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17.初めての海外出張はLos Angels(ロス・アンゼルス)でした(その1:ロス在住30年じゃよ)

ボクが最初に海外へ行ったのは1988年の1月にLos Angels(ロス・アンゼルス)で行われたビジネスショーの視察です。
 
業界では全米最大のショーということもあり、US支社が出展するだけでなく業界の動向や競合の新製品の展示などもあり、世界中の支社からも人が集まるので、会期後にミーティングや現地の市場の視察などもあり、約2週間ほどの滞在でした。
 
その初めて乗った国際便はシンガポール航空のシンガポール - ロス・アンゼルス便。
 
もちろん直行ではなく香港と成田を経由していく便で、当時は全日空もまだ国際便が無く、アメリカに行くには比較的運賃の安いマレーシア航空とかアジア系の航空会社を使うことが多かったですね。
でもその後便数が増えてきたので良く乗るようになったアメリカの航空会社よりもサービスは良かったように思います。
 
CAの人も(当時はスチュワーデスって呼んでましたけどね)民族衣装を着て優しかったなぁ。
 
そう言えばL.A便の就航直後の全日空に乗ったこともあるのですが、エコノミークラス担当のCAさんも途中で着物に着替えたりしてましたねぇ。
後発だからサービスに力を入れてたんだと思います。
 
当時は共同運航便なんてのは無かったし、運が良い時はガラガラでエコノミークラスの3席を一人で独占して横になって寝ることができたこともありました。
逆にオーバー・ブッキングで予約してたのに乗れなかったとか言う話もよく聞きましたね。
ボクは幸いそんな目に遭ったことは無いですが。
 



その初めての出張で成田のパスポートコントロールを抜け、搭乗を待っていた時の事。
 
初めての海外出張ということで、えらく緊張していたせいか、スーツにネクタイを締めて現れたボクを見て、
「それ、シワになっちゃうよ。」
と呆れた同僚と2名でいたのですが(はい、当然到着後にクリーニングに出すハメになり、えらい散財でございました😢)隣に座っていた香港から搭乗した(成田で給油するので一度下ろされたんですね)中国人の高齢のご夫婦が話しかけてきました。
 
香港には親戚に会うために帰っていたそうで、聞けばロス在住30有余年とのこと。
 
“I have been living in Los Angels for thirty years.“
「アイ ハブ ビーン リビング イン ロサンヂェルス フォー サーチ― イヤーズ」
と言うその発音は、そんなに長い間ロスに住んでいたとはとても思えない、ベタベタのチャイニーズの訛りの強いもので、こちらもまだTOEICで600点くらいの頃で、なかなか上手く会話ができなかったのでした。
 
”Do you live in the city or county side ?”(お住まいは市内ですか、郊外ですか?)
 
“No, No, I am living in Los Angels !”
(いやいや、L.Aに住んでるんじゃよ。)
とか言う感じで、かみ合わないことオビただしく。
搭乗案内があるまで結構長く話していたのですが、結局ロスに30年住んでいるということ以外は分からず仕舞いでした。
 
最後に突然、それまで我々の会話を聞いていた同僚に向かって、
“Are you Korean ?”。
(あなた、韓国人?)
 
その同僚はメガネこそかけてはおりましたが、ヨン様とはかけ離れた風体でしたし(最も当時は韓流ブームはまだ先のことで)、ずっと日本語で話していた、明らかに二人連れとわかる我々にですからねぇ。
何だかトボケたおじいちゃんでした。
 
まあ、パリの免税店でボクには「コンニチワ」、ツレには「ニイハオ」と言った店員さんもいますし、ソウルの街中で日本人から日本語で話しかけられた韓国の同僚もいたりしますのでねぇ。
 
我々はアジアの同胞の中では大体はお互い見分けがつくと思うのですが、時々例外もあるようですね。



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