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#5 倚門の望

   文化祭も終わり、部活に明け暮れた万智や木村たちも引退してしまい、もう全員が受験だけになってしまった。木村は同じクラスの友人と学校の近くにあるAEONの系列であるイオニス塾に入り、ステータスだといってキャリングケースを毎日持ち歩き、楽しそうに受験勉強をしているのが、小さい頃から野球漬けだった日々を見てきた私には新しい趣味のように思えて安心していた。
 そんな自分はこの夏で全てが決まると言われた夏に祖父を亡くし、初めて人の最期を看取ったあと、喪失感と後悔に感情が押し潰され、眠れない日々のなかで担任に“あと半年あるから”と言われた瞬間、矛盾と学校の為に私は大学に入る訳ではないと感じて全てをゼロにすることにした。私の中で時々でてくる強気な行動だ。学びたい分野が大学の学科では少なく選択肢があまりなかったから執着心はさほどなく、ゆっくりと自分のなかで気持ちを落ち着かせながら考える日々を送った。

 1日に数通ずつ続いていた優くんとのメールは、文化祭が終わっても続き、1日に1通どちらかが送り、翌日に返信する。そのかわりかなりの長文で、手紙のようなやりとり。その頃まだ持っている人が少なかった、iPhoneの大きな画面―今となってはだが当時ガラケーと比べたらすごく大きかったーでさえも全文表示しきれないほどの言葉をその日の夜に送るのが習慣になってきていた。これだけ言葉を交わしても学校で一言も会話をしない日もあった。私も彼も休み時間は自分の机から動かない人だったし、2人で会話をしているとなにかとギャラリーが五月蠅い(9割は木村)。そういうのはお互い面倒だったので学校にいる間に短いメールをして、目で返事をしたり、会話をしなくても目が合ったときに表情で意思疎通をするような、2人の近くて遠い距離があった。
  そんな中でも優くんが時々話しかけてくる場所があった。帰りのHRが終わると、行動が遅い私は普段優くんより遅く教室を出ることが多かったが、私の方が早く出ることも稀にあった。そんなときにいつも階段を下りていると後ろから
「大丈夫?」
と声をかけられる。階段を過ぎていたとしても歩くスピードが遅いので必ず追い付かれてしまう。いつだって私は大丈夫なはずなのだが、彼からすると危なく見えているのか、むしろ階段で後ろから話しかけられる方が大丈夫じゃないのですが・・・と思いつつも
「大丈夫ですよ、」
と返事をしてそのまま下駄箱まで私のペースに合わせておしゃべりをしながら歩いていく時間が、唯一の2人の空間だった。時にはHRが終わった後優くんが何もせず意図的に時間を持て余しているように見える雰囲気があり、私が教室を出ないと始まらないような日もあれば、私が急いでるふりをして早く出ることもあった。毎日じゃないからこそおもしろくて、毎日長文で言葉を書いていても、話すとこの短い距離でこれだけ色んな事が話せるんだ・・・。と実感していた。

   私の決めた好きのルールはもうすでに意地のようなもので、気持ちの境界線はもうわからなくなっていたが、壊すつもりも、壊されるつもりもなかった。それでも無情にも少しずつ、歩み寄ろうとする瞬間がいくつも増えてきた。ファッションの話をメールでしている時、“男女でお揃いはアリだと思う?”と私の価値観を問うような文を送ってくる。“キャラクターものじゃなければいいと思うよ!”と返しておいた。批判を共感しようとするタイプの人ではないから、きっと優くんはお揃い、したいんだろうなあ。と思わず文面を見て笑みがこぼれてしまった。
 髪を切ろうと思うけど、どういうのがいい?と来た時には私が持っていたヘアカタログを貸してあげて、休み時間にいいのあった?とメールで送って目線を合わせると、優くんが動き出して私の隣の木村の席にきた。私自身も少しだけびっくりしたが、いちばんびっくりしていたのは私の後ろに座っている女の子2人だった。小動物のようにかわいい子が目をまんまるくさせて驚きながら、少し緊張している。身体を横に向けて優くんとこっそり2人を見ていた私は彼の将来の髪型よりも2人の可愛さとそういえば優くんはクラスの子にとってはこういう存在だったっけ、と再確認しながら、アドバイスをしてあげた。

