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 「サラリーマンの武装」の、はなし。#36

今年度に入って、異動が決まった。

昨年度末に体調を崩してしまい、復帰後の面談で、このタイミングで環境を変えてみるのはどうか?と上司から提案してもらったのだ。

わたしにとっては、久しぶりの異動になる。そしてこれを機に、ほんとうに、いろんなことを考えた。

最近、仕事にたいしてのモチベーションが希薄になってしまっている実感があった。
これまでの社会人生活では、周りの人より遥かに多くの時間を仕事に割いてきた自負がある。けれど、あんなに時間を使ってきたくせに、じぶんのスキルには一向に自信を持てないし、同世代はもっと次元の高いところで活躍をしているようにさえ感じる。そのうえ、情けない自己管理不足でダウンしてしまう始末だ。
わたしはほんとうに、これからも同じように働いていけるだろうか?
逆に、今までどうやってここまで働いてこられたのだろうか…?

グルグルとモヤモヤと、ほんとうに、いろんなことを考えた。

ひとりでは抱えきれず、自己分析を手伝ってもらうワークショップにも参加した。
就活生以来の「自己分析」。
わたしはこれまでの人生、どんな時に心が弾んで、どんな時に自信を勝ち取ってきたのか。その一つ一つのエピソードを、物心ついた幼稚園生の頃から徹底的に書き出すワークをした。

そこで得た自己分析も参考に、これからの人生でなりたいと思うじぶん像と、そのために今、優先して何をするべきか、それを継続していくためには一体何が必要なのか。その解像度を、長い時間をかけてほんの少しずつ高めていった。

じぶん像の結論は、わたしの中に留めておければと思うが、今回はその中でも、「仕事」との向き合い方について、わたしなりにとことん考え抜いたことを書き残しておこうと思う。

生きていれば、仕事と向き合う時間は必然的に長くなるし、仕事は他者なしには成立し得ない。ならば、常に他者との関係は良好に、ゴキゲンに前向きに取り組めるようにしたい。

仕事で一度ダウンしてしまった経験・反省をふまえて、どうしたら日々の仕事を前向きに取り組めるのか?どうしたら自分のキャリアに自信を持てるのか?
日常の些細な意識の変化でしかないが、今後の社会人生活を前向きに生きていくための武装方法を、わたしなりの4つの視点で考えてみた。


ポートフォリオはわたしの戦闘記録。

あんなに時間を割いて、毎日のように深夜残業をした(させられた)日々だったのに、どうしてこんなにも、手元に資産が残っている感じがしないのだろうか。

4月のある日、そのモヤモヤを抱えながら、わたしは新年度のキックオフ局会に参加した。部よりも大きな単位での社内ミーティングで、会のメインは、あたらしく管理職についた上長の自己紹介。

パワーポイントで作られた自己紹介シートと共に、各々が苦難の歴史を語る。どんな修羅場をくぐり抜けてきたのか、不遇の時代にはなにをモチベーションに生きてきたのか。どんなネガティブな話も、自分を語るエピソードとして面白おかしく紹介されていた。
嬉々として話す上長たちを見ると、この人たちはほんとうに、今の仕事が好きでたまらないんだなと思えた。
営業職にいると、「自分の仕事」を語る機会はほとんどない。しかし上長たちが話すように、すべての案件において、営業という現場のど真ん中にいたからこそ語れるエピソードは、ごまんとある。

そうか、クリエイティブのような作品を残す人間じゃなくたって、営業ならではのポートフォリオがあってもいいんじゃないか。どんなプロジェクトを任されて、どんなアウトプットを世に放ってきたのか。そしてその時、どんな交渉が求められて、どんな苦難を乗り越えてきたのか。その経験こそが、わたしを語るにふさわしいものになるのではないか。

