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『息子のボーイフレンド』書評|許せないこと許し、書けないことを書く(評者:町田康)

描かれる小説のジャンルも世界観も、本書のそれとは違うかもしれませんが、著者・秋吉理香子さんも担当編集も、実は町田さんの大ファンなのです。ということで、以前にU-NEXTに寄稿してくださった町田康さんに、編集担当が思い切って書評の依頼をしました。ユーモアたっぷりあるものの、シリアスな『息子のボーイフレンド』を町田さんは、どのように受け取られたのでしょうか。


許せないこと許し、書けないことを書く

とても重要な事をこの小説に読んだように思う。自分はそのことをわかっているつもりだったし、わかっていないとすれば、弁えているつもりだった。だけれども、この本を読んで自分がなにもわかっておらず、また弁えてもいなかった、という事がわかった。

では自分は一体なにをわかっていなかったのか。その事とはなになのか。

それこそが、この本の中に、おもしろく、たのしく、書かれていることで、それを一言で言い表すことは難しいのだが、それを無理矢理に一言で言えば、人間のすべて、である。

というと漠然としすぎて伝わらないのだけれども、そうとしか言いようのないことが、この話の中にはあって、その漠然としていることを感覚的にわかるように書かれてあることが、この作品の素晴らしく、また恐ろしいところであるのである。

のだけれども、いまこれを書いている以上、それを説明しなければ評者としての義務を果たしたことにならないので、またぞろ無理矢理に書くと、例えば私たちは、訳もなく不幸な目に遭っている人を見た場合、これに心の底から同情し、できる範囲で力になりたい、と思う。

この場合、しかし問題となってくるのは、その「できる範囲で」という部分で、私たちの善意には限界がある。どういうことかというと、自分の家庭や生活を崩壊させてまで、他人のために尽くす、ということはこれは絶対にできない。まず、自分の安定、自分の安穏な暮らしがあって、そのうえで、それを脅かさない程度の善意に限ってこれを施すことができるのである。

というのは、しかしあくまでも喩えればの話であって、ここで描かれているのは、もっとおそろしい、私たちの生の根源、自分の存在そのものを脅かす不定形の、だが私たちのなかに確実にある衝動とそれをめぐる感情の働き、またそれによって救われると同時に傷つく、傷つくと同時に救われる、というきわめて複雑な、大阪弁に謂う、「ややこしい」部分、その限界ギリギリのところで、愛と勇気、と、どうしようもない自己都合、が鬩ぎ合い、縺れるようにして誰もが涙を禁じ得ない結末に至る、なまなましい成り行きである。

読んでいる間、自分はこの人たちがどうなるのか心配でならなかったし、読み終わった今は、最初に書いたようにとても大事なことをこの小説に読んだと思っている。

だけど右に書いたようにそれは不定形で、つかんでもつかんでもつかみきれない。だから自分はこの小説を今後、何度も読み返すことになるのだろうと思っている。


町田康(まちだ・こう)
1962年大阪府生まれ。作家。1997年『くっすん大黒』で野間文芸新人賞、Bunkamuraドゥマゴ文学賞、2000年「きれぎれ」で芥川賞、'01年『土間の四十八滝』で萩原朔太郎賞、'02年『権現の踊り子』で川端康成文学賞、'05年『告白』で谷崎潤一郎賞、'08年『宿屋めぐり』で野間文芸賞を受賞。近著『ギケイキ』『湖畔の愛』『猫のエルは』『東山道エンジェル紀行』ほか著書多数。音楽活動も積極的に行っている。


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