見出し画像

「記憶」と「忘却」の物語 ──『みんな知ってる、みんな知らない』 チョン・ミジン インタビュー

1995年6月4日、1人は誘拐、1人は親の失踪という形で、2人の少女が長い時間軟禁される被害に遭う。それから20年後、忘れたはずの記憶を徐々に取り戻した2人の行方は──。
「人間は記憶で生きる生き物」だと語る作者のチョン・ミジンさん。同作では主人公たちの孤独の苦しみと再生への過程を描きながら、記憶すること、忘却することの意味を問いている。


チョン・ミジン
1983年生まれ。韓国の慶北大学校で国語国文学を専攻。卒業後、アニメーションや映画の脚本家として頭角を現した。子ども向け絵本作品でキャリアを積んで評価を得て、作品は中国や台湾、フランスで翻訳出版されている。現在はチェコ共和国の首都プラハで、大人向けのミステリーを中心に作家活動に取り組んでいる。『切った爪』『おやすみ、ココ』といった絵本のほか、写真小説『骨』といった作品がある。


日本のミステリー小説の大ファン


──日本での刊行が今作が初めてだそうですが、お話があった際、どう思われましたか?

チョン・ミジン:飛び上がるように喜びました。子どもの頃からミステリー小説がとても好きだったのですが、特に日本のミステリーのファンで、何冊も読んだことがあります。特に道尾秀介さん、恩田陸さん、若い作家では辻村深月さんの小説は、韓国語で出ている作品はほとんど全部読んでいます。その日本で自分のミステリー小説が出版される事が本当にうれしかったし、感慨深かったです。

コロナ禍でなければ出版に合わせて日本に行けたのにと思います。

──版元が動画配信サービスが母体の会社だということについては、何か思われましたか?

チョン・ミジン:動画配信サービスの会社から刊行されると聞いた際は、経験したことないことなので、例えばどういった形で出版するのかなど若干の不安もありました。しかしプラスの面が大きいのではないかと判断しました。というのは、本を読む人は本ばかりを読むし、動画を見る人は動画ばかりを見るものですが、動画配信サービスで本が出版されれば、読者層が広がるのではないかと考えたのです。

世間の忘却によって二度苦しむ被害者

──『みんな知っている、誰も知らない』は人間の「記憶」と「忘却」をテーマにしていますが、このテーマで小説を書こうと思ったのはどうしてですか?

チョン・ミジン:辛い記憶を正面から見つめることでトラウマからも解放されるというストーリーを書いてみたかったのです。

人間は記憶で生きる生き物だと思います。よかった記憶も悪かった記憶も、その記憶が人間の「過去」と「現在」、そして「未来」までも作り上げると思います。

登場人物たちは当初、辛い経験を記憶し続けることをせずに記憶を自ら削除する、つまり忘却します。しかし忘却したからと言って、幸せになれるわけでも、生き続ける力を得るわけではありません。忘却だけでは解決できなかったわけです。

──主人公のヨヌは被害の記憶は忘却するものの、むしろ周囲の記憶に苦しむ描写があります。

チョン・ミジン:現実の世界でも、事件の被害者は被害の記憶だけでなく、事件の真相を身勝手に判断し、噂を流布する周囲の視線にも苦しみます。事件の本質や被害者の治癒や安否よりも、興味本位で事件を見て、被害者の行動や性格を憶測で判断して情報が流れることはよくありますが、それは危険だし、そのような風潮を批判したいと思っていました。

世間は時間が経つと、事件についても被害者についても「忘却」します。時が過ぎることで、噂や憶測について誰も責任を取らず、被害者はそこで再度、傷つくことになります。つまり周囲の「忘却」によっても被害者は二重に苦しむわけです。そういった被害者の苦しみについても書きたいと思っていました。

現実社会の被害者を応援したかった

──主人公の2人が強いられる苦しみが「孤独のなかで耐える」という点で共通していました。

チョン・ミジン:暴力の形式によって、被害者の苦痛の度合いを推し量ることはできませんが、苦痛がいつ終わるかわからないという不安、それほど辛いものはないと思ったのです。主人公たちが苦しみのなかで解放される日をひたすら待つしかない。そういった状況に焦点を合わせてみました。

あとは、主人公が子どもなので苦痛を直接的に表現したくありませんでした。被害者が辛い記憶から克服する話を書きたかったわけで、事件そのものが興味本位の対象になるのを避けようと思いました。なので子どもや女性が暴力をふるわれるなど、残酷な目に遭うシーンは必要でなければ表現しないようにしました。

小説や映画で犯罪事件を扱う際、刺激的に描写するものが多いですよね。それは時として危険なことだと思いました。被害者の経験をストーリーを作るための単なる要素として扱うのは、現実世界の多くの被害者を苦しめる加害行為だとも思います。

