赤い宝石の花

赤と黒との戦いは数万年にも及んでいた。

黒は攻撃力が高く、赤は攻撃力を持たないが、かわりに生命力が強く、数で勝った

赤は黒を体内に取り込むことで攻撃する。

強く健康な赤の戦士は、黒を体内で無効化するばかりでなく、黒を叩く武器へと変化させる。

それでも黒の戦士は変化を拒み、体内から赤に食らいつく。

それは、赤が黒を食うか、黒が赤を食うかの戦いだ。

有史以来、常に赤が勝ってきた。だが敗れた黒も、数十年もすれば蘇り、何度でも襲来する。以前よりも強くなって。

なぜ、そんなことがおこるのか。

赤も黒も、滅すれば滅するほど新たに生まれ、戦えば戦うほど、進化していくからだ。

「なぜ進化するの?」

ミニョンは成体になったばかりの赤の戦士で、とびきり美しい赤のボディをしていた。幼体のときから、ずっとなかよしだったジールに問いかけると、すぐさまそっけない返事がある。

「黒が進化するからさ」

ジールは逞しい体躯を誇る、自信に満ち溢れた若者だ。あまり物事を深く考えるたちではないが、最も優秀な赤の戦士のひとりだ。

「なぜ黒は進化するの?」

「ミニョン」

ジールは、勘弁してくれというようにミニョンを見る。だが結局は、うやむやに笑ってすべてを許してしまうのだ。

ミニョンの赤は透明度が高く、光が透けて辺りを暖かな色に染める。ジールにとって、それがなにより魅力的に映るのだ。

「さあ、もう、こどもみたいな質問攻めはやめてくれ。きみは初陣なのだから気をひきしめるのだ。今度こそ黒の侵攻を食い止めるぞ」

「はい」

ミニョンの胸は燃えていた。憧れていた戦士になれたこと、ジールとともに戦えること、すべてが誇らしかったから。

遠くから戦いの歌が聞こえてくる。戦士でないものたちが輪になって、体を震わせながら、渾身の歌で応援してくれる。それはミニョンたち戦士のために捧げられる敬虔な祈りだ。

黒は赤の体を食い尽くすと、急激に数を増やして凶暴化する。だから、たとえ食われようとも黒と相打ちするだけの力を持つこと、それが戦士と認められる最低条件になる。

赤の強さは健康な肉体と精神だ。

もし、この防衛線を破られると、大量の犠牲がでる。

黒は養分を得て、またたくまに増えるからだ。

だからこそ、戦えない赤の民を守ること、それが、最強にして最善の策となる。

守られる者たちも、それは充分に心得ている。だから応援歌に熱狂する。その大勢の祈りが戦士たちを奮い立たせる。

ミニョンの胸にも熱いものが込み上げていた。

そのミニョンの肩を抱き、ジールが励ます。

「おれたちは選ばれた戦士だ。『生まれつき欠けた者たち』みたいなハンパものとは違うのだ」

ジールはよく『生まれつき欠けた者たち』の話をしたが、ミニョンは、その者たちを実際に見たことはなかった。ただ、その話をするときのジールの顏が、皮肉っぽく歪んでいて、それが、たいそう素敵だと思っていたので、一緒になって笑っていた。

いよいよ黒が襲来すると、ジールの活躍は凄まじく、怒涛の勢いで黒の大群を平らげ、黒から創った巨大な剣で、敵を薙ぎ払っていった。

遅れまいとミニョンは必死についていく。

ミニョンは小さな弓矢を創り、後方からジールを援護した。体内に侵入してきた黒のかけらは、思ったよりぶよぶよしておぞましく、できることなら食らいたくはなかったのだが。

