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依存症について考える

前回はまんしゅうきつこさんのサウナ漫画をきっかけに水風呂を体験した話を書いたが、今回はまんしゅうさんによるアル中体験記をきっかけに依存症について考えていきたいと思う。

まず、アル中ワンダーランドという作品について紹介したい。

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普通の主婦だったまんしゅうさんはブログを始めたことをきっかけに漫画家として第二の人生を歩み始めたものの、ブログのネタ探しや家事との両立に苦しみお酒に逃げたことからアルコール依存症との戦いが始まる……というエッセイ漫画(各話の間にコラムつき)である。

作中でまんしゅうさんは酒で酔って記憶を失くしている間に家事を完璧にこなし、ブログのネタをメモできたことで完全に味をしめてしまう。

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依存症と名前のつくものは、この『始めは上手くいく』というのがかなり厄介である。
パチンコ、ニコチン、薬物、カフェイン、ダイエット……。
一度それをやって上手くいったから次もそれをしないとダメになってしまうのではないかという強迫観念が依存症の怖いところである。

私はその昔ヒモを家に住まわせていた。
看護師になって二年目の一番辛かった時期に「私生活が最悪になれば仕事が楽しくなるんじゃないか」と思ったのである。
ヒモは高校を2週間で中退し、そこから6年間引きこもり、芸人になる為養成所に通い始めるも芽が出ず、そこからずっとニートという30歳の男であった。
今まで期限内に提出物を出したことがないという彼はことごとく私との約束を破り続けた。
バイトを決めると約束した日まで面接の電話も出来ておらず、家に入れると言っていたお金も結局本人からは1円も支払われなかった。
しかし、私の生活は好転していた。
仕事が楽しくてしょうがなかったのである。

ヒモより圧倒的に話が通じる同僚や患者さんに囲まれて「普通の人と会話するのって本当に楽しいな」と元々人が好きだったことを思い出し、ヒモが私の作ったご飯を神さまからの贈り物のようにありがたがって頬張る姿は癒されるものがあった。
失意のどん底に居た私にとって『必要とされている』と感じることは死なないことの次に大切なことだった。
金食い虫でド畜生のヒモとの生活だったが、こいつを追い出して再び家の中に一人になった時、私はどうなってしまうのか怖くて仕方がなかった。

アル中ワンダーランドの中ではまんしゅうさんは底つき体験がなかったと言っているが、私はヒモに怪我と借金を負わせられたことが大きかった。
カラオケボックスで逆上したヒモがドアガラスを二枚ブチ破り、ガラス代の10万円を私が弁償したのと同時に以前から殴る蹴るなどの暴行があったことも含めてヒモの両親に責任を取ってもらおうと借用書に書かせていた住所をもとに実家に乗り込み、お金は耳を揃えて返してもらった。

人は『懲りる』ということがとても重要で、神さまが人間を作った時この感情をプログラミングしていたのはマジですごいと思う。
私はこの一件から本気でダメ男レーダーが感知するようになり、庇護欲以上に関わりたくないと思えるようになった。
こうして私のヒモ依存(もしくはヒモとの共依存)は断たれたのである。

一方で私が懲りていないが故に未だに続いてしまっている依存症がもう一つある。
セックス依存症である。
精神医療の分野ではセックス依存症は性交渉に限らず、アダルトコンテンツや卑猥な妄想、自慰も含まれるという。
私は家の中ではちんこ、おしり、うんぴーちゃん、アクメエクスカリバー、マンコ THE CAN CREW(まんこざかんくるー)などと毎日言ってしまうし男性向けのアダルトサイトの巡回も欠かさず行ってしまう脳みそバカマンコ女なのだ。
完全に依存症の域である。

正直、これは血(DNA)の問題もあると考えている。
うちの両親は性に関して割とオープンで幼い頃から父は私の前で母の尻を揉んでいたし、トイレにはヤングマガジンが置いてあり工業哀歌バレーボーイズが読み放題であった。
加えて父は性欲の化物であり、私が初めてアダルトグッズを知ったのは父の部屋に会ったショッキングピンクのディルドであったし、私が高校生の頃に父が不倫相手と撮ったハメ撮りを素人投稿していることを母から暴露されたこともあった。
(詳しいことはエッセイ本に書いています)

そんな過去があるにも関わらず、私は性に関わるユーモアや文化、そして純粋に性に対する興味が抑えられない。
今のところ人様に迷惑がかからなくて健康であればそのままでもいいのかなと思う。
私が性に狂って不倫に走るようなことがあればマンコを縫ってしのぐつもりだ。
マンコを縫うのはきっと痛いし不衛生だから多分めちゃくちゃ懲りると思う。
そうなったらそれが性依存への底つき体験になるだろう。
結局依存症も宗教も人に迷惑をかけなくて自分が幸せならそれでいいのだ。

アルコールを断ったまんしゅうさんは今、サウナにハマっている。
それこそ依存症ではないかというほどに通っているらしい。
しかしお肌はピカピカ、気分転換にもなって心身ともに健康そのもの。
何事もやればやるほど良いということはないが、新しく何かに夢中になれるなら、依存症の先にある未来もそう暗くはないのかもしれない。
2019年、私が夢中になれる何かを探しに行く旅が始まる。

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