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私が親を苦手になった瞬間を思い出したら載せていく

【①中学時代】

中学校の時部活は休みは月曜日だけで

それ以外は毎日あり土日は2日とも

丸一日練習試合。

塾も部活帰りに毎日行っていた。

私は勉強ができなかったので

ワークを何周も何周もするように

言われ、毎日朝の3時まで勉強して

毎日3時間睡眠していた。

また、その時ちょうど部活で揉め事が

あったり、私自身もスランプに陥ったり

していて何もかも上手くいかなかった。

また同時に間違ったダイエットもしてした。

7×7cm位のお弁当箱で毎日お昼

ご飯を食べていた。

また、学校のテストもしっかりと点数を

取れるようになり私的には

精神的に来ていたけれど気が付かない

振りをしていた。

充実していた日々だった。

それが何ヶ月も続いたある日

限界が来た。

給食の時間、ある曲が流れた。

私は当時スマホを持っておらず

母のパソコンで空いた時間で

聞いていた大好きな曲だった。

その曲を聞いた瞬間涙がボロボロこぼれた。

周りに人がいるのとか全く関係なく

声を出して泣いた。

周りから見ればきっとおかしい奴だった。

そこから私の日常が徐々に崩れ始めた。

まず、ふとした時に涙が急に

出てくるようになった。

なんのやる気も起きず部活をサボるように

なった。

真夜中に急にテンションがあがり

髪の毛をひとつに結び切ったりした。

次の日には家族に

「切っちゃった〜」

と笑いながら言ったりしていた。

暴飲暴食もした。

だから私は母に

「辛い」

と言ったが

「甘えてんじゃないよ」

と返ってきた。

また、

「私の方が毎日仕事して休みも1日

しかなくて〜〜〜」

と自分の苦労話をしてきた。

父は無関心だった。

絶望した。

母には

心の不調は通用しない


そう思った。

そこから私は

母には

精神面での不調を相談する事

はしてはいけない。

甘えなのだから。

と思うようになった。

当時はこの親の考えが正しい、

親、人に自分の考えが言えないのは

私の兄弟2人を含めて普通の事だった。

だから3人ともヘラヘラしていて舐められ

時にはいじめの対象になった。


他人のことなのに自分中心に

物事を見る、

精神面な不調は認めない、

何となく感じる「うちの家庭少し

変わってるかも」感を感じた時

この人達の介護をしたくないなとおもった。

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