ジールの背中を守っていれば、大群に襲われることはない。流れ弾のように飛び散る黒を取り込んでは矢に変え、次々に番えて放つ。

武器で倒された黒は、びちゃっと湿った音をさせ、形を失い動かなくなる。やがて乾いて消えるまでそのままだ。

逞しいジールの背中から赤い粉塵のように汗が飛び散り、ミニョンは思わず見惚れてしまいそうになる。

赤の戦士は誰も皆美しい。応援歌は、その美を称えて盛り上がる。

だが、その日は何かが違っていた。

赤が一騎倒され、また一騎、すると突然、爆発的に黒が増殖しはじめた。

先陣をきって駆けるジールにも異常な数の黒がとりついた。ジールは、彼らしくもなく、これまでにない叫びをあげて、とりみだした。

ジールは黒に覆いつくされる寸前に、一瞬だけ怯えた目でミニョンを見た。ミニョンは叫んだ。助け出そうと手を伸ばしたが、仲間の手により遮られた。

やがてジールの体は黒く硬化して横たわった。だが、そのからだを覆っていた黒も、もう生きてはいないようだった。どちらも冷えて固まっている。

応援歌は、いつのまにか鎮魂歌に変わっていた。

仲間の手からようやく逃れて、ミニョンは黒い塊に縋りついて泣いた。

もう赤に勝ち目はなく、黒の浸食を待つばかりに見えた。

鎮魂歌は低く静かに死者の魂に語りかける。

そのときだった。冷えた塊のなかから神々しいような声が聞こえてきた。


(ミニョン、おまえのいるこの世界を、俺が守ろう)


すると、まるでたまごが孵化するように、黒い塊に亀裂がはいり、なかから光の柱がいくつも立った。

そして、ついには黒い殻を破り、マグマのように燃え盛る赤のボディが現れた。

それはジールの形を遥かに超えて巨大化し、内部は灼熱に燃え、まばゆいばかりの光を放つと、最後に爆発四散した。飛び散ったジールのかけらは、黒を残党まで食い尽くし、粉々になってもまだ金色にきらめいていた。

感嘆の唸りが人々の口から洩れた。

おお、おお、と熱に浮かされたような声が、歌に混じって徐々にピッチをあげていった。

命の火を燃やし尽くしてジールは最期を遂げたのだ。

鎮魂歌は、あろうことか熱狂し、人々の興奮は最高潮に達していた。

そして燃え尽きる命の美しさを、高らかに謳いあげた。


命は一輪の花
散ってこそ美しい
宝石の花


有史以来、赤は負けたことがない。若い戦士が命の火を燃やすことで必ず黒を打ち砕くからだ。


「りっぱな最期だったな」

「ああ見事な死に様だった」

生死を懸けた戦いの終わりに、興奮覚めやらぬようすで、仲間たちは、肩を抱き合い、口々にジールの犠牲を褒め称えた。

しかし、ミニョンの肩を抱こうとした仲間は、その顔色を見てぎょっとなり、見なかったふりをしてさりげなく離れていった。

ミニョンは、このとき、衝撃のあまり透明度を失ったのだ。

赤黒い不機嫌な固まりとなったミニョンは、ひとり凱旋の列を離れ、さまよい歩いた。

ジールを失った悲しみが湧くまえに、ひとびとの反応に衝撃を受けてしまった。その衝撃は徐々に恐怖へと変わりつつあった。

あの歓喜の歌が耳をついて離れない。

黒の大群に飲み込まれる寸前にジールが見せた、怯えたようなまなざしが忘れられない。

勝利に沸く人々の喧騒から逃れるように、暗がりへ暗がりへと歩くうち、うらぶれた貧民窟へと辿り着いた。それは『生まれつき欠けた者たち』の集落だったが、そのことをミニョンは知らなかった。

ただ、その場所は今のミニョンに、ふさわしかった。愛する者を失って、永遠に何かが欠けてしまったのだから。


集落では灯りを点すことが禁じられていた。住民は皆弱く、守られねばならないから、ひっそり隠れ住むことを余儀なくされていたのだった。

そのため夜になると、まるで存在しないかのように静まり返っていた。

ミニョンは疲れて、ひどくのどが渇いていた。そうでなければ、気づかず通り過ぎていたかもしれなかった。

水の匂いに誘われて、知らず誰かの住居へと吸い込まれていった。ひとくちの水と、ほんのひととき、安心して眠れるベッドを本当に必用としていたから。

その家には、誰も住んでいないのか、あたり一面暗闇で物音ひとつしなかった。けれど玄関に据えられた水瓶には、きれいな水がたっぷり蓄えられていた。

柄杓ですくって、ひとくちの水をもらった。

「おや、めずらしい、お客さんだ」

とつぜん、奥の暗闇から、おっとりした声がした。

ミニョンは驚き、何か言おうとする前に、何かに足をとられて転んでしまった。

「だいじょうぶかい、すまないね、たすけてあげられないんだ、こちらへ来てくれるかい」

どんな悪意も根こそぎ剥ぐような、やさしい声だった。夜中に見知らぬ者が侵入したというのに、なんの警戒心もなさそうだ。

誘われるまま声の主を探した。奥のベッドに誰かが寝ている気配がする。だが、起き上がることはなく、声だけが続いた。

「ああ、このあたりのひとではないんだね。見知らぬあなた、この家には、なにもないけれど、もし欲しいものがあったら、なんでも持っていきなさい。でも灯りはつけないで、それは政府に禁止されているからね」

