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小学校生時代と現在の心境

そうして再度の父親が逃避生活を送り
私たちは母子生活を送ることに。

もともと父親がいる記憶がほとんどないので、それに違和感はなくこれが当たり前という感じでした。

小学の低学年では近くの田畑でバッタを取ったり近所の友達と遊び、UFO研究会や料理研究会を作るもののどちらも各1回ずつの活動で終わったり(笑)と色んな事に興味はあったんだと思います。

ただ人に対しては好き嫌いが強く、苦手な人には近づかなったり自ら積極的に人と絡むのはなかったのだと思います。

この家では、家庭環境や自分を好きになれず何となく死にたいなどと、思うこともあり死んだらどうなるんだろう?

と漠然と思い二階の和室の梁に縄跳びをかけて、首に巻いてみたりしました。怖いのでそんなに真剣ではありませんでしたがそんな事をしてる時に母親に見られて、叱られたのを覚えています。

今なら親の気持ちも理解できますが、当時は何でうちには、親父がいないんだ?なぜ貧乏なんだ?と足りない事に何となく違和感を覚えていました。

でもご飯が食べれない訳でもなく、最低限の教育も受けられ、ボロ家とはいえ雨風がしのげ暖かい布団で寝られる。弟と母親もいる。

今だから思うけど、わたしは何に対してそんなに不満があったのだろう?


それは、今思っても思う。

私は親父から愛を受けた記憶がない。
愛を受けた感じが無いと言った方が正確だろうか、実際大人になって親父と会って話した今でもこの人は、自分にしか興味がないって事がよく分かる。

自分が子供を持ち育てあげた今、自分の子供に対して愛が無いって全く考えられないんですよね。

そんな親父もおんとし79歳、未だ反省という言葉が似合わない自由人である。


この親父の血を受け継いでいる私は、人生前半に彼の性格を反映するとはこの時知る由もないのです。

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