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38. 北京で(その2:北京オリンピック前年の2007年は)

そんな北京もここ20年で経済成長によって大きく変わった様子はTV等でもよく見る様になりました。
 
最もその変化は10年以上前に始まっており、2007年、北京オリンピック前年に出張で行った時にはヴィザはなくなっていました。
 
その時はオリンピック直前のためか町中の色々なところが工事中。
 
道路は数年前と打って変わって、自転車はほとんど走っておらず、大量の車で渋滞しています。
前回に我々が歩いて渡れなかった天安門広場に通じる大通りにもブロックごとに信号が敷設されていました。

あの自転車は一体どこにいってしまったんでしょうねぇ?

ある日、仕事の後に自転車の人力車で北京市内をツアーしました。

こんな感じで2人乗りが多い様でした

住宅街の中は意外なほど狭く、車は余り入れないときいていたのですが、路地の中のほとんどのうちの門の前に新車が。
 
2000年から10年たたない間にあっという間に各家庭に自動車が一台普及し、結果自転車はほとんど見なくなったということの様なのでした。
 
ツアーの途中で民家を訪れたのですが、石の塀で囲まれた約200平方メートルに敷地に4家族が暮らしているのが明代から続く典型的な住まいということでした。

そこはその時は3家族で住まわれているとのことでした

当時はオリンピックと区画整理のバブルで地価が2億―3億の価格になっている由。
そりゃ、皆さん新車買えますよね。
 
オリンピックの半年前ということで、バスで移動中に建設中のオリンピックスタジアム(Bird’s nest : 鳥の巣)も遠くからですが見ることができました。

建設中だったのでそばには行けませんでしたが

ツアーの最後は故宮(紫禁城)。
実はボクはそれまでそれがどこにあるかを知らなかったのですが、天安門広場でバスを降りて、だだっ広い広場を一巡りしてから、信号に守られて大通りを渡り、毛沢東さんの写真の下に案内されました。

ここで写真でも撮るのかなぁ、と日本人的お上りさんの発想でいたら、赤い壁沿いに導かれて、「おやや?」と思う間もなく、先頭の皆さんは壁の中にある扉をくぐっていきます。
 
何せ疎いもので、ニュースでおなじみの肖像画の壁の向こうは党本部か何かだと思っていたので、
「れれ?そんな中に入っても大丈夫なの?」

あの赤い壁の向こうがこんなになっているとは…

と思ってちょっとビックリしていたら、そこが故宮(紫禁城)。
残念ながらやたらに広かったことしか、覚えていません。
この感想はベルサイユ宮殿と同じだな。
 
プライベートでも夕食前にちょこっと散歩に出かけたりしたのですが、相変らず観光名所の類にはあまり関心がないもので、一番覚えているのは初めて見たトロリーバス。
なにせ自動車学校の教本で見て、
「んなものは木炭車みたく、今の世の中にあるわけがないでしょ。」と思っていたので、ある意味感動モノでした。
 
たまたまそこが三叉路で、電線が右側の方にしか施設されていなかったので、右折するバスを見ながら、
“I am wondering what would happen if the driver tern to left…”
(逆方向にハンドル切ったらどうなるんだろうねぇ。)
言ったら一緒に歩いていた韓国の同僚に呆れられました。

まあ、エコな乗り物ではあるのでしょうけど

ジュネーブでは電車の軌道を走る3連のトロリーバスを見てたまげましたけどね。
 
その後みんなで最も有名と言われる北京ダックのお店へ。
駐車場はバスや車で満杯で、店内もめちゃ混んでいました。
 
途中、トイレに行くと大勢の日本の高校生の修学旅行らしき団体に遭遇。
山梨から来たと言っていましたねぇ。
名店だと聞いていた割にはあまりおいしいと感じなかったのは、そのせいかボクの舌がポンコツのせいなのかどうか。

中国の同僚によると、建物も含めて観光名所になっているとのこと

そう言えば、その後にユーロ・ディズニー帰りの修学旅行の団体と一緒になったこともありましたっけ。
我々の時代には考えられないことですが、その頃から修学旅行に海外と言うのは普通のことになっていたんですねぇ。

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