスを与えている。
あの人(私のこと)は、どうしてそこまでマスク着用拒否をするのだろう?と疑問を持ち、調べることがあれば。

でも、その対応自体が、悪気はないかもしれないけど、私にとっては、敵に見えてくる。私の考えを認めない、ということ。

声をあげていくこと、他の大勢の考えとは違う、と伝えていくことは、相当なエネルギーを使っている。

多くの人が緊急事態宣言などが解除されたことにより、元の生活に戻れるんじゃないか?と考えているようだ。マスクをしたままで。活動的になってきているように思う。

みんな案外、楽しそうにしているなあ。

そんな人たちを見ながら、私は情報収集や、食糧備蓄をせっせとしている。マスク差別されながら。
介護施設が、私に黙って、家族のPCR検査をしたことには驚きと怒りでいっぱいだ。
これは、法的措置にすべきか?

今の私、そんなに楽しいことばかりでないよ。必死に生きている感じ。まだ、サバイバルしてる!っていうところまでいかないけど。
でも、楽しみは限られているけど、今の時間や過去の時間は、ありがたい時間だと思い、感謝している。

自分の体や心を信じて生きていきたい。


いざという時、周りはあなたを助けませんよ。

そう思っておいてください。

自分だけを信じて、行動、準備してください。




画像:CANADA


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