   冬の始まりはいつも、祖母の家の近くの喫茶店で生クリームの効いたココアを少しずつ冷ましながら飲むことがお決まりになっていた。専門学校への入学試験を控え、なぜ伝えようと思ったのか、優くんだけには夏に感じた悲しみを言葉に綴っていた。そうして迎えた試験当日、実家から学校までの長い道のりを電車に揺られていると、1通のメールの中に聞いて欲しい曲がいくつか書かれていた。彼なりの応援歌だろうか、嬉しくてすぐに聞くと、

“いつだって こんがらがってる 今だって こんがらがってる
僕の頭の中
それは恐らく 君と初めて会った時から“

という出だしで始まった。曲のサビに“全力で走れ”と言ってはいるが、応援歌というような曲の雰囲気ではなかったので少しだけ、考えながら、この曲は大事にしよう、と受け止めることにした。


 数週間後、合格の通知をもらい、クラスの友人数人と応援してくれた優くんに報告をするとその数日後に時間があるだろうから、と本を強制的に渡された。重松清の『サンタ・エクスプレス』という短編小説集だった。この頃にはもうかっこつけた高校生ではなく、ちゃんとまだ子供心の残っている少年だという事は感じていたからこそ、読み進んでいくなかで、冬の寒さと、いとおしい人とのものがたりに優しさの温もりがあること、きっとこういうのが好きで、彼は“冬の人”なんだ。と私は感じていた。

   年が明け、学校は週に1度だけの登校になってしまった。友達が大好き、ずっとおしゃべりしていたい、というわけでもないのに、いつもの日々が急に少なくなるとどこか寂しい。仲の良い友人が試験をがんばれるようにお守りを作ったり、励ましたり、私のなかで受験はずっと続いていた。優くんにも負担にならない程度にメールをしていたが、ようやく志望校の話をしてくれた。
“早稲田を目指してるんだ”
今まで見た文章のなかで1番まっすぐに伝えてくれたような気がして、すごい!とか、がんばって!という言葉ではあまりにも軽く、釣り合いが取れる言葉を探し続けた。
 意外にも週に1度の登校日にちゃんと来てくれていて、会話はしなくても、顔が見れるだけで嬉しかった。そんなある日の帰り、意図せずだったが、私が先に教室をでていたようで、階段を下りていると、
「大丈夫?」
久々に聞いたこの言葉と、純粋にびっくりして階段を踏み外しそうになり、
「大丈夫じゃないですよ!」
とペンギンのように手を広げながら言う私に当の本人は少し笑いながら、横に並んで話を始めると、
「これ、もう使わないからあげる。」
そう言って渡してきたのは、受験で、大学に送る調査書だった。3年間の成績や学校での活動の様子、担任がどんな人でも良く書いてくれる人柄の紹介などが書かれているものだ。
「いらないの?」
と聞くと
「うん、開けてみていいよ。」
というので、帰ってから開封した。先生たち、さすが、と思うほどよく書いてくれていたのが面白くて写真を送ってあげた。彼を知らない大学の人にとってはただの紙に過ぎないが、私にとっては、これから先も私だけが持っている高校生活の証のようで、初めてもらった大事なプレゼントになった。-プレゼントと呼ぶにはなんだかチープすぎる気もしなくはないがー

   一般受験も進んでいく中で、自分からどうだった?とみんなに聞く勇気はなく、ただ、変わらぬ笑顔でいることだけが自分の唯一できることで、久々に会う子たちの表情を見つめていた。百合から合格の連絡が来たあとの登校日は自分の合格以上に嬉しく、会ったら抱きしめてあげようとおもっていたが、百合も気持ちは一緒で会った瞬間になにも言わずに抱きしめあった。
 卒業式の日も迫り、私はささやかながらみんなにクッキーを作って渡すことにした。包装までこだわりたい私はその人に寄り添った言葉を贈るために、担任にまだ結果が出てない子などは誰かを聞くことにした。こういう時の意志の強さを知っている担任は、理由を聞いて教えてくれた。浪人も決まっている人も含めて、と伝えられた人の中に優くんの名前もあった。どちらなのかはわからないけど、本人から教えられるまでは何も聞かないでおこうと思った。あと2日、卒業式の予行と当日、話をする時間はきっとないけど、声を聞きたかった。

参考
フジファブリック「sugar!」
重松清 『サンタ・エクスプレス 季節風*冬』

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