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🎙️CM/三島由紀夫 『二元論 』

🎙️三島由紀夫 『二元論 』noteで発刊しました。刊内の第三章『金閣寺』書評/“金閣のざらめ菓子” ④よりの抜粋分です。お試し読み、如何でしょうか?以下…

受け入れて欲しい、と思う心。
それを拒絶される事。

何だか由紀夫さんの人生そのもの。

その壮絶な最後。

由紀夫さんが求めて受け入れられた世界、それはもしかして

“文学”

その世界だけだったのかもしれませんが。

受け入れて欲しい、と思う心。
それを拒絶される事。

人は誰しも大なり小なり持っています、その始末に負えない欲求を。

だからこの『金閣寺』は普遍の創作作品、であると見れますね。

金閣を“求めて”
金閣と“一体”となり
金閣と共に“滅ぶ”夢

それはそれは誠に理解され難い感情。ええ、エキセントリックですものね。

誰もそんな事思いませんし、いえ?

そんな感情が日本国全国民に遍く内在していた時代があった?あった…

その当時、“大日本帝国”という国名で、東亜細亜一帯に君臨していた…

“国家”があった…

国民の誰も、この輝ける黄金国家が滅ぶ事など…

夢にも思わなかった。

どこかの拡声器から聞こえる声が…

“国家”と“一体”となり共に戦おう、と。

誰が仰っておられるのか?
何方の思いであられるのか?

考える余地なく、突き進んで、そして焼尽して

“我々は何を信じて何の為に戦ったのか?”

その“輝ける黄金国家”から来た“異邦人”。
いや、“生き残り”。

知らず知らず、“大日本帝国”を愛していて
それはまるで何かの偶然の様に“無くなった”

いえ、燃え尽きた
いえいえ、燃やされた
いえいえいえ、破壊し尽くされた
いえいえいえいえ!

ドンッ‼︎と檜踏む鬼夜叉の面

そして生き残った
生き残ったら、楽しかった
思いの外、それは清々しく
若い命は四肢を存分に伸ばして
苦しい束縛の中、溜め込んだ鬱屈を爆発させた

爆発?

『俺達の国という国が爆撃されて、それを護る為、多くが飛び立った!ありと凡ゆる国民が、その為の徹底抗戦に犠牲として命を捧げて、それが俺達の戦後の幸福に…俺は何故生き残った⁈そして貴様らは何故生き残った?その矛盾をどうかしてでも俺は解き明かす、それが俺の使命だ!』

由紀夫さん…それは“嘘”でしょう?

完全なる美との一体

そしてその時こそ、その黄金に輝く“美”を…

自分一人の物に出来る。

愛玩、とでも言うのでしょうか?

それは“狂気”でありながら、その“狂気”が日常感覚であった時代もあった。

貴方、この『金閣寺』を手に取った貴方は、どうお考えになられますか?

えっ?わたしですか?

御免なさいね、わたしにはつまりませんでした…

それは一個の読者感興、それは自由。

ただ小説終盤のくだり、これは文面であるのにまるで由紀夫さんが、主人公の姿が、“三島由紀夫”さんに、見える様に感じました。とても、そう…映像として、わたしの想像の中で…

これは、きっと、由紀夫さんが屹度、屹度!

本当に、本気で、金閣寺を焼こうとお思いになられて、そう純心に、心の底から、そうお思いになられて書かれた、それは屹度の屹度、絶対にわたし、そう思います。先生の御作品を読んでから、大分幾年経ちましたが、それは、それだけは、疑っていません。ええ、わたし、今でもそう思って疑いません。

戦争の真っ盛りであるのに特別扱いされた京都に、にじり苦しむ戦争末期の国民を尻目に傲然と冷たくそっぽを向いて煌煌と鎮座していた極楽浄土の模造品。輩皆飛び立ち、亜細亜各地、列島を囲む海、全てに散り散りの骸と果て、だのに、夜な夜なマティーニと背徳と“文学”を堪能して…

“戦後の俺達というのは実に結構な生き物だな‼︎”

そして…

“生き残れた癖に…”

また蘇った、『金閣』を見上げる…
焼いた筈なのに、いつの間にか蘇生して…
いや?“転生”?ん?いや?

『七生報国』

“かつて俺達が信じた…”

マティーニのグラスにバーの灯りを翳して…

“『金閣』って奴は蘇るんだな…”

〈④了〉


………🎙️続きは“三島由紀夫 『二元論』本書で!

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💻WEB文芸誌『レヴェイユ』/編集者 柳井一平
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