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アジサイ

私は好きな花を聞かれたら「すずらん」と答える。
あのかわいらしい見た目で毒を持つこととか、そんな裏表の激しい花なのに「純粋」なんて花言葉を持っているあたりとか、なんかちょっとクセのあるかわいらしさが好きなのだ。

私は縁の深い花を聞かれたら「アジサイ」と答える。
生まれた季節の花であり、
はじめて展示会で頂いて飾った差し入れの花であり、
育った地域のシンボルである花だ。

幼稚園から小学校へ上がるくらいの頃、軍手のサイズを確認する為に手にはめられた。
「あ、彩乃の手すこし大きくなってるね」
軍手は幼稚園の行事で芋掘りの時につけたので、横にある朱色のスコップとセットで見覚えがあった。
新しい少し大きな軍手を渡されながら「ショクジュ」にいくのだと、どことなく険しい顔の父と楽しそうな母が話しているのを聞いた。
父はもっぱらインドアな性質なので、軍手と父の顔を見比べながらどうやら今日は父と自然の多い場所へいくのだとわかった。当時の私は新しい経験が何よりの大好物だったので、それだけでワクワクしていた。
行き先を尋ねると近所の公園のようだった。
どうやら「アジサイ」をショクジュするらしい。

近所の公園はとても広くて、芝生公園と遊具のある側と、歩道橋を渡った先の日時計広場と大きな池、道路に囲まれた小さな遊具広場がある側とに分かれている。
この日はいつも行く芝生公園の方ではなく、遊具広場へと連れられていった。
道路に囲まれていて危ないからとあんまり行かせてもらえなかった場所。
ショクジュとやらはさぞ素晴らしい体験になることだろうとワクワクしていた。

広場に数十人くらいが集まってきた頃に案内を受け、いつもは立ち入り禁止になっている大きな池のある方へとおりていった。
立ち入り禁止の秘密の通路には歩道のような小道が続いて、その脇にある囲いの中には柔らそうな土が盛られその土のほとんどには穴の空いたブルーシートがかけられていた。
その景色に私は少しがっかりとした。
楽しみにしていたアジサイなんてどこにも見当たらず、何か目新しそうなものもその景色の中にはなかった。

集まっていた数十人は順番に小道に整列されていって1人につきひとつ苗木を手渡され、全員が苗木を手にしたあと説明が始まった。その内容によると配られた苗木を植えることをショクジュというらしい。
私は指示にしたがって苗木を植えた。芋掘りのように終わったあと食事が振舞われることもなくすぐに家に帰された。
なんだか肩透かしをくったような気持ちになりながら帰宅したが、母がすごいすごいと褒めてくれたので私はなんとなく確かに特別な経験をしたらしいことに満足した。

そんなショクジュ体験など忘れた頃。
我が家には犬が来ていた。
その犬はひとりっ子の私にとって待望の兄弟であった。
母と一緒にその犬の散歩へ出たある日、いつもは行かない方の遊具広場へ行こうと提案をされた。道路に囲まれたその広場は犬が飛び出すと危ないからと散歩では行かないように言われている場所だった。
犬も私も遊び足りなかったので、喜んでその珍しい提案に乗った。
歩道橋を渡り大きな池の脇を抜けると、遊具公園へ登る小道の両脇に小さなアジサイたちが咲き誇っていた。
「彩乃が植樹したのはこのへんだったよね」
そのとき、当時の私が確かに特別な経験をしていたことを知った。小道を公園側へ曲がった場所。
私が植樹したその場所には、小さくも色鮮やかなアジサイが瑞々しく誇らしげに咲いていた。
参加したのは第1回目の植樹会だったそうだ。私たちがこの素晴らしい景色を作ったらしい。
一番に自慢してやりたいと思った足元にいる相棒はこの花を植えたときにはまだ生まれていなかった。
母と相棒と一緒に歩いたその道のまだまばらに咲くアジサイは、私の目にはとても誇らしく、それでいて感慨深くうつっていた。

今。
私の相棒は数年前に寿命を迎え、
その公園のアジサイ花園は6000株を誇る地域のシンボルになっている。

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