ミニョンは驚き、慌てて言い訳した。

「勝手に入ってごめんなさい、とてものどが渇いていたの」

声の主も驚いたようだった。

「こんな夜更けにどうしたの、なにか困っているなら、たすけてあげたいんだけど、なにしろ、なんにも自由にならなくてね」

声の主が、なんのことを言っているのかよくわからなかったが、ミニョンはとても疲れていたので、ベッドの端で眠ってもいいかと尋ねると、「もちろんいいよ」という返事も待てずに寝入ってしまった。


朝日が差し込む頃になってミニョンは目を覚まし、この家の主スノウと対面することになった。そして「なんにも自由にならない」の意味を知った。

スノウは自力で移動することが出来ないほど、ひどく欠けていた。ミニョンは欠けた者を見るのは初めてで、とても驚いた。

「ほんとうに何も出来ないわけではないよ、自由になることだってたくさんある。いまこうして、きみと話しているし、さまざまな事象に思いを巡らすこともできる。食べ物や情報や、そのほか必用なものを届けてくれる友達だっているし、素敵な相棒だっているのさ」

スノウの相棒とは車椅子のことだった。

「ただ真夜中に、傷ついて迷いこんできた人を助けるのには少々不自由したんだよ」

スノウは端正で、澄んだ瞳は高い知性を窺わせた。なにより他者を包み込むような優しさがあった。

ミニョンは、すぐにスノウを好きになり、よろこんで身の回りの世話を手伝うようになった。

ミニョンがどこから来たのか、どうしてここへ来たのか、スノウは何も聞かなかった。いつも静かに微笑んでいて、ミニョンの好意を素直に受け入れた。それをいいことに、ミニョンは、いつのまにかこの家に住み着いてしまった。

ただ、そのことを良く思わない者がいた。

スノウの幼馴染でマイラという娘は、ほとんど欠けたところがなく、はじめはとても親切だった。

ワケありのミニョンを心配して、親身に話を聞いてくれたり、励ましてくれたのだが、ようすがおかしくなったのは、マイラの来訪をスノウが断るようになってからだった。

マイラは体の弱い父親の面倒もみており、まいにちスノウのために、ここへ通ってくるのはたいへんだろうと、スノウから言い出したのだ。

「これからはミニョンが助けてくれるし、もう毎日来てくれなくてもいいんだよ」

その時マイラはハッとして身を固くした。

「そう、そうよね」

「いままでありがとう、苦労をかけたね」

「いいのよ」

マイラは微笑んでいたが、なにか様子がおかしいとミニョンは気づいた。それでマイラが帰ったあとでスノウに訊ねた。

「わたしは出て行ったほうがいいのかな」

「きみは出ていきたいのかい」

「わたしはここにいたい。あなたのそばに」

「では、いてくれないか。ぼくも、きみに長くいてほしい。できればこの先もずっと」

「その言葉は、マイラが欲しかったのではないかしら」

「うん、そうだろうね」

「知ってたの」

スノウは少し考えてから肯いた。

「マイラには感謝しているよ。彼女には良いところがたくさんあるし、大切な友だ。でもそれは」

「それは」

スノウは、また少し考え込んだ。

「マイラは、この集落のなかでは欠けたところが一番少なくて、そのことが自慢なんだよ」

「そんなこと自慢するかしら。マイラは善人だし、こころのやさしいひとよ」

「欠けたところが少ないから自信があるのさ、だから他者にやさしい」

ミニョンは口を尖らせた。

「そんなことを言うあなたは、なんだか嫌だな」

スノウは笑ったが、ふいに真剣なまなざしでミニョンをとらえた。

「たとえば、ぼくはきみの、その光を通さない濁った色にとても魅かれる。それはきっと、とてもこわい思いか、つらい思いをしたせいだろう。そうでなければ、きみのようなひとが、こんなところにさまよってきて、ぼくに救いを求めることはなかったろうね。だからぼくにとってその色は、世界で最も美しい。きみをそんなふうにした過去が、たとえどんなものであっても、ぼくは受け入れることができるし、それはつまり、きみを愛してるってことなんだ」

心のこもった愛の告白だったが、ミニョンは少し変な顏をした。

(わたしは抜群の透明度を誇る赤の戦士だった。ジールは透明なわたしを愛してくれた。いまはこんなでも、また透き通るときがくるかもしれない)

