こんなもんじゃない

確かに本当に見えたものが
一般論にすり替えられる
確かに輝いて見えたものが
ただのキレイゴトに変わる
こんなもんじゃない
こんなもんじゃない
こんなもんじゃない
こんなもんじゃない
こんなもんじゃない
こんなもんじゃない
こんなもんじゃない

真島昌利 こんなもんじゃない

ブルーハーツの頃のマーシーのソロ曲で「RAW LIFE」というアルバムの中に入っている。
このフレーズがずっと自分の中に残っている。どういうことなのだろう?と。
「自由」「表現」「伝える」といったことに対してもがいているような印象を受ける。

私はnoteを書いて、まだ半年そこそこだが。
日々の生活で「体験」「鑑賞」「対話」をしてきた中で生まれた「感情」や「感覚」を伝えようと試みると、どこか安易で「わかりやすいもの」に定着してしまう。

人との会話でも、どこか「妥協」した部分でわかりあえた気になっている。ある程度のところで妥協しないと疲れてしまって「もたない」とも思う。

自分のnoteの記事を読み返したとき、文章力の無さ、読みにくさにガッカリしたことがある。
そして、わかりやすさ、シンプルさを意識するようになったが。それはそれで、何か取りこぼしていないか?と思う。

まだ、自分の中で書き方が定まらない。
表現力が足りない。

まず、読みたくなる文章か?
読みにくい、伝わらない、自己満足?
また、共感されたいが為の偽りはないか?
内省する。
人に気を使えず不快にさせるのも違う。
いや「不快」と「快楽」は表裏一体か?
いや、公で表現すべきではないものもある。

おい!そんな息が詰まったもの誰が読みたい?
それに、嘘をつけ!私は普段もっと適当だ。

もっと自由で楽で簡単なことでも良い気がするし。
今日みたいな自問自答もある。
いろいろ試そう。小さいパンチを繰り出し続けよう。
同じテーマで何回チャレンジしたって良いわけだし。



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