散歩が苦手だ

散歩しなさい。
基本的に家にいるのが大好きで、
運動不足は必至なので至る所でとにかく言われる。

本当にめんどくさい。
家から出るがかなりの重労働だ。
しかし、めずらしく「う〜んヒマだし、散歩でも行ってやるか」
という気持ちになった。

そして家の近くを理由もなくぶらぶら、というやつをやってみた。
時間は16時くらい、昼間刺すような日差しだった太陽も傾き始め、
かといって暗くなるにはまだ時間がかかる。
地面を冷やして行くような涼しい風。

ちょうどいい。

なかなか気持ちいいなぁ。でも、今日がたまたま天候的にベストだっただけで、毎日こうというわけにはいかないだろうな。
とか考えながら、空気的に森のような、なんか向こうには緑が多そうだなといつも感じていた行ったことのない道を進んで行ってみたりした。

洗濯物を干している部屋、ボールで遊んでいる子供達、ボロボロだけど物音がするから仕事してる人がいる工務店、塾に通う子供、クラシックを弾いてるピアノが聞こえる団地。

ノスタルジックに押しつぶされそうになり、
だんだん泣きそうになってきてしまった。

こんなにたくさんの人が地球には存在するのか、
ここの土地を選び、家を借りるか買うかして、ここで一生仕事をし続け、
その全ての人が毎日起きてご飯を食べて、
毎日この景色を見て、毎日この坂を登り、一生をここで過ごすんだ。
ということを考えていたら、だんだん膝が震えて来て、家に帰りたくなって来た。

私には実家がない。
無いわけではないのだが、
父が引っ越し好きということもあってか持ち家がない。
だから帰る家というより、父がいるところが実家なので、その街に私は住んだことがない。
ノスタルジックに押しつぶされそうになったが、
私にはそもそもそんなノスタルジックは無いのだが、
田舎の風景や、何気ない日常をリアルに感じてしまうと泣けてくるのだ。
憧れに似ているのかもしれない。
私には、いつか帰る家がない。
この子たちには今は感じられないかもしれないが、
仕事に疲れた時や、何かとても幸せなことがあった時に、
この公園を、この坂を、この景色を思い出すのだろうと思うと羨ましいのかもしれない。

いつしか私はその景色を持つことから恐れるようになったのかもしれない。
だからか、どこに引っ越しても馴染むということがあまりない。
どうやったら街に馴染めるのだろう。
そこの土地で新しい人と出会うことだろうか、
多分私はたくさん知り合いができたら窮屈になってきてその街を出るだろうな。
だから今住んでいるところもあまり新しい発見をしないように
スーパーと駅と家くらいしか行かない。
なんなのだろう、どうせいつか出て行くのだから、気に入って悲しくならないようにしよう。という感情かな。

いつかは、気にいる街をみつけて、長く、できれば一生。
ここが私のいる場所だと思える土地を見つけたい。

できないかもしれないなぁ。
そしたらスナフキンのように、荷物を持たずあらゆる街を転々と旅する流浪の人生を生きるしかないかな。

うねりにお菓子を買ってあげてもいいという方は サポートお願いします。