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台湾・邂逅(kai-koh)記 ⑤ あとがき

台湾・邂逅(kai-koh)記をお読みいただき、ありがとうございます。

このあとがきも、当時に書いたものですが、飲み屋のおねえちゃんのハナシとか余計なことが多すぎて、ひどく冗長な文章になってましたので、今回はバサバサ割愛しました。

よくも、20年以上もネットに晒していたなと恥ずかしさを感じながらも、
「今の私も大して変わってないなぁ」
というのが正直なところです。

それ以降も、人生観がドーンと変わる出来事がいくつかあったのですが、結局私の根っこはほとんど動いていない、いつまでたっても大人になりきれていない、未熟感がある。今読むとその後の人生と照らし合わせて、そんな感想を持ちました。
それでも、こうやって幸せに生きていけるのですから、日本はいい国だと思います。

それでは、どうぞ。


スッチーとの出会いに触発され、半ば衝動的に書き上げたのが「邂逅記」であります。最初はただの思い出として書いていたつもりだったのだけど、
「おもしろいから、もっとちゃんと書け」
と周りから後押しされて「つい」書いちゃったのですね。今ではあれから何年も経ったような、とにかく記憶の中では細かい部分が色褪せている話ではあるけどね。

そんなわけで彼女との話はこれ以上思い出す部分は少ないのですよ。オレは気になる相手になるほど顔を思い出せないという奇妙でそして場合によっては大変損なクセがあるのですよ。それでも顔以外にナントカおぼろげに憶えているのが二つあって、その一つが台湾における日本人社会のことであります。

やはり日本人は台湾(どこの国でも同じだろうが)という異文化のなかでもキチンと群れを作っているという話ですね。日本人同士が社会生活を営む上で不必要に結びついているらしく、女性の世界でも必ず中心的存在になる人間が存在し、そのボスを中心として結構面倒な行事にも不必要に付合わされなければならなかったのが非常に苦痛だったとの由。若いスッチーにとっては随分窮屈な思いをしたらしいのですね。

人間が生きていく上で、通行人Aを自ら演じる(その言葉自体クサイけど)時間がなければ息が詰まってしまいますよね。いわゆる自分をニュートラルにする時間が必要なのですよ。特に家庭を営みながらアノニマスを保つのは非常に難しい。ましてビジネスで結びついている異国の日本人社会の中は、彼女にとってさながらコップの中の嵐だったかもしれなかったんだろうなあ。

ちょっと話がそれちゃうけど、アノニマス(匿名)社会も度を超すと、ひどく虚ろものとなっちゃいませんか?オレが勤める事務所前を通る道はアノニマスそのものですね。幸い非常に立派な道路がしつらえてあるけど、歩道に人通りが全くないのであります。仮に通ったとしても何故かその人の生活感というか背景というか何か生命感を感じないまま通りすぎるよう希薄な存在になっちゃうのですね。

この街は車の往来が多いのです。まるで春の怒涛のごとくです。確かに車の中には人が乗ってるけど、彼らの多くは独りで乗っており、基本的に細かいコミュニケーションが取りにくい構造ですから、車体が彼ら自身の皮膚感覚と直結し、さながら車という鉄とアルミ合金と樹脂でできたアーマーを着ているように見えちゃうのですね。ドアを開ければ中に乗っているドライバーはどれも善良な人間かもしれないけど、いったい人間はいつの時代でも武装すべきなんですかね?誰と闘うべきなんでしょうね?

病んだ街だけどそういう意味では相手の顔が良く見える東京のほうがまだ健全です。とりあえず街をあるけば人の顔がたくさんならんでるし、電車に乗れば変なやつらが向こうからどんどん寄って来るしね。地方の復権などともっともらしい言葉が世を駆け巡ってからしばらく経つけど、社会的インフラが整っていないにもかかわらず、東京という毒気をまともに吸い込んだのは、実はこうした地方の中核都市に住んで地域産業を支えているような平凡な人々かもしれませんね。中途半端に都市のエッセンスを取り込みつつ、アーマーを着こんだ人々が行き交う街、それがオレの住んでいる街なのですね。

さて、スッチーの話に戻します。機内のもう一つの話題としてペットの話になったときのこと、
「かわいがっていたペットが死んだときは本当に悲しくて涙がとまらないんです」
「その気持ちはわかるな、オレも実際そうだったし」
「でも、親戚の人が亡くなったこと時は不思議と泣けないんですよね」
「あれは不思議だよな」
「そうですよね、わたしホントにペットの時は大泣きしちゃいました」
スッチーはなぜかそこを強調したのでオレはちょっとムッとしながら言ったのです。
「ちょっと待って。そんなにペットの方が悲しいって言い切っちゃっていいのかな?」
「だって、やっぱりいつも一緒にいたし」

彼女独特の死生感があるせいか、彼女の中で人間と動物が未分化の状態で存在している感じなのです。物理的な距離の親密さが彼女の心を支配しているようにも思えました。そしてオレはやんわりとたしなめるように諭しました。
「オレも犬が大好きだけど、犬は何年飼っても結局は犬のままなんだよ。転生という言葉を信じるならば悲しみの意味も違ってくるかもしれない。『如是畜生発菩提心(にょぜ・ちくしょう・はつ・ぼだいしん)』、次は人間に生まれてきて、また会おうねってね」
「そうだけど…」
どうやらこの話題は二人の間では深刻すぎ、未消化に終わっちゃいました。

それからオレとスッチーは入国審査の間にも心理ゲームで遊んだりして、とにかく何か二人とも基本的なところで「勘違い」を楽しんでいたのかもしれません。言いかえるなら、日常からほんの数ミリずれたところにあるパラレルワールドのような世界で遊んでいたのでしょう。二人とも日常に飽き飽きしながらも、その日常から逸脱することはできない色々と面倒な約束ごとに縛られている人間ですからね。その約束から逃れるのもこれまたパワーがいるわけで。
 
電脳世界ではたとえ人捜しであっても金さえあれば大抵のことはケリがついちゃいます。だけど無理に再会を考えてしまっては、ロマンはあってもロマン「チック」じゃなくなっちゃう。アノニマスに出会い、一人の人間としてエゴを開示し、お互いがそれをほぼ一瞬で受容した。そして、彼女の手慣れたホスピタリティの後押しもあって、たった数時間で共鳴し合う関係となった。それは人間関係の構築プロセスを一気に早送りして、おいしいところだけをつまみ食いしたような、稀有なひと時でした。

時々、オレに軽いインパクトを与えてはパッとどこかに消えてしまう風変わりな出会いがあるのですね。決まってその相手はなぜか年下の女性であり、なぜか生活の場を海外に求めるようなアクティブな人々だったりする共通性があります。思いがけずふと現れては「心の琴線」をポロンと鳴らされて、またまたどっかに行っちゃうのです。

今後も色々な出会いがあるんじゃないかと確かな予感があります。
たとえどんな些細なできごとでもいいから(むしろ些細なほうが感じやすいけど)、新鮮で、そして自由な心を持った出会いの中でお互に心の琴線を奏でていたい、そしてハッピーでいたい。離れていたって、こうして地球という同じ大地に脚をつけてるわけだしね。
そんな気持ちがオレの中で今も変わることなく輝いているのですね。

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