そう言ってみたくなったが言わなかった。

戦士に選ばれたのに、戦場を逃げ出したことをスノウに知られたくなかったからだ。

強き戦士には弱きを守る義務がある。ミニョンは義務を放棄したのだ。忘れていた罪悪感に胸が詰まった。

まだ出会ったばかりだったが、ミニョンもスノウを愛していた。そして、スノウのどこを愛しているのかと考えたら、やはり「そのとても欠けたところ」だと思うのだった。そのことがミニョンを混乱させた。

(だけどジールを愛していたわ、わたしたちに欠けたところなど、どこにもなかった)

ジールを思うと、また深い憂いに心が曇る。

そんなミニョンをスノウも苦笑してみつめる。心のどこかが痛痒いような顔をしているが、その瞳には愛が溢れているのだった。

それからしばらくして、近所でミニョンの悪い噂が囁かれるようになった。

ミニョンは敵前逃亡の赤の戦士で身の内に黒を飼っているから光を通さない。ミニョンに近付くと黒に汚染される、というものだった。

もともと近隣住民とのつきあいはなかった。突如フラリと現れたミニョンは、うさんくさいと思われていたからだ。

しかし買い物に出かけると、遠巻きに悪意の目を向けられ、店では物を売ってもらえず、不快な思いをすることになった。

それでもミニョンは黙っていた。

おそらく噂の出どころはマイラだろうと予想がついたし、敵前逃亡と言われれば、まったく根も葉もないとも言い切れなかった。

ミニョンは心配だった。ミニョンのせいでスノウがひどい目にあわされやしないかと。

スノウは「気にしなくていい」と言ったがミニョンは耐えがたくなった。

「ほんとうのことなの」

「どうしたの、なにを泣いてるの」

ついにひとりで抱えきれなくなり、告白せずにはいられなかった。

「わたしは赤の戦士だった。初陣の日に大切な、ともだちが死んだの。恐ろしかった、あんな恐ろしい死に方をするんだと思ったら、もう戦えない。それで逃げてきたの」

嗚咽まじりの途切れ途切れの告白を、とても長い時間をかけてスノウは聞いた。

やがてスノウはミニョンの肩を抱き、やさしく言ってきかせた。

「いいかい、ミニョン。たとえ世界中がきみを責めても、ぼくだけは責めない。きみは恐くて辛い思いをしたのに、とてもよく頑張った。きみは何も悪くない。ほんとうは、だれにもきみを責めることなんて出来ないんだよ」

寄せては返す波のように、静かに、そしていつまでも、繰り返し、そう言って聞かせるのだった。


マイラが寄り付かなくなり、かわりにスノウの友人たちが頻繁に差し入れしてくれるようになった。

その友人というのが揃って変わり者だった。

ひとりはカンツという小柄な者で、噂を聞きつけてやってくると、いきなり飛びつかんばかりになり、早口に言った。

「おいミニョン、きみは黒を飼ってるそうだな、見せてくれよ」

カンツは血気盛んで、黒との戦いに参加したがっていた。

「カンツは黒が恐くないの」

「恐いさ!けど、わけもわからずやられるほうがもっと恐い。おのれの命が懸かってるってのに、なんでコソコソ隠れてなきゃならないんだ。おれなら勇敢に戦って死にたい。たとえ負けても玉砕する覚悟だ」

鼻息荒く意気込みを語るのだが、実際に玉砕したジールを目の当たりにしたミニョンは複雑な思いだった。

「おれは確かに欠けてるが、心まで欠けちゃいないのさ。政府のやつらは、そこがわかっちゃいない」

この調子で集落の皆にも、一緒に戦おうと説くのだが、誰にも相手にされていなかった。

「この集落も安全とは言いきれないよ。黒はどこからでも侵入する。もし、そうなったら、おそらく救援は来ないだろう。封鎖され見捨てられる。ここはそういう所だよ。そのとき、カンツがいてくれたら、どんなに心強いか。どうかここに留まってくれないか、無理にとは言わないが」

