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後期研修中の休職, そして退職するまで

ご覧頂きありがとうございます。あんどうです。
twitterを見て頂いている方々には先日お伝えしましたが、この度、現在休職している今の職場を退職し、4月1日から新しい職場で勤務を始めることを決意しました。

これによっていわゆるドロップアウトをすることになり、専門医の取得に向けた後期研修からは離れることになります。
初期研修を終えた後に後期研修を修了せずに生きていくということについては、怖さや不安がないと言えば嘘になりますが、自分のことや家族のことを考えたうえで出した結論ですので、これからの自分の努力でこの選択を正解にしていきたいと思います。

前置きが長くなりましたが、今回のnoteは職場での休職に関することを中心に書いています。
少し長くなりますが、今の職場が辛い方など同じような境遇の方の参考になればと思います。

①なぜ休職に至ったのか、②休職する際の流れ、③休職中のお金のこと、④休職期間の過ごし方、⑤退職に至る流れ、を記しています。

①なぜ休職に至ったのか

詳細については別の記事で書こうと思いますが、自己分析も交えて説明すると
・後期研修が始まるタイミングで職場が変わった
・職場の異動によって雰囲気の違いや様々なローカルルールの変化に直面した
・理解しがたいルールについて飲み込むということが出来なかった
・自分の所属する診療チームに信頼感を抱けなかった
・職場に気の置けない同僚や先輩がいなかった
・結婚をした(それによって家族に関する価値観も変わった)
・自分の生活に踏み込むような発言が上司からあった
・通勤時間が長かった

といったところです。
ご覧いただいてわかるように大した決定的な理由はなく、どこの職場でもあり得るようなことの積み重ねと自分自身のライフステージの変化が重なったことが根本的な原因かと思います。
あまり具体的に書いても一般的なことからずれますし、職場の文句をここで述べたいわけではなく、むしろ休職・退職してしまう前にこれをやっておけば良かったんじゃないかというメッセージを皆さんにお伝えしたいので、この項目を抽出してまとめ直した記事を今度書こうと思います。

②休職する際の流れ

9月中ばを過ぎたある日、朝起きると体がとても重く、ベッドから出られませんでした。病院に連絡しようと思ったのですがなぜかそれもする気になれず。
その日は奥さんが先に家を出ており、自宅には自分ひとりという状況でした。
通勤が1時間程度かかるため職場の定刻まではまだまだ時間があったので、もう少し時間が経ってから連絡することにしました。
しかし予定していた時間になっても体の重さは変わらず、連絡を怠ってしまいました。そうして結局職場の方から連絡が入り、体調不良ということで病欠を頂くこととしました。
このご時世でコロナの検査を受けて結果を教えてくださいと言われましたが、結果は陰性でした。

その日は金曜日だったため、そのまま週末はゆっくり休んでくださいと言われ、いつもの休日と同じように過ごしました。

そして休み明けの月曜日、この日は特に普段と変わりなく出勤出来ました。
入院患者さんのカルテなどを追いかけ、休んだ分を取り返そうと働きました。

翌日の火曜日、家を出るまでは普通、もっと言うと職場に着くまでは普通でした。
しかし職場の駐車場に車を停めた後、なぜか体が動かないのです。
足が病院へ向きません。
とりあえずケータイをいじり、朝のカンファレンスに出ることを諦め、定時ギリギリまで車で過ごして出勤することにしました。
結局定時ちょうどぐらいにタイムカードを押すことになりました。

そして水曜日、この日も家を出て病院へ向かうことは出来ました。
しかし再び車から降りれないという事態。
しかも今度は本当に無気力とでもいうのでしょうか、定時を過ぎても動けず、かといって帰るのも何か違うなと思い、定時を回った頃に事務の方へ電話で連絡をし、正直に今の状況を話しました。
すると事務の方が、無理に病院の建物に入る必要はないので、車で相談しましょうと言ってくださり、相談の時間を頂きました。

そしてそこで話すうちに、上のような症状が最初に現れた9月中頃の週から、夜の寝つきがかなり悪くなり睡眠時間が2,3時間になったことや、食後に突然嘔吐したことなど、今までなかった体調の変化があったことを思い出し、それも伝えました。
ひとまず水曜日も病欠という形にして頂き、病院の近くの心療内科のクリニックが診察日だったので受診しました。そこで自分の症状などを伝えたところ、「適応障害」であるということと、悪化するとうつ病になる可能性もあるから、出来るだけ早く休みをとって、一旦仕事と距離をとるよう伝えられました。

そうして僕の休職は突然に決まったのです。

※休職関連の書類には医師のサインと診断書が必要で、別日に再度クリニックを受診して書類をいただく必要がありました。

③休職中のお金のこと

もし休職を考えてこの記事を読んでくださっている方がいれば、この部分が一番知りたい部分かもしれません。
僕は公立病院に勤めていたので、身分的には公務員という形になり、地方共済の傷病手当金の対象となりました。
会社勤めの人でも給与から天引きで社会保険料を支払っていると思いますので、同じような感じになると思います。
※業務に関連するものであれば労災も使えないのかと思いますが、適応障害やうつ病などでそれを証明するのはなかなか難しいそうで、明らかに業務に関連した怪我などでなければ傷病手当金の対象になる方の方が多いそうです。

金額としてはググってもらうと出てきますが、
「支給総額=直近1年間の標準報酬月額の平均の30分の1 × 3分の2 × 支給日数」
となります。
めちゃくちゃザックリ言うと普段の3分の2弱くらい、と思ってもらえると良いと思います。
標準報酬月額は給与明細に記載されている場合や「ねんきん定期便」で確認できる場合があります。
もちろん雇用主に問い合わせるとわかります。