すぐさま、わたしはわたしのポートフォリオを、これまでの仕事の記録をまとめる形でつくってみた。社会人1年目の右も左もわからずパニックになりながら進めた仕事も、先輩たちを見返すために必死になって勝ち取ったコンペの仕事も。余すことなく振り返ってみた。
そんな風に仕事の棚卸しをするのは転職のとき以来だったし、そのときも、ここまで網羅的には掘り返していなかった。

書き連ねていけば、ほんとうに多くの仕事があり、ほんとうに多くの挫折と成功があった。

資産が残らないと嘆いていても、これはぜんぶがぜんぶ、わたしが積み上げてきたものなのだと、その歴史をたどりながら胸が熱くなった。この仕事に意味があるのか?と半狂乱しながらも、折れずに戦い続けてきた20代があったからこそ、積み上がった記録なのだ。

キャリアに自信が持てないと思っていたし、確かに、同世代と比べてしまえば恵まれた経験値ではないかもしれない。けれど事実として、わたしは長いあいだ、仕事と向き合って戦ってきた。その間に出会った人たち、支えてくれた人たちの顔が、今でもはっきりと浮かんでくる。中には、二度と会えなくなってしまった人もいるけれど、素敵な人との出会いも、確かにわたしが刻んできた記録なのだと、ようやく実感することができた。

「ポートフォリオはわたしの戦闘記録。」

どんな仕事であっても、じぶん軸の記録を書き出して眺めてみれば、過去のじぶんは必ず何かを語りかけてくる。この記録を携えていれば、近い将来また自信を見失ったときにも、わたしを守る武器になってくれるかもしれない。

これからも、わたしなりのペースで更新していこうと思う。


いまから、経験不問の武器を携える。

とはいえ。
それでもやっぱり、自分の経験値だけでは不安になることも多々ある。

あたらしい仕事に触れるたび、じぶんの年次も相まって、「それやったことないの?」と言われる恐怖は常に隣り合わせ。かつ、若手社員ならまだしも、「わかりません。教えてください」が年々言いづらくなってくる、という難点もある。
 
しかし、これはもう、しょうがない。
 
だって、「やったことない」を「やったことある」に矯正するのは不可能なのだから。
 
むしろ、できないことを素直に受け入れて、1日でも早くじぶんの血肉していくのが、スマートな中堅社員の力の見せどころなのではないだろうか。そう、開き直っていこうと思う。
 
では、経験値以外のところで、なにか武器をつくることはできないか?
 
わたしは長らくこれを考えていた。そして考えていたところに、先述したワークショップの、自己分析ワークが活用された。
 
わたしは昔からよく、記憶力がいいと言われていた。
しかし、これは決して脳みその働きが良いということではなく、人が気にしないようなところを見てしまう、という話に過ぎなかった。
(「そんなことよく覚えてるね。記憶力いいね!」の文脈だ。)
 
塾に通っているときもそうだった。そこまで覚えなくていいよ、みたいなところまで、なぜかムキになって勉強していた。気まぐれな完璧主義が、人からは求められないようなところで発揮してしまうのだ。
 
だけど、この“ムキになっている時間“は、わたしにとってまったく苦ではない。近しい話で、黙々と資料の体裁にこだわっている時間も、ハタからみれば無駄なのだろうが、わたしは最後の数mmまでこだわってから提出したい。考えがまとまってから資料を美化していく時間は、じぶんの想いがどんどん滲んでいくような感覚があって、夢中になってやめられないのだ。
 
効率化をめざすなら真っ先に省かれるべき作業。最近は特に、この意識を持つことを強く求められていた。でも、そんな無駄な時間がじつは、わたしにとっては仕事をじぶんゴト化して、愛着を持つために必要な時間だったのだ。
効率だけでは測れない価値。
これは評価とは直結しないからこそ、じぶんのためにやっていることなのだと自覚を持って、やるべきことと並行しながら、大切に捻出しなければならない時間だったのかもしれない。
 