この小説は被害者が自ら苦しみから克服する話にしたかったし、犯罪被害者が永遠に苦しみから逃れられない展開、たとえば自死してしまうとか、そういう展開にはせずに新しい人生を歩みだす姿を描きたかったのです。そしてこの小説を通じて、現実社会の多くの被害者を応援したい気持ちもありました。

──エピローグに小説を完成させるまでに10年かかったとあります。

チョン・ミジン:10年間、書き続けていたわけではなく、草案を書いてから完成するまでに時間がかかってしまいました。一旦書いてみて、その数年後に修正して、修正した後の展開が進まず、また数年後に続きを書いたり……。間をあけながら、10年かかりました。特にエンディングが決まらなくて、苦労しました。

時間はかかりましたが、草案を書いた頃と今とでは、私自身も10年分の成長や変化があったと思うのですが、その時間が完成度を高めるのに助けになったとも思います。

記憶3部作として別々に書こうという構想もあったんですけど。

人間の記憶。その記憶によっていかに苦しめられ、そこから克服されてこそ前に進めるというテーマについて、長くかかっても、きちんと書きたいと思っていました。

3年間の海外生活

──執筆活動をしながら、atnoonという出版社を韓国で運営されていますね。

チョン・ミジン:10年ほど映像作家として活動していたのですが、台本はチームで書くことがほとんどなので、自分の個性や意図を思う存分反映させた作品を一人で書きたいと思うようになり、出版社を立ち上げました。2014年のことです。

──実際に運営されてどうですか?

チョン・ミジン:自由に創作できるのが本当に幸せだし、楽しいです。個性や意図をそのまま見せることができますから。atnoonでは主に大人向けの絵本を多く出版しています。大人向けの童話、グラフィックノベル、漫画、がメインで、小説やエッセイなど文字がメインの本も出しています。絵や写真、グラフィックなど視覚的要素が多い本がメインです。


──最近までオランダで1年、チェコのプラハで2年過ごされていたそうですが、生活拠点を外国に移動した理由は?

チョン・ミジン:30代半ばで人生の折り返し地点に立ち、それまでとは違ったことをしたくなったのが理由です。新しい刺激のために外国に住んでみるのもいいかと思い決めました。

オランダはバックパッカーとして旅行した際に住んでみたいと思ったので、最初の滞在国になりました。オランダはデザインのレベルが高い国なので、本を作るのにプラスになるだろうと考えました。

オランダに住んでいる間に、チェコの出版文化が素晴らしいということを知り、行ってみたいと思っていたのですが、チェコは出版社としてビザを受けることができるので決めました。

プラハは観光地としてのイメージが強いのですが、住んでみてわかったのが、住民の文化へのプライドがとても高いということです。本も独創的な小説、絵本がたくさん出版されています。特に絵本が素晴らしいですね。

韓国は「興の民族」

──最近、日本では韓国の女性作家の小説やエッセイなど著作物が人気を集めています。韓国で女性作家が活躍している理由は何だと思いますか?

チョン・ミジン:韓国出版界の現在の大きなテーマがフェミニズムなのです。小説『82年生まれ、キム・ジヨン』のヒットを機に、社会全体が女性人権、福祉について人々が関心を持つようになり、自然と20~40代の女性の著作物が共感されるようになったのだと思います。いまや小説だけでなく、ドラマや映画などでもフェミニズムをテーマにした作品が増え、人気を集めています。

──K-POPグループのBTSやドラマ『イカゲーム』など、韓流が日本だけでなく世界中でブームになっています。この原動力は何だと思いますか?

チョン・ミジン:長年、世界の文化は欧米が牽引してきました。なので韓国で生まれた韓流は主流文化から生まれたのではなく、独創的に出てきたものなので、世界の人々が新鮮に感じているのではないでしょうか。見たことのないものなので。

もう一つ韓国では「フン」という言葉をたくさん使います。「興に乗じる」の興です。英語などに翻訳しにくい言葉ですが。

韓国は「興の民族」と言われます。「楽しくよく遊ぶ民族」という意味ですが、韓国の人はよく歌うし、踊りますよね。そういった文化が韓国コンテンツを豊かにした要因の一つになったとも思います。

──読者のみなさんに一言お願いします。

チョン・ミジン:この小説は記憶に関する物語です。みなさんにも忘れることができない辛い記憶が一つくらいはあると思います。辛い記憶を見つめなおすことは苦痛を伴うものですが、この本が辛い記憶から一歩抜け出すきっかけになればと思います。


電子書籍はこちら

みんな知ってる_OGP風


紙の書籍はこちら


試し読みはこちら


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?