レールに乗りたくないというレール
大学三年生の頃、バイトをして貯めたお金でヨーロッパに一人旅をした。
学生の貧乏旅行であったために大人数で相部屋のゲストハウスを泊まり歩かねばならなかった。
その旅行の中でも、ミラノのゲストハウスで出会った日本人バックパッカーの言葉が今でも印象に残っている。
ミラノに到着し1泊目のゲストハウスのロビーで受付を待っている間に、一人の日本人バックパッカーに声をかけられた。
ヨーロッパ全域でそうなのかはわからないけれどイタリアの多くのゲストハウスにはバーが併設されていて、その場合受付を待っている間にワンドリンク無料で振る舞われた。
その合間にそのバックパッカーの男性に話しかけられた。
彼は僕よりも年上に見え、ちょうど”おじさん”とお兄さん”の間にいるような雰囲気だった。
聞いてみると彼は大学を卒業してから就職をせずにずっとバックパッカーを続けているという。
僕も自分が大学生だということと、春休みを利用してヨーロッパを旅行していることを告げた。
すると彼が待ってましたと言わんばかりに話し始めた。
「やっぱりお兄さんも日本から逃げ出してきたんすね、やっぱり敷かれたレールになんか乗りたくないですよね!」
実際にこういうことは一人旅をしているとよく起こった。
海外に一人旅をしている人間は自分と同じ考えを持っているだろうとの思いがあるのだ。
僕はこの言葉にものすごく違和感を覚えた。
まず第一にそのように決めつけられるのが嫌だった。
日本が合わなくて海外に行くという人がいるのはわかる。うまくいかなかったこともたくさんあっただろう。
しかしそれは本当に日本が悪かったからなのだろうか。
日本に居ながらもその環境をうまく利用して活躍している人は一杯いる。
第一今の時代に日本に生まれるということはサイコロの目で言えば6だ。
つまり大事なのは今ある環境をどう自分が利用してやろうと考えることではないのだろうか。
大きな主語は使いたくないがこのような外ごもりの日本人にはこのように環境が自分をどう変えてくれるかを待っているような人間が多すぎる。
彼らがまたしても得意げに言う英語教育だって、「教育が喋らせるようにしてくれなかった。」「国のせいでペラペラになれない」という他責なものばかりだ。
一番の問題はその待っていたら与えられるものだという受け身な姿勢ではないだろうか。
自分に向けるべきベクトルが、外に向いてるのではないか。
彼らは日本が悪いから自分は成功できないのだと言う。
けれどやはり日本で成功している人はまた海外でも成功しているのだ。
また僕は大きな夢を抱いて日本を飛び出してそのまま飲食店の店員にしかなれなかった人間もたくさん知っている。
20代の反骨精神に勢いを任せて出てきて、既に40代に乗りはじめた人々は僕たち大学生に「日本ってひどいよな、不公平だよな」と聞いてくる。
ただそれは質問ではないのかもしれない。同意を求めているのだ。
最近の日本の現状を知っている若者からも同意を得ることで、自分は間違っていなかったんだ、若者ならみんな感じることなんだと自分を納得させたいだけなのだ。
「いいえ、そうは思いません。日本はアメリカほど学歴社会ではありませんし、ヨーロッパのように小さい頃から成績によって進路を選択させられることもありません。社長と平社員の給料の格差も先進国の中では一番に小さいです。日本は十分に個人の努力によって結果を変えられるため完璧でなくてもある程度は平等に機会が与えられている社会だと思います」
などと言おうものならドヤされる。
結局彼らは不安なのだ。
そしてもう一つ気になったのは”レール”という言葉だ。
レールに沿って就職するという言葉は99%マイナスの意味合いで使われる。
祖父母、親の代から作られてきた高校大学を出たら就職をするというレール。
しかし果たしてこれは本当に悪なのだろうか。
そう思ったのは旅行中にヨーロッパの貧困を目にしたからだ。
イギリスに旅行して最初に思ったのは意外に貧しいんだなということだ。
都心を離れれば、街並みはサッチャーの頃の炭鉱に陰りが見えはじめていた時代と大差なく、道路などのインフラは整備されていない。
そして何より目に付いたのは学校にも行っておらず、働き口もないのでとりあえず街をぶらぶらしている若者の多さだ。
これからの時代を担って行く若者が現在教育も受けてなく、実務経験も積めていないというのは深刻だ。
この若者の失業率で言えばスペインはもっとひどく、ヨーロッパ全体の問題だ。
そんな旅行の中で聞いた「敷かれた社会のレールに沿って就職なんかしたくない」の言葉。
頭がおかしいのかと思った。
世界には仕事を探しても働けない人がたくさんいる中で、日本の学校を出たら一斉に働き口を用意してくれるというシステム。とても幸運だと思う。
上の世代が作り上げ受け継がれてきたもの。
まさに”有り難い”ことだ。
僕も日本が自分に何をしてくれるかではなく、自分が次の世代に何を残せるかを考えて生きていきたいと思う。
確かに”自分探しの旅”という言葉には何か答えが有りそうな響きがあるかもしれない。
自分探しの旅がこれほどまでに持てはやされるようになったのは、かの有名なサッカー選手が引退後に始めたからだろうか。
しかしまた、就活というレールが嫌だから自分探しの旅を始めるというのもまたある種のパッケージ化されたレールなのではないだろうか。
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