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早めの余生を生きてみる

ご覧頂きありがとうございます、あんどうです。

こうして仕事を休んで1日のほとんどを自宅で過ごしていると、自分の人生について考える時間が増えました。
そんな時にふと、「自分ってすでに余生を生きてるんじゃないか」と感じて、今日はそのことについてお話したいと思います。

いわゆる余生というと、老後のおじいちゃんおばあちゃんの暮らし的な、退職して縁側でゆっくりしながら飼っている犬とか猫の世話をして、時々帰ってくる孫を心待ちにする生活、そんなイメージが僕の中にはありました。

(僕は結構ゆったりした暮らしが理想だったりするので、そんな暮らしをしているおじいちゃんおばあちゃんを見て良いなぁと思ったりしていました)

しかし今のような状況となり、ふと立ち止まって考えてみると「自分も既に余生を生きている?」という感覚になったんです。

というのも、自分が人生で絶対にやりたいことって結構出来てしまっていて。

例えば、ずっと行ってみたかったイギリスに行けた、ずっとやってみたかったギターを始められた、愛する家族に恵まれて幸せな結婚生活が送れた、就職した姿を親に見せられた、みたいにやりたかったこと、成し遂げたかったこと、結構出来たんですよね。

もちろんまだまだ行きたいところもやってみたいことも沢山あるし、家族と出来るだけ長い時間を一緒に過ごしたいという気持ちもあります。
あと出来れば親と奥さんより先には死なないように頑張ろうと思ってます。出来れば。

だけど人間いつかは最期を迎えるし、ひとつ願いを叶えたら次の願いが生まれる、
だから全ての願いが叶う瞬間っていうのはいつまで経ってもやって来ないのかな、とふと思いました。

そういう意味で、僕にとっては既に余生と言えるステージに突入していて、身体が元気でいられて、これから訪れる幸せを感じられる間はそれをしっかり抱きしめたいと思いました。

ただ余生とは言いつつも、諦めとか隠居とかそういう感じではなくて、もう少し前向きな感じで、必要以上にジタバタせず、一瞬一瞬を丁寧にしっかり感じて味わって生きていきたい、そういう気持ちです。

20代後半にしては老け過ぎた考えな気もしますが、前進し続ける人生において少し息切れしたタイミングで足を止めてみた、そんな感じかもしれません。
今までは足を前に運び続けるのが人生だと思っていましたが、たまには立ち止まってみたり流れに身を任せるのも悪くないかなと思えるようになりました。

少し話は逸れますが、人生ってトレッドミル(ルームランナー)みたいに、こっちが頑張ったらあっちも逆らって来て、めちゃくちゃ必死なのになかなか思うように前に進めない瞬間があるなって思います。
そんな時、たまには足を休ませてあげるのも悪くないかもしれませんね。
そのうち嫌でも必死に走らないといけない時がやってくると思うので、その時のために回復しておきましょう。

話が逸れましたが、僕が残りの人生において叶えたいことを挙げるとすれば、子どもを育てることくらいでしょうか。
子どもが出来たら、育てるのに必死になって考え方も変わるかもしれないなと思っています。
そんな変化も楽しみです。

だいぶ長くなってきたので最後に。

僕は自分の人生が既に余生かもしれないと思うことで、なんとなく肩の力が抜けて、余計な苛立ちや焦りから解放される感覚がありました。
そしてひとつひとつの出来事や事象をしっかり捉えて、そこにある幸せを感じられるようになりました。
(冒頭にも書いたように、もともとゆったり生きるのが好きなので、このアイデアと僕の性格との親和性が高かったのもあると思います)

皆さん、日々様々なことに立ち向かい努力し踠き、その壁に挑み続けられていることと思いますが、たまにはこれまでの自分をしっかり労ってあげてみてはいかがでしょうか。
振り返ってみると「自分、結構よく頑張っているんじゃん」って思えるはずです。

そしてまた夢や目標に向かって、然るべき時に走り出しましょう。
前に進む力も幸せを感じる感性も、パワーアップした皆さんがそこにいるはずです。

皆さんに幸ありますよう。

最後までお読み頂きありがとうございました。

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