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数億年の記憶、そして未来 ーラーメン食いてぇ!ー

あぁ~、ラーメン食いてぇ!!!!
この映画を観てラーメンを食べたくならないはずがない。

人生の伴侶を失い開店休業状態のラーメン屋。店主の『紅 烈土』には孫がいる。その孫『茉莉絵』は親友を傷つけ、自分も傷つけられて自殺を図った。冒頭から今が一番真っ暗という感じのスタートだ。
『茉莉絵』は一命を取り留めても心は死にかけていた。
そこで、『烈土』が慌てて病院に持ち込んだのがラーメンスープ。『茉莉絵』は一口飲みこむと息を吹き返す。まさに命のスープだ。ラーメンスープは自分という個人の枠を超えた人類の記憶を呼び覚まし、『茉莉絵』は強烈な味の走馬灯を体験する。コミカルだけれど力強くて真剣で、「わかる!わかる!」と大きく頷きたくなる瞬間だった。

味の記憶というのは本当に凄まじい。
人間は生まれながらに人類としての記憶を受け継いで生まれる。
だからこそ、私たち人間は肌色、髪、顔つき、言葉、あらゆるものが違っても、同じように五感を使って感じたり、同じような感情を抱いたりする。
味の記憶も数億年の時を超えて、同じように「おいしい」と訴えている。

ラーメンの歴史は短いけれど、ラーメンを作る過程で使われる素材は長い時を経て変わるものもあれば、塩のように原始から存在するものもある。
「塩」。。。変わらないからこそ、人類すべてに訴える感動があるように思う。ラーメンはそんな魅力を引き出せる、珠玉の一品だろう。

そんなラーメンに魅入られた『茉莉絵』は『烈土』に弟子入りする。不器用な『茉莉絵』が愚直に取り組む姿は、何よりもラーメンがおいしくなると予感させる。
パフォーマンスにコストが常に付き纏う現代で、コスパを無視した『茉莉絵』のラーメン作りは、私たちの多くが手放してしまった、もしくは手放そうとしている、または見せることを美徳としない「ひた向きさ」、「しゃにむに」という愛おしい愚かさに溢れている。
だからこそ、『烈土』も教えていくうちに生きる気力を取り戻せたように思う。生きる希望はそばにあった。
一生懸命は疲れるけれど、かっこいい。そつなく熟すよりも、ゆっくり一歩ずつ前に進んでいく姿の方が、ずっと愛おしい。

何かに死ぬほど向き合うと、死ぬよりも辛いものがないから、他は何だって手を伸ばせるようになる。必死な思いをしている時は、不格好でも、ダサくても、なりふり構ったりなんかしない。
『茉莉絵』は「世界一おいしいと信じる烈土のラーメン」を自分で作り、また乗り越えるため、自分を傷つけた親友『コジマ』を許し、自分には足りない『コジマ』の「旺盛な食欲」で更なる高みを目指す。

元々、二人はとっくに許していたんだと思う。
ただ、きっかけがラーメンだっただけで、いつだって、二人は許していた。
でも、許されるとはお互いに思えなかったから、一歩が踏み出せなかった。
『茉莉絵』が必死になって『コジマ』を追いかけてラーメン作りに誘えるようになったのも、ラーメンを食べるようになって心が元気になったから出来たんだと思う。
食の力は偉大だ。

二人にとって、おいしいものを作って分け合うことが、きっと何より幸福なんだろう。「同じ釜の飯を食う」なんて言葉があるけれど、一緒にご飯を食べるのは特別な事なんだと思う。食事は「ただの食べ物」のみの記憶じゃない。いつ、どこで、誰と、どのように食べて、何を感じ、どう思ったかを全て記憶する。食べ物は新しい記憶を刻み、また古い記憶を蘇えらせるトリガーとなる。記憶の渦に埋もれてしまった思いを、幸福だった瞬間を、いとも簡単に目覚めさせる。

こうして二人でラーメンの修行を始めると、二人は切磋琢磨してお互いを補うように成長していくと、やがて、二人でラーメン屋を営むことを両親に納得させる、「その時にできる最高の一杯」でもてなすという試練に挑む。
かつて、夫婦二人三脚で営んだ祖父母のラーメン。その夫婦が作り上げた最高傑作には及ばないながらも味の記憶は継承され、二人は両親の応援を勝ち取る。

この時に、『茉莉絵の母』は『茉莉絵』が小さい頃に言った「おじいちゃんとおばあちゃんのようにラーメン屋さんになる」という記憶を呼び覚ますシーンがある。
『茉莉絵』自身はその記憶を忘れてしまったようだけれど、「茉莉絵の味の記憶」は、そのことをずっと覚えていたのではないだろうか。
幼い頃の会話なんて大抵は忘れてしまうけれど、小さい頃から好きだった味は、ずっと覚えている。誰にでも、そんな味の記憶はあるんじゃないかと思う。

そして、ここからもう一歩先に行く未来へ繋がる希望感が、私は何より好きだ。そのままの味も大事だけれど、そこで終わりではない。過去から未来へ受け継ぎ、そして超えていく。
私たち生き物はとても貪欲で、一番おいしいと思った味に慣れていくと、それを超える味を求める。いつだって、食に終わりはない。完成された未来はない。

未来の可能性を感じる味。
すごく美味しそうだ。

未来の可能性を感じるからこそ、二人でラーメン屋を営むことを両親に納得させられたように思う。完成された味だったら、二人がより良く変わっていく未来を想像できない味だったら、両親は納得しなかったのではないか。
完成してしまえば、ラーメンに拘らず、別の可能性を選べと説いたかもしれない。
同じように見えて変わりゆくもの。
それこそが、両親が二人を応援したいと思わせる鍵だったように思う。

ラストはお店を再開し、行列のできるラーメン屋として復活した。未来の可能性を感じるラーメン。絶対食べたいと思わずにはいられない。二人が成長していく様を一杯のラーメンを通して見守っていけたら、いつだって「その時の最高」を味わえたら、応援せずにはいられない。

とりあえず、今日は「今一番お気に入りのラーメン」を食べようと思う。


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