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自分と他人

最近、自分と他人の境界線を引けるようになってきた話をしたい。

私は割と人と繋がりたいタイプの人間だった。
少しだけエニアグラムの話をするが、私のエニアグラムは2だ。人の世話を焼く事が好きなタイプである。
人が不快な思いをしてるのが嫌で、常に周りが楽しくやってて欲しい。
そのために他の人に尽くしたりすることに使命感を覚えるが、そのことを当たり前だと取られるとものすごく腹が立つようなワガママな面もあるタイプだったりもする。
本人の健全度によって、幸福度にかなり差が出る。らしい。(他にもあるが、とりあえず本筋から外れるので知りたい人は調べてください。)

そういうタイプなので、他人や他人の問題に深入りしてしまいがちで、そのせいか無用な怒りを覚えることも多かった。なので、意識的に自分と相手の境目を最近考えるようにしている。そのおかげで、何となく自分のやりやすいスタンスが見えてきた。

とはいえ自分は自分、他人は他人と口で言うのは簡単だが、そのマインドを忘れないように生きるのはとてつもなく難しいものである。

私はかつて、自他境界が曖昧で自分や他人にものすごく迷惑をかけ、沢山失敗してきた過去がある。
また、他人からすごく依存されたり粘着されて振り回されることも多かった。

少し重たい話になるが、昔私は自分に対して自信がなかった。今も自信はないが、昔はもっと自分に自信がなく、自分のやることなすことが全部間違っているような気がした。
そのせいか、理不尽な目にあってもNoと言えず、何でもかんでもひきうけてキャパオーバーになったり、有害な人につけ込まれることが多かった。

いちばん酷い時だと、元彼から心を支配されてモラハラされてしまったこともある。自分に自信がなく自分のことが大嫌いだけど、愛されたいという思いに付け込まれて、一挙手一投足に揚げ足を取られたり、人格否定を受けたりした。挙句の果てにはサークルの中で孤立させられ、追放されることにもなってしまった。その時に、友人のひとりにはものすごく迷惑をかけてしまった。

また、自分が相手に依存してしまうこともあった。私は割と愚痴っぽいところがあり、嫌なことがあるとなんでも友達とか彼氏とか家族に愚痴って発散していたところがある。数ヶ月前、それで私の友人を怒らせてしまった。やっぱり親しい人に指摘されると堪えるもので、自分に依存的でかつ自分勝手な面があることを改めて認識して恥ずかしくなった。

他にもバイトの時に精神的に不安定な人に同調していたら、自分が限界になってしまったこともあったり、相手の言い分がおかしくても無理やり自分を曲げて相手に合わせていたら、その人のことが大嫌いになってぶちキレてしまったこともあった。
結局、どこまで行っても他人は他人だから、人を完全に理解してその人の希望に沿うように動くことはとても難しいと感じた。

今、我慢は美徳だとか相手のために自己犠牲で何かをすることが美談のように語られることがとても多い。
でも、自分のことを大事にしなければ人とは上手く付き合えないし、相手との関係は大事かもしれないが、それが自分にとって害になるのならそれをぶった斬る勇気も必要だと感じる。
自分の中で確固とした自分を持ち、相手に飲み込まれないことが大事だと思う。
また、それと同時に相手の境目も尊重して自分が相手の領域に侵入していないか、要らぬお節介や余計な心配をしたりしないようにも気をつけないといけないなと思う。
人間関係はドライなくらいでちょうどいい、ということに気づいた。
そのおかげで最近ちょっとだけ生きやすくなった。

最近は、自分のできる範囲だけで人のことを助けたり、自分がやりたい範囲だけで生きることを心がけている。
まだまだ時折やらかして凹むことはあるが、この調子で自分の楽な生き方、自分らしいスタンスを模索していきたい。

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