ひとつ注意点として、この傷病手当金の支給は結構遅いです。
僕の場合は10月から休職に入り、10月の給与がなくなり傷病手当金になったのですが、それが支給され手元に入ったのは翌年の1月でした。
12月にいくらかの賞与と年末調整が入ったので救われましたが、なかなかキツかったです。
その後1月末に手当が入るまでは本当にカツカツになったのでクレジットカードのキャッシングを使ったりでなんとか凌ぎました。。

遅くなる原因は「申請の書類を医師に記載してもらうのが1月遅くなる」のと、「初回の審査には2ヶ月程度かかる」ためです。

申請の書類について、例えば10月分は「10月丸々働けませんでした」という書類になるので、11月に入ってからしか医師の記載をもらえません。
以降も同じです。
このように書類の提出がそもそも遅くなるため支給も遅くなります。

また初回の審査に2ヶ月程度かかるというのは原則ではないようですが、だいたいそれくらいだそうです。
2回目以降はスムーズに通ることがほとんどです。
僕も2回目以降は問題なく支給されています。

ということで、傷病手当金の支給は初回は3ヶ月遅れ、以降も本来の支給月の2ヶ月遅れのような形で入ってきます。
また最低月に1回は申請書の記載をお願いする意味でも医師の診察が必要なので定期的な通院が必要です。

休職中の給与についてはこんな形です。

正直に言って僕はまあまあキツかったです。
今年度に結婚式を挙げたりしたのもあったと思いますし、普段からキャッシュレス決済・クレジットカード払いを多用していたので、自分の支出を見直すキッカケになりました。

休職は僕のように突然のこともあると思いますが、しばらく悩んでいるという人もいると思います。
休職するまでに時間がある人は、貯金や普段の出費を見直すことはしても良いかと思います。
あまりにもお金がカツカツだとせっかく休職しているのに心が休まりません。

④休職期間の過ごし方

まず休職の「長さ」について言うと、お世話になった先生からは「自分が休もうと思う期間+1ヶ月程度で考えてね」と言われました。
というのも、休職したからと言ってすぐに仕事から解放されるわけでなく、どうしてもあれやこれやと考えてしまうものです。
そういうリズムから、しっかり休んで心と身体を治すモードに入るのに少なくとも2週間くらいかかるそうです。
また復帰に際しても、すぐに職場に戻るというわけではなく、仕事のタイムスケジュールに体を慣れさせる期間として2週間ほどとっておいた方が良いとのことでした。
僕の場合は10月から休職し、職場の総務課との相談で12月までの3ヶ月間で申請しました。
その後体調は少しずつ良くなりましたが、もとの職場に戻ろうという気持ちにはなれず、3ヶ月の延長を申請し最終的には退職することとしました。

この期間にやっていたのは、
・家事(炊事、洗濯、掃除)
・家の片付け→メルカリ
・転職活動
・カイロプラクティック
・虫歯の治療
・音楽ライブへ参加
・お金の勉強
・子犬の世話
・SNS(Twitterを始めた)
といったところです。

奥さんがフルタイムで働いているので分担して家事をしていましたが、休職を機に基本的に自分がやることにしました。奥さんも負担が減り楽になったと言ってくれました。
それに並行して家の片付けをしました。引っ越してからすぐに専攻医としての生活が始まり、なかなか片付けが出来ていなかったところもあったので、まとまった時間が取れて良かったと思います。
不用品はメルカリに出品しました。

またずっとやろうと思っていたことに取り掛かりました。
カイロプラクティックと歯の治療です。
平日に行けるとなると途端に予約が取りやすくなるので順調に進められました。
カイロプラクティックは本当に行って良かったと思います。また別にまとめたいと思います。

あとは趣味に時間を使ったり、収入が減った危機感もあってお金の勉強も自然と進められました。2月からは簿記の勉強も始めました。

子犬の世話も日々奮闘中です。なかなか上手くいかない時もありますが、こういう時間のあるタイミングばかりじゃないので、たくさん愛情を注いで頑張っています。

⑤退職に至る流れ

上に書いたように僕は休職からそのまま復帰せずに退職する流れになりました。
月に1回、病院の総務課の方に面談をして頂いていたので、1月の際に退職を考えている旨を伝えたところ、一番遅くて3月上旬くらいまでは考えてもらって良いですとお返事を頂いたので、少し時間おいて考えました。
結局自分の中でほぼほぼ気持ちが固まっていたのもあり、改めて2月に伝えることにしました。
退職に向けた手続きはまだ完了していないので、そこも含めてこの項目は追記していきたいと思います。

最後に

以上のような理由・流れで僕は休職から退職に至りました。
書いてみると非常にボリュームのある記事になってしまい、各項目を深く書くことは出来なかったので、もう少しお伝えしたいという部分については改めて別の記事でまとめたいと思います。

この記事を通して適応障害や休職する際の全体像みたいなものを掴んで頂き、今仕事が辛いというような方が疲れ切ってしまう前に自分を大事にするキッカケにしてもらえると幸いです。
誰でもちょっとしたことでなり得ることだと思いますし、休むことは恥ずかしいことでも悪いことでもないです。
今しんどいなという方は、自分の人生、自分の大事なものをもう一度見つめ直して、ひと息ついてみても良いかもしれません。

まだまだ人間としても社会人としても未熟な僕ですが、困っている方がいれば自分の経験などをお伝えできればと思っています。
twitterでDMを頂ければお答えできる範囲でお答えしたいとも思いますので、お気軽にご連絡ください。

今回は最後までお読み頂きありがとうございました。

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