そんな思考が見えたところで、わたしは、こんな武器が作れないかと考えた。
 
「クライアントの外部情報に、だれよりも詳しい人間である。」
 
つまり、だれもが「仕事には関係ないから覚える必要はない」と思ったところまで、しつこく追いかける。クライアント企業が発信したことのすべてを、いちいち追いかけ続ける完璧主義者。わたしの性格上、これは苦痛を伴わずにやり切れる類のものだとわかっている。きっと、発信された情報をまとめていく作業は、クライアントに愛着を持つための時間になり得るだろうし、なにより営業にとっては、引き出しを増やす良い武器になるのではないだろうか。
 
経験値がないならいっそのこと、
「いまから、経験不問の武器を携える。」
 
まだ始めたばかりの未完成な武器だし、戦闘力は未知数だが、
わたしの歪んだ完璧主義は、そんな形で発揮させてみようと思う。
 
もちろん、効率的に役割を果たした、そのあとで。
 

営業仕事は、究極の翻訳作業。

本業のモチベーションが希薄になってしまったとき、将来は「書く」仕事がしたいと漠然と考えるようになった。

けれど、漠然と思っただけでは当然、プロを目指す方々の気概には負けてしまうし、かといって、今の広告仕事を突き詰める未来も、あまり想像ができない。「書く」も広告も、どっちもどっちつかずのモヤモヤ期。

ここで、どっちか一本でやってやる!と宣言ができればカッコイイし、実際、「書く」に振り切るときなのでは?と思う瞬間もあった。
けれど、この停滞した気持ちのままで、10年以上も頑張ってきた仕事を手放すことに、途方もない違和感を感じてしまった。逃げるのはよくない、とかそんなわかりやすい話ではなく、じぶんが積み上げてきたものすら否定する、奥深いところを逆撫でるような、得体の知れない違和感。

だから今はしっかりと、目の前にあるじぶんの仕事に精一杯取り組めること、ゴキゲンに働けることを優先して、その生活のなかで「書く」を続けていくことにした。中途半端と言われればそれまでだが、今のタイミングでは、この両輪をしっかり持って生きていくことが、わたしなりの答えなのだと思った。

次にわたしは、「書く」と日常の業務は、どうしたらリンクさせられるだろうかを考えた。「書く」を志す気持ちは変わらないのだから、いまの仕事の中で、その筋肉を養うことはできないか。
毎日メールを「書いて」仕事を回すのだから、究極それに尽きるとも言えるが、もっと納得感のもてる繋がりを見出すことは、できないだろうか。

それは、ライティングゼミでの学びがヒントを与えてくれた。
すなわち、「書く」ことは、「翻訳作業」であるということだ。
あなたに伝えることを目的に、あなたの立場を慮って、あなたにフィットする言葉を選んで、文章を練り上げていく。
そのまま投げては誤解を生んでしまう恐れすらある言葉を、わたしが介在することによって、気持ちよく伝わるようになる。
これができる人って、もうそのまま、わたしが理想とする「一緒に仕事をして気持ちがいい人」ではなかったか。

わたしは仕事で心が折れてしまったとき、こんな思考に支配されていた。

「資料が綺麗と言われるのはありがたいが、だれにでもできる資料化の作業ばかりが回ってくる。こんな仕事を続けていて、果たしてじぶんの身になっているのだろうか」

意味を見出せないまま資料づくりの作業が延々と続いて、じぶんの時間がどんどん削られていくことに、当時は恐怖すら感じていたのだ。

今だって、資料化のタスクは日々積み重なる。でも、そんなときに腐ってしまうのではなく、これからは「書く」を志す人間として、「その資料は、“究極の翻訳”ができているか」を突き詰めればいいのではないか。

内容が決まっているから、だれにだってできる作業。でも、わたしが介在することによって、気持ちよく伝わる。
その繰り返しが信頼感を生む、という保証はないかもしれないが、少なくとも、この積み重ねはまちがいなく、わたしのモチベーションになるはずだ。
外部情報に詳しくなるのと同じく、効率や評価云々よりも大事にしたい、わたしなりの指標。