本気かどうかわからないが、スノウにそんなふうに説得されて、ようやくおとなしく帰っていくのだった。


もうひとりは天文学に没頭するサージだ。体長がとても長くて、ミニョンとは挨拶以外の言葉を交わそうとはしなかった。

くぐもった声で「やあ」とか「ああ」しか言わないが、いつも食料を二人分ちゃんと届けてくれるし、家の壊れたところを修繕してくれる。

スノウと膝をつきあわせて、熱心になにか語っていくのだが、会話というより一方的になにか説明しているようだった。

スノウは真剣な面持ちで時々肯いたりしながら静かに聞いている。それは、それほど長い時間ではなく、サージは、ほどなく帰っていく。

「彼は天才なんだよ」

「サージは何を話しているの」

「じつはよくわからない」

「え、わからないの」

「とても専門的な、超自然の話をしてくれる。たとえば、我々が進化する理由」

「なぜ進化するの」

ミニョンの食い入るような質問にスノウは苦笑した。

「宇宙へいくため」

「ええ、宇宙ですって」

「すべての生物は宇宙へいくために進化をつづける、そのために殺しあう」

「びっ、くりだわ」

あっけにとられたミニョンを見て、スノウは茶目っ気たっぷりに笑う。

「でもぼくは、あながち間違いでもないと思うんだ。ぼくらはみんな個として生きて死んでいく。けれども、命の理由はそれだけだろうか。もっと大きな、この惑星に生きるものすべてに共通の目的があって、それは宇宙へ行く、みたいに途方もないことだとしたら、ロマンがあると思わないか」

ミニョンにはピンとこない話だった。宇宙には、おいしい水も果実もなさそうだからだ。

「宇宙って、なにがあるのかしらね」

「おお、それは無限の可能性があるのさ」

スノウはロマンを感じているようだが、そんな理由で生きたり死んだりはできないとミニョンは思った。

「可能性」などというもののためにジールは死んだのかと思うと、言葉では言い表せないほど胸が痛む。

ミニョンの顔色が曇ったことを、スノウは敏感に覚って覗き込む。

「どうかした」

「なんでもない、ちょっとおなかすいちゃったな」

慌ててミニョンは微笑み、話をそらす。

自由に動き回ることのできないスノウにとって、遠く心を飛ばせる宇宙の話は生きる希望なのだと、ミニョンは気付いていたからだ。

スノウとミニョンは互いを深く思いあっていた。


それから数年、穏やかに時が流れ、ふたりのあいだに結晶が生まれた。

それは文字通りの結晶で、目覚めるまでまだ数年を要する、ちいさく、かよわい存在だ。きれいな水に浸した石のベッドに着床させ、水草や小魚などでにぎやかに飾って目覚めを待った。

ふたりはとても幸せで、互いへの思いを強くした。


幸せが壊れたのは突然のことだ。

集落の近くが戦場になり、住民は皆、じっと息を潜めて合戦の終わりを待っていた。だが、ほんのひとかけら、わずかな黒が集落に落ちてきたのだ。

逃げることもままならない欠けた者たちの集落で、ひとたびそれがおこれば、ひとたまりもない。

黒は、まず動けない者にとりついた。住民は逃げ惑い、たいへんな騒ぎとなった。

ひとりカンツが飛び出していき、黒を掴んで遠くへ離れようとしたが、力及ばず、かえって黒の温床となった。カンツは最後まで勇敢だったが、勇気だけではどうしようもなかったのだ。

救援は来ないとスノウは言ったが、救援の戦士は来た。だが、あまりに数が少なく、間に合わなかった。彼らは断腸の思いで救出作業を諦め、集落を封鎖しはじめた。

ミニョンとスノウは家にいて、ふたりの結晶を守るように抱き合い、この災厄が過ぎ去るのを待っていた。そこへサージがやってきて状況を説明し、事ここに至っては、このまま死を待つより他はないと告げた。

ミニョンは立ち上がった。

「いかないでくれ」

すがりつくようにスノウが言った。ミニョンはそれへ微笑みかけてから、もうふりかえらずに駆けだしていった。

ミニョンは走った。なすすべもなく黒に蹂躙される住民の阿鼻叫喚のさなかへと。みずから喰らって武器にした黒の兵器を両手にかざし、獅子奮迅の働きで次から次へと黒を屠った。

戦いの歌が聞こえてくる。弱々しく、嗚咽に混じって、縋るように、祈るように。

スノウも歌っている。遠く離れてしまったが、スノウの歌う声が確かに聞こえた。それは覚悟を決めた強い祈りの歌だった。

ミニョンは微笑む。

ついに大群に覆われ、いつかのジールのように黒い塊に閉ざされても、なお勝利を確信していた。


(あなたもこんな気持ちだったの)


ずっとジールに対して罪悪感を持っていた。けれど、そんな必要はなかったのだと、唐突にミニョンは思い至った。


(ジール、あなたの守ったこの世界を、わたしも守るわ)


黒い殻を突き破り、透き通るような赤い宝石の花が華々しく散っていった。


『赤い宝石の花』おわり

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