「営業仕事は、究極の翻訳作業。」

“翻訳じょうずな営業さん”を密かにめざして、今のフィールドで全力投球する。

そしていつかは、やっぱり「書く」側の人間になりたいと思う。現業でやり切ったと胸を張って、思い切り羽ばたけるように、心も脚力も、しっかり準備をしておこう。

サラリーマンにも、舞台衣装を。

これまで、よくも悪くも仕事とプライベートが地続きの生活をしていた。

テレワークが認められるようになってからというもの、自己完結する作業に関しては、業務時間外で対応することも当たり前の暮らしだった。よく言えば、じぶんのペースで気負わずに仕事ができていたわけなのだが、公私を切り替えせずにずっとおなじ心持ちでいるということは、仕事でなにか不安に感じることがあれば、それを休日にも引きずってしまうという、負の連動も当然起こり得る。

仕事を忘れて休日を満喫する心の余裕がない。
余裕がないから、焦ったままの気持ちが休まらない。
気持ちが休まらないから、平日に全力投球ができない。

仕事も”わたしの時間”と捉えて生きることは、一見素敵なことのような耳触りの良い言葉に聞こえるが、これこそが心理的負荷がかかりやすい状態を生み出しているのではないか?という考えに至った。

その対策の一つとして、これはサラリーマンならではの発想だと思うが、わたしは改めて、”仕事用の服”をきちんと揃えてみることにした。
そんなこと?と自分でも思うが、今のところ、この服装術はなかなか良い作用が働いていると感じている。

わたしの会社では服装はかなり自由なので、いままで“公私”の意識をしたことはほとんどなかった。自分が好きなカジュアルめの服を好んで買って、足元はとにかくラクでいられるスニーカーを毎日愛用していた。

働くときも、飲むときも、映画を観るときも同じシャツ。
わたしらしいといえば聞こえはいいが、地続きのわたしらしさが、平日と休日の境を無くす一因になってしまっているのではないか。

意識変革するには、まず形から。そして、おしゃれは足元から。

というわけで、これまで極力避けていたヒールのついたパンプスを、じぶんなりに奮発して買うところからはじめてみた。

久しぶりの革製の履き物。数センチの差でも視線が高くなると、スッと気持ちが引き締まって、背筋が伸びる。プライベートにはない正しい姿勢を保つことで、ちがう空気を纏えるような気持ちになる。
そしてヒールの靴を履いたからには、当然それに合う服装を整えなければならない。次にわたしは、いわゆる女子アナっぽい格好を心掛けて洋服選びを始めてみた。

“清らかな公”を体現する女性アナウンサーの衣装は、意識を向けて見てみれば、万人受けする落ち着いた色使いで清潔感もある。そして、わたしのクローゼットには存在しないタイプの素材が多かった。そんな学びを得ながら、自分と年齢の近い女性アナウンサーが番組で着用しているブランドを参考に、いくつかコーディネートを買い揃えてみた。

営業職として、表舞台に立つための衣装。それを身に纏って出社してみる。
“公”の自分を引き立たせる武装は、なんだか気分がよかった。

もちろん、これは日が経って慣れてしまえば、こんどは違う課題に直面するのかもしれない。でも、心の向きを変えるファッションのチカラを、この年齢・このタイミングで再認識できたことは、サラリーマンとして日々を送るわたしのお守りのようだと思った。

「休みの日だとちょっと気恥ずかしいからね。あれを着るのが平日の楽しみでもあるんだ。」
そんな心持ちで、サラリーマンの舞台衣装を味方に、日々をあかるく過ごせますように。

*フリーランスの方がどのようにこの課題と向き合っているのか?はたまた、そもそも課題として感じるものではないのか?ぜひお聞きしてみたい。


過去最高の長さになってしまったけれど、
以上、わたしなりに心を前向きにさせるための、考えに考え抜いた4つの武装論でした⭐︎
 
きちんと書き残せて